第32話:ぜーんぶ先輩に話すね
仕事の悩みがひとつ片付くだけで、朝がこんなにも爽やかに感じられるなんて。ぐっすり眠ったおかげか体も軽く、鳥のさえずりさえいっそう心地よく聞こえる。まるで今になって、この世界がこんなにも心地よく見えることに気づいたみたいだ。
俺とキムは会社の前で待ち合わせたが、いつも通り、早めに着いたはずの俺より先に彼女は来ていた。俺の姿を見つけるなり、両手を高く振って、声を上げながら跳ねるように駆け寄ってくる
「先輩、おはようございます! 昨日はよく眠れましたか? キムの夢は見ましたか?」
「おはよう。久しぶりによく眠れた。キムは?」
「残念ながら、先輩は夢に出てきませんでした。でも家族とたくさん話しましたよ。特に先輩のことを。みんな楽しそうに聞いていました。」
「う……これで完全に上に目つけられたな。」
きらきらと輝く瞳を見れば、キムの考えはだいたい察しがつく。ひとまず落ち着くよう言ってから、俺たちはマガロン城を離れ、勇者のもとへ向かった。
「というわけで、これからの目標はシロたちに直接和解を持ちかけることだ。もちろん道中で魔族の印象を良くできることがあれば積極的にやる。異論はあるか?」
シロたちの現在地を確認しながら、状況を説明しつつ計画を立てる。成功の確率は少しでも上げたい。
「え? そうだったんですか? どうして最初から言ってくれなかったんですか。先輩、ずっと忍耐してたのに。リムってば。」
キムは目を細めて手をひらひら振る。副社長の肩書きも、このインターンの遠慮のなさには効かないらしい。
「可能性があるかどうかは観察してから判断する必要があったんだ。警戒しつつ接近して、問題ないと確認してから和解を提案した方がリスクは小さい。」
昨日ガス様が補足した内容をそのまま伝え、隠されていたことを俺は気にしていないと告げる。何より給料がめちゃくちゃいいしな。文句は給料日に消える。
「でも……先輩、ずっと忍耐してたじゃないですか。私、ちょっと許せないっていうか……放っておけないです。」
「俺は我慢は得意だ。それに仕事なんて大体うまくいかないもんだし。慣れてる。」
軽くうなずいて礼を言うと、それを何かの合図と勘違いしたのか、キムは嬉しそうに声を上げた。
「じゃあ今はシロを見つけて、魔族の立場をきちんと話せば、みんな手を取り合って友達になれますよね?」
マガロン城からかなり離れ、ようやく落ち着いたのか、雑談を挟んだあと仕事の話題に戻る。表情は相変わらず素直だ。
「かもしれないが……ハンクやジェシーがどう思うかはわからない。」
過去の記憶をもとに反応を想像する。驚き、場が重くなり、混乱と信じられない気持ちの中で、答えが出ないまま揺れ続ける気がする。
「それに、シロたちが受け入れたからといって、すべての人間が同じとは限らない。」
「でも、きっかけにはなりますよ。」
キムはリムと同じように空を見上げて言う。
「一日で全部解決は無理でも、今日から少しずつ変えればいいんです。好感度って、そうやって少しずつ積み重ねていくものじゃないですか?」
「とにかく、俺たちの立場は完全に対立しているわけではない。それだけでも十分に幸運なことだよ。」
キムに含みがあったのかどうかは分からない。余計な想像を振り払うように首を横に振り、俺は異次元ポケットから再び位置特定装置を取り出し、シロたちの居場所を確認した。幸いなことに、彼らの位置は昨夜確認した時と同じで、まだ動いていなかった。
「もしかして前の日に飲みすぎて、二日酔いで起き上がれないとか?」
状況をキムに伝えると、彼女はわざと身を寄せて装置を覗き込み、まったく参考にならない推測を口にした。
