↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/40

第23話:一番最初に私に教えてくださいね

 せっかく湖畔まで来たのに、周囲の林の中を歩いているだけというのも少しもったいない。湖を半周ほど回ったあと、キムは足で地面の砂を払いのけると、うっすらと、意味の分からない弧線がいくつか浮かび上がる。よく見ると、それは魔法陣だった。


 キムは人差し指を伸ばし、空中に俺には分からない符文を描く。すると魔法陣が光を放ち、湖面にも同じ模様の魔法陣が展開された。とんでもない魔法かと思ったが、水上に浮かんできたのは、ただの何の変哲もない小舟だった。


「ボートデートだよ! ロマンチックでしょ?」


 目立つ黒い翼を軽くはばたかせ、キムは軽やかに船へ降り立つ。ほとんど水面に波紋も立てない。空を飛べるのに、あえて船で景色を楽しむ。そんな気ままさが、なぜか少し羨ましく感じた。


 長くスパイをやってきていろいろな技術は身につけたが、ボートを漕ぐのはこれが初めてだ。まっすぐ進めない俺は両手の力加減を何度も調整し、集中しすぎてキムの止まらないおしゃべりを聞き流してしまう。いっそオールをしまい、湖面に映る雲の中に紛れるようにして船を止め、少し休むことにした。


「ここ、景色いいでしょ、先輩?」


「ああ、すごく落ち着く。こんなに静かだとは思わなかった。この辺りなら、本来は村か町の一つくらいあってもおかしくないはずだが。」


「ここは魔力の濃度がちょっと高いからだよ。人間には少しきつくて、お酒に酔ったみたいになるの。」


 魔力の感知は得意じゃない俺には変化は分からず、小さく返事をしながら手を伸ばして湖面をかき混ぜる。空と白い雲をかき混ぜてぐちゃぐちゃにしたところで、ようやくキムの言っていた意味が理解できた。


「……ああ、水か。」


 水の冷たさが指先に残る一方で、より強い魔力はすでに体の中に入り込んでいて、思わず鳥肌が立つ。透き通った湖面の下を泳ぐ魚がやけに大きいのも納得だ。見渡す限り、どれも人の半分ほどはある。


「伝説では、この湖には古代の勇者の神剣が封印されてるって言われてるけど、人間は魔力耐性が足りなくて、水に入って確かめられないの。でもママの話だと、湖底に魔鉱が多いだけで、神剣は作り話なんだって。」


「へえ、ずいぶん詳しいな。じゃあ会社的にも採掘に向いてそうだな。バード山の鉱業もかなり儲かってるし。」


「だめだよ。」


 何気なく言っただけなのに、キムは大げさに両腕を交差させ、強く口を尖らせて抗議する。


「ここはパパ がママにプロポーズした場所だから、みんなが何を言っても、ママはここを掘るのに反対してるの。」


 どうやら高官でもそういう情緒は大事にするらしい。本当にそうなら、この場所はキムの家族にとって思い出の詰まった特別な場所なのだろう。それにしても、一人の意思で会社がこれほどの利益を見込める開発を断念するとは、キムの家のどれほどの権力を持っているのか、想像もつかない。


 その後、穏やかな湖の上を漂っているだけでは物足りなくなったのか、キムはオールでは刺激が足りないとばかりに船尾へ移動し、片手を湖に突っ込んで魔力砲を放つ。瞬間的に船にとてつもない推進力が加わり、前へと突き進む。俺は慌てて船体にしがみつき、落ちないように耐えるしかなかった。


 強い風が正面から吹きつける。水面すれすれを滑るように進みながら、キムは楽しそうに大笑いしている。操船自体は見事だが、俺には刺激が強すぎる。水しぶきで濡れていく服を見ながら、この無茶な性格に付き合っていくには、いろいろな意味で心臓を鍛えないといけないと感じた。


 山の稜線に沿って滑り落ちる夕陽は、まもなく西に沈もうとしている。橙と赤に染まった湖面の光は、まるで炎に包まれているかのような錯覚を与えた。


 のどかな午後の時間は、ひたすら続く雑談の中で過ぎていく。キムは好きな花の話から初めて歯が抜けたときの話まで語り続け、俺が口を挟む隙はほとんどなく、ひたすら俺の頭の中の容量を占領していった。


 話に夢中になっている最中、キムの腹が空っぽの音を鳴らし、朝のケーキがすっかり消化されたことを知らせる。だが彼女の顔に照れた様子はなく、むしろ三度ほど笑って、食べられるのは幸せなことだと、自分の体が健康である証だと言い張った。相変わらず常識から外れているようで、どこか納得できてしまう理屈を口にする。


「じゃあ釣りでもするか。湖の魚はどれも大きいし、腹の足しにはなるだろう。」


 俺は異次元ポケットから簡素な釣り竿を二本取り出し、簡単に釣り方を教えてから別れて行動する。一人は船首に座り、もう一人は船尾に陣取って、今夜の夕食を調達し始めた。


「勝負しようよ! どっちが大きい魚を釣れるか。」


 勢いよく竿を振り、針を遠くへ投げたキムは、水しぶきを見つめながら自信満々に勝負を持ちかけてくる。


「こういう運任せのものに勝負も何もないだろ。」


「ああ、先輩つまらない! 負けた方が夕食担当ね。」


 こちらの意向を無視して勝手に決めるのも今に始まったことではない。俺はため息をつきながら餌を付け、軽く竿を投げて、後で魚と格闘する体力を温存することにした。


 夕陽に向かって鼻歌を歌いながら釣りをするキムを眺めつつ、彼女が自分の竿にまだ餌を付けていないことにいつ気づくのかを考える。どう見ても、負けることが確定している勝負だった。


