第14話:甘えさせてください
「それじゃあ、ジェーンちゃんの無事と、キムが営業部の大家族に加わったことを祝って——乾杯!」
「乾杯。」
「か……乾杯。」
ステイシー部長はグラスを一気に飲み干し、爽快な声を上げた。数秒遅れて飲んだキムは、その意味ありげな視線に気づくと、むっとして口を開き、俺の反応を確かめるようにじっとこちらを見つめてきた。
「無理して飲むなよ。接待とか一気飲みなんて、ろくでもない職場文化だからな。」
「先輩、それって私が他の人に負けてるって意味ですか?」
まずい。キムはもう完全に理性を失っていて、俺の言葉も耳に入っていない。自分から酒を一杯注いでそのまま飲み干し、部長の見物する楽しみをさらに煽って、部長は手を叩きながら大笑いしている。
こういう面白がって事を大きくする性格は、昔から全然変わっていない。俺はこれまで一度や二度じゃなくステイシー部長に「そういうからかい方はやめてください」と頼んできたが、逆にからかわれるだけで、この人には本当に手を焼いている。
「キムちゃん、ほんと可愛いわね。でもどうしてスパイなんて選んだの? 他の部署のほうがずっと楽で稼げるのに。」
ステイシー部長は俺にも酒を差し出し、「後輩に負けるな」と言わんばかりに目で合図してきた。仕方なく俺もそれに付き合う。
「先輩のことが好きだからです。先輩のそばで働きたかったんです。」
そのまっすぐで攻撃的な宣言から察するに、キムの顔が真っ赤なのは恥ずかしさではなく、完全に酒のせいだろう。
「はは、直球勝負って最高ね! さあさあ、バッターはどう答えるのかしら?」
「俺は打席に立つつもりはありません。部長、これ以上かき回さないでください。」
キムが暴走して変なことを言い出すのも、ステイシー部長が酒の勢いでゴシップを掘り返すのも、俺は最初から予想していた。ここで乗せられたら、自分の立場がますます面倒になるだけだ。適当に受け流すのが一番だろう。
酒が回ってきたところで、ステイシー部長はキムに酒拳のやり方を教え始めた。何度止めても無駄だった俺は、もう放っておくことにした。キムが負け続けて、次から次へと酒を飲み干していくのを眺めるしかない。
「部長……先輩とは……長い付き合いなんですか!」
ほとんど目も開けられないキムが顎を上げ、月に向かって叫びながら、なぜか部長に問いかけた。
「うーん、まあそれなりに長いわね。そうよね、ソウルくん?」
ステイシー部長はずるそうに笑う。どう見ても分かっていて聞いている顔だ。わざわざ俺の口から言わせたいらしい。
「八年くらいです。俺が入職したときは部長が担当で、数年前に情報課が新設されてから異動になりました。」
キムの醜態を見てから、俺は三杯目の酒からは一気飲みをやめて、少しずつ口をつけるようにしていた。目標は、絶対に道端で酔い潰れないことだ。
「その頃のソウルは若かったわよ。意気揚々としてて、目にもまだ光があったし。ほんと、歳月って残酷よねぇ、ははは。」
「俺はまだ二十五です……。まるで中年の危機みたいに言わないでください。」
「時間なんて関係ない! わ、私は……この世界で私ほど先輩のことが好きな人はいないって言えます!」
「キム? ちょっと興奮しすぎじゃないか?」
言えば言うほどヒートアップしたキムは、そのまま三杯連続で酒を流し込み、すぐに酒に負けてしまった。頭もほとんど持ち上がらず、体をふらふら揺らし、今にも倒れそうになっている。
「ふふ、こんなに可愛い後輩がそう言ってるのよ? あなた、一度もちゃんと返事してあげたことないんじゃない?」
ステイシー部長もキムのペースに合わせて何杯か飲んでいるのに、顔色ひとつ変えない。
「先輩……私、本当に酔っちゃいました!」
キムは目を閉じ、酒杯を適当に地面へ放り投げると、子供みたいな口調で言った。
「普段はちゃんと自制してるんですけど、今はもう力が出ないんです。だから肩、貸してください。甘えさせてください!」
そう言いながらも、キムは俺の返事を待たずにそのまま頭を寄せてきて、俺の腕を抱き枕みたいにぎゅっと掴み、そのままぐっすり眠り始めた。
「噂どおり、可愛い子ね。」
ステイシー部長はキムの寝顔を見つめ、やわらかく微笑んだ。
「噂って……やっぱり部長、ただ休暇届を届けに来ただけじゃなかったんですね。」