「ついでみたいに俺にくっつくな。」
俺は素早く装置をポケットにしまい、キムの計算ずくの距離の詰め方から身を引いた。同時に進行方向を確認し、現在の俺たちと勇者一行との位置関係をガス様に報告する。そして手で合図を送り、キムに前進を促した。
「もう、先輩は相変わらず堅いんだから。」
キムは軽く跳ねるように俺の前へ回り込み、両手と背中の翼で空中のバランスを取りながら、さらりと言う。
「パパもママも、仕事に支障が出ないなら私たちがどう恋愛しようと自由でいいって言ってるよ、先輩。」
「この前までの経緯、ずいぶん脚色して話したんじゃないだろうな……?」
「してないよ。ただ自分の愛をそのまま家族に伝えただけ。それにパパもママも自由恋愛推進派だから、干渉しないの。ちなみに、先輩の印象はすごく良かったって。いつでもうちに挨拶しに来ていいよ。」
果てしない草原を歩く。突風にあおられた野草が波のように揺れ、規則正しく足元を打つ。その感触が、固く閉じていた好奇心を少しずつほどいていく。
昨夜、リムが慌てて飛び去る直前に残した言葉を思い出しながら、俺はゆっくりとキムへ視線を向けた。数秒の沈黙のあと、返ってきたのは何の含みもない、ただ純粋で眩しい笑顔だった。
「ずっと前にキムが、自分の家柄を知りたいかって聞いたことがあったよな。あの時、俺は断った。」
言いかけて、自分の声が妙に改まっていることに気づき、少し気まずく頭をかきながら軽い調子で続ける。
「先輩が秘密にしてほしいって言ったから、私は何も言わなかったよ。」
「今のところ、俺が知っているのはキムが高層部の令嬢だってことだけだ。それ以上は踏み込めなかった。でも、もっと君を知るって約束しただろ。ここで止まったままじゃ、その約束を果たしたことにはならない。」
仮に——あくまで仮にだが、間諜任務のために距離を保つことが無駄だったとして、しかもリム副社長から新たな指示を受けたのだとしたら……。
「キムのこと、全部。もう逃げないことにした。差し支えなければ、全部聞かせてくれ。」
キムは足を止め、大きく目を見開いたまま固まった。頬が赤く染まってからようやく我に返り、体を揺らしながら俺の腕に絡みつき、嬉しそうに言う。
「はいっ! キムが何歳で角が生えたかから家族のことまで、ぜーんぶ先輩に話すね!」
キムを大切にしろ。昨夜の忠告が耳の奥で響く。
俺は初めて、自分がキムの笑顔にどう返せばいいのか分からないことに気づいた。何か言おうとして、結局は飲み込む。
そのとき、ちょうど通信装置が鳴り、不意の戸惑いをわずかに和らげた。
ガス様からの連絡は簡潔だった。報告を受領したとの返答に加え、勇者の現在地は会社の廃棄地下迷宮であること、そして迷わないようにと地図が添付されている。
「先輩はもうリムに会ったんだよね。他の人との関係、知ってる?」
俺が複製した地図を何気なく眺めながら、キムが尋ねる。さっきの話題の続きらしい。
「いや。ガス様がやたら彼女を恐れてるってことくらいだ。」
「だってリムは、会長である魔王様と社長の娘なんだもん。権限が大きいのは当然でしょ。縁故だって言う声もあるけど、リムは本当に実力がある人だよ。先輩なら分かるよね?」
「……ということは、リム副社長の話を出した理由って、まさか……」
唾を飲み込み、これまでキムが口にしてきた言葉を思い返す。頭が勝手に断片をつなぎ合わせ、導き出した推測は、あまりにも物騒だった。
「その通り。」
すべてを見透かしたようにキムは微笑み、風に揺れる桃色の長髪をなびかせながら答えを告げる。
「うん。キムの本当の身分は、魔王様の娘。つまり、リムの姉なの。」