 ◎


 キムの釣り勝負は案の定惨敗に終わり、竿を上げて岸に戻るときになってようやく敗因に気づいた。軽く拳で俺の肩を叩いて抗議しながら甘えてきて、釣り上げた魚でさえ、その様子に耐えきれないのか体を激しくくねらせている。


 幸いなことに、この湖の水は高濃度の魔力を含んでいるため、魚の鱗はかなり優秀な耐魔素材へと進化していた。剥がして集めれば鍛冶屋でそれなりの値で売れそうで、思わぬ収穫だった。


「先輩、どうぞ! キム特製・愛妻魚骨スープ!」


 見上げれば星が瞬き始めている。俺とキムはその場に腰を下ろし、湖畔で簡単な焼き魚とスープを味わいながら、休みがもう終わること、明日からまた仕事だという現実をぼんやりと思い出していた。


「うん、美味いな。こういう魚を料理したことがあるのか?」


「全然ないです。でも料理を美味しくする魔法を使いました。先輩、何だと思います?」


「まさか、愛とかじゃないだろうな……」


「きゃっ! さすが先輩、キムの心にぴったり当たりました。これが毎日先輩に愛を注いでいる成果ですね。」


 一人で話を進めるキムは、焼き魚をくわえたまま、空いた両手で頬を押さえ、子どもみたいに大げさな反応を見せる。どうにも言葉が出てこない。


 本来なら夕食を終えたらそろそろ町へ戻る予定だったが、キムはまだ名残惜しそうで、湖の周りをもう一周歩いてから帰ろうと提案してきた。


 月が高く昇るまでにはまだ時間がある。休日の最後の時間を使い切るのも大事なことかもしれない。俺は湖畔で鍋や食器を洗い終えると、キムの後を追い、夜風に吹かれながら歩き出した。


「先輩!」突然、前を歩いていたキムが何の前触れもなく俺を呼んだ。


「どうした?」


「せんぱ~い!」


「ん?」


「せんせんせん! ぱいーぱいぱい!」


 まるで遊んでいるかのように、キムの呼び声は足取りに合わせて、跳ねたり軽く宙に浮いたりしながら、リズムゲームのようにでたらめに俺を呼び続ける。どうやら返事は必要なく、好きにさせておけばいいらしい。


「先輩!」


 不意に彼女は振り返り、雲間を抜けた月光を背に受け、いつもの笑顔を浮かべる。穏やかで、それでいて活力に満ちた声で告げた。


「私、先輩のことが大好きです!」


「ああ……今日は楽しかったか?」


「すっごく楽しかったです!」


 両手を高く上げてわずかに宙に浮き、瞳には月よりも強い光が映っている。


「何度も言ってるかもしれませんけど、本当に本当に先輩のことが好きなんです。毎回の告白はちゃんと本気なので、安いものだと思わないでくださいね。」


「そんなふうには思ってない。冗談だと思ったこともない。」


 彼女の表情を見て、俺は顎を引き、落ち着いた口調で答えた。


「じゃあ、先輩に一つお願いしてもいいですか。それと、約束も一つ。」


「いいぞ、言ってみろ。」


 明るい笑顔がゆっくりと収まり、少しだけ見慣れない、真剣さと願いが混ざったような微笑みに変わる。そのまま一歩近づき、俺の手を包み込むように取り、下から見上げながら静かに言った。


「これからの未来を想像してみてください。休みの日も仕事の日も、いつも先輩の隣に私がいる毎日を。そんな日々を、私はすごく幸せに過ごせると思うんです。だから、その未来を一緒に実現するかどうか、ちゃんと考えてほしいです。」


「それで、もし先輩の気持ちが動いて、本当に私のことが好きになって、一緒にそんな日々を過ごしたいって思ってくれたら……そのときは、必ず、必ず、必ず、一番最初に私に教えてくださいね。」


 その表情は、普段の彼女が見せることの少ない、守ってやりたくなるようなものだった。頬に浮かぶ赤みも珍しく、時間が止まったかのように感じるのは、俺に考える時間を与えているからなのかもしれない。だがどれだけ探しても、この気持ちにぴったり合う言葉は見つからず、記憶の中から引き出せるのは場違いな断片ばかりだった。周囲の湖や月の景色に答えを求めても、何も得られない。


 ああ、立派な社会人でいることも、忍耐に長けたスパイでいることも、本当に難しい。


「え? ソウル? どうしてここにいるの?」


 そのとき、背後からの声が思考を断ち切り、現実へ引き戻した。振り向くと、その聞き慣れた声の主は、やはりあの黒髪の少年だった。互いに驚いた表情で見つめ合う。


「シロ!?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。