「少しくらい心配にもなるでしょ。だってあの子のご両親、かなりの大物なんだもの。しかも今のあなたは勇者パーティーを離れさせられて、立場だって前より危うい。もし今まで頑張ってきたのに、官僚二世を怒らせたとかで急に難癖つけられたりしたら……はは、私、発狂しちゃうわ。」
「キムのことや勇者パーティーの件……まさか会社中に知られてるんじゃ?」
「知ってるのは私だけよ。ガス様がぽろっと口を滑らせたの。かなり問い詰めちゃったけどね、ふふ。」
「ガス様も大変だっただろうな……。」
「これからどうするつもり? パーティーには戻れそう?」
「今、頑張ってるところです。」
俺はグラスの中の半分ほど残った酒を揺らした。水面が揺れるたび、月の形が満ち欠けするみたいに歪む。そして、つい本音をこぼしてしまう。
「でも難易度は高いです。俺が心配してるのは……」
「ジェーンちゃんは道に迷って、たまたまあそこを通っただけ。あなたのせいじゃないわ。」
ステイシー部長は穏やかに言った。俺の悩みなど、最初から見透かしていたかのように。
「勇者の動向をすぐ報告しなかったことだって、誰にも損害は出てない。自分を責める必要はないわ。」
そう言われて、胸につかえていた大きな石がようやく落ちた。俺はワインを一気に飲み干し、感謝してうなずく。もっとも、この借りはステイシー部長にワイン三杯とゴシップ一つで返す羽目になりそうだが。
「キムは素直で、学ぶ意欲も高いです。たまに小さなトラブルを起こすくらいで、特に困ることはありません。」
結局ステイシー部長に押し切られ、俺は星空を見上げながら、まるでスパイ報告書を書くみたいに、この日々キムと過ごして感じたことを語った。
「そう。なら安心ね。ガス様が言ってたわ。この子、どんな役職も断って、唯一あなたのそばでスパイを学びたいって指名したんですって。最初聞いたとき、私ぜんぜん信じられなかったのよ。」
ステイシー部長は、キムの真似をしてグラスを放り投げる仕草をしたあと、酒樽を抱えて直接口をつける真似をし、ぐびぐびと飲み干す。そして口元の酒を拭いながら言った。
「この歳になって、こんなレベルの純愛を見るとは思わなかったわ。上等な酒よりずっと美味しいものね。」
「からかわないでください。」
「はは、あなたが真面目に仕事する人なのは知ってるわ。」
ステイシー部長はキムの頭を優しく撫でた。そのせいか、キムが小さく何度か寝言のような声を漏らす。
「でもそれ以外は? 仕事のためだけに生きる人生なんて、私には想像できないわ。」
「……たまに美味いものを食べたり、湖で釣りをしたり。そういう小さなことで十分楽しいです。」
「ふふ、それ全部一人でもできることよね。」
ステイシー部長は少し笑って続けた。
「もし誰かの『それ以外』が、全部ある一人の人を中心に回ってたらどう?
この子の目は嘘をつかないわ。本気よ、この子。」
俺はステイシー部長を見上げたまま、言葉を失った。返せる言葉なんて何一つ思いつかない。
そのとき、頭の上から手のひらの温もりが流れ込んできた。八年経っても、まったく同じ感触だった。
「俺はキムを弄んだり利用したりなんてしてません。ただ俺は……」
「あーあー、聞きたくない。」
ステイシー部長は少し力を込め、俺の頭を押さえた。
「それは当人に言いなさい。」
俺は眠っているキムの方を見た。顔を真っ赤にしたまま、無邪気な笑顔で眠り続けている。どう揺すっても起きそうにない。
仕方なく俺はキムを背負い、ステイシー部長の後ろについて部屋まで送り届けた。
そして異次元ポケットから毛布を取り出し、彼女に掛けてやる。
俺の方は、リビングで寝袋を敷けば十分眠れる。だが俺にとって酒は、決して安眠薬にはならない。さっきの部長の言葉が、何度も耳の奥で反響していた。
人生の意味だとか、何を幸せと呼ぶのかだとか。
そんな哲学的な問いは社員規則には書かれていないし、今まで真面目に考えたこともなかった。
今の生活は苦しくない。一人で穏やかに暮らしていくことの、何が問題だというのだろう。
俺は毛布に半分顔を埋め、初めて会った日のことから順番に思い出していく。
表情、仕草、言葉の一つ一つを思い返し、あのとき彼女は何を考えていたのかと想像する。気づけば身体は丸まり、毛布にくるまれて繭みたいになっていた。
確かに――
俺は今まで、キムにちゃんと答えたことなんて一度もなかった。




