第一章【RESTART】第八話『MISUNDERSTANDING』
爽やかな風が窓から流れ込み、俺の前髪をそっと揺らす。
頬を撫でる風は驚くほど穏やかで、暖かいと感じるほど心地よかった。
瞼の裏を茜色の光が優しく照らし、風に揺れる木々の葉擦れが静かに聞こえてくる。
重かった意識がゆっくりと浮かび上がっていく。
その感覚に促されるように、俺は瞼を開いた。
見慣れた天井が視界に移る。
「あれ、ここ…保健室?」
周りを見渡すと、俺は保健室の中にいた。
どうやら、ソファーの上に横たわっていたらしい。
背後の窓から外を見ると、夕日は地平線へ深く沈みかけていた。
「あれから、だいぶ寝てたみたいだな…。」
ガラッ。
頭の中で今の状況を整理していると、突然、保健室の扉が開いた。
「良かった。目、覚ましたんだ。体調は大丈夫?」
窓から差し込む茜色の光が反射して、淡い桃色になった白髪をサラサラと揺らしながら男が入ってきた。
「バイパー…。」
バイパーは微笑みながら俺と目線を合わせる。
「いやーびっくりしたよ。体育館裏の倉庫に用事があって行ってみたら、悠真と大輔がぶっ倒れてたもんだからさ。何かあったの?」
「大輔…大輔は無事なのか!?」
俺はソファーから身を乗り出し、勢いよく聞き返した。
「落ち着けって悠真。大輔は特に怪我とかしてなかったよ。でも、悠真より体がぐったりしている様子だったから、そこのベッドに寝かせてある。」
そう言ってバイパーは俺の隣にある、カーテンで仕切られたベッドを指さした。
シャッ――!
俺は思いっきりカーテンを開けて、ベッドに駆け寄る。
そこには、いびきを小さくかきながらぐっすりと寝ている大輔の姿があった。
「……あれ?」
俺は思わず足を止めた。
どうして傷が一つもないんだ?
俺の脳裏に、倉庫で見た大輔の姿が浮かび上がってくる。
あの時の大輔は、四肢が不自然な方向に折り曲げられ、首には強く締められた痕や爪で深く引っ掻いて、肉がえぐれるほどの傷を負っていたはずだ。
それなのに___。
傷つけられた痕跡は何一つ残っていない。
俺は呆然と大輔を見つめる。
まるで、あの倉庫で起こったことが、最初から存在していなかったかのようだった。
(夢……だったのか?)
そう考えれば、この状況にも納得できる。
だが、あの時感じた恐怖も、目の前で起きた出来事も、鮮明に覚えている。
(いや…そんなはずはない。)
夢なんかじゃない。あれは、確かに現実だ。
___何より、あの時蘇った記憶が全てを物語っている。
色々と考えたが、今は大輔が無事だったことを喜ぶべきだろう。
目の前で大輔が何の異常もなく眠っていることに変わりはないのだから。
「大輔……。良かった…。」
俺は力強く抱きしめる。
「心配してるのは分かるけど、そんなに強く抱きしめるなって。大輔が起きちゃうだろ?」
バイパーはそう言いながら俺の背中を優しく撫でた。
「大輔は当分寝かせたままでいいよ。先生に頼んで親御さんに迎えに来てもらってるからさ。」
「そっか。なら良かった。」
俺は安堵し、張り詰めていた気持ちを撫で下ろした。
「ところで悠真。俺に話したいこと、あるよね?」
「………。」
俺の背中に添えられているバイパーの手に、力がこもるのを感じた。
額に冷たい汗が滲む。
「警戒しなくてもまだ何もしないよ。先に、体育館裏の倉庫で待ってるね。」
バイパーはそう言って、保健室を出ていった。
あいつの表情は最初から最後まで不気味だった。
気持ちを悟られないように作り込まれた顔、相手の仕草を全て読んだような動き。
(お前はやっぱ、悪い奴なんだな。)
きっと体育館裏の倉庫に行けば、俺は二度と朝を迎えられないかもしれない。
大輔とたわいもない話をして大笑いすることも。
深夜までゲームすることも。
過去を振り返ることも。
(そういえば…ノートンと結局話せなかったな。あいつのこともっとよく知って、喋れてたら仲良くなれたのかな…。)
バイパーが来てから、一日で起きた出来事が何ヶ月もかけて起きた出来事のように感じた。
哲史は突然消えるし、変な怪物に遭遇するし。
バイパーは俺を…たぶん、殺そうとしてるし。
(ほんとに、なんで俺なんだよ。もっと他にいるだろ…。)
色々したいことはある。
色々思うことはある。
それでも____。
「行ってくるね。大輔。」
俺は、バイパーの後を追った。
──────。
ザッ、ザッ、ザッ……。
誰もいない学校で、一つの足音が響く。
茜色の光は地平線に隠れ、夜の闇が空を覆い隠し始める。
「おまたせ。バイパー。」
俺は、倉庫の前に佇んでいる一人の男に声を掛けた。
「じゃあ、始めようか。」
そう言いながら、全てを見透かすような鋭い目で、バイパーは俺を見つめた。
俺は固唾を飲み、口を開く。
「単刀直入に聞く__。
邪神を召喚したのはお前なのか。」
「哲史の存在を消したのもお前か。」
俺は淡々とした口調でバイパーを問い詰めた。
「………。」
心のどこかで「違う」と否定して欲しかった。
普通の高校生がそんなことできるはずないって。
俺も、巻き込まれただけだって。
本当は、ずっと信じていたかったんだ。
あの昼間の言葉も、バイパーの今までの気遣いも、全部が本物で、俺が勘違いしているだけなのだと。
バイパーは俺を騙すために、ずっと演技していただけだった。そう思えてしまう。それでも、たった一日だけの付き合いだったとしても、バイパーと過ごした時間を偽物にはしたくなかった。
そう思いたかった。
だけど__。
「……ふっ、ははっ!そんなことが聞きたかったの?俺はてっきり、もっと別のことについて聞いてくると思ってたのに。」
バイパーの声は高らかで、その顔にはやけに楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「何がおかしいんだよ。」
「いやいや、悪い悪い。そうだね。悠真の言う通り、邪神を召喚したのは俺だよ。」
「そっか……やっぱ否定はしてくれないよね。」
ぽつりと、俺は呟いた。
胸の奥に僅かに残っていた期待は完全に消え去り、冷えきっていく。
俺はポケットから携帯を取り出す。
何も対策しないで来たわけじゃない。
俺がここで殺されても、保健室で寝ている大輔がこの問題を必ず何とかしてくれるはずだ。
何をしても無駄かもしれない。だけど、俺は負けず嫌いだから、少しばかりの抵抗をする。
「今、バイパーが言った言葉は全てこの携帯に録音されてる。俺を殺そうとするなら、この録音をSNSに投稿してお前が犯人だってことを____。」
「あーちょっと待って。」
バイパーは俺の言葉を遮り、続けて言った。
「ごめんごめん。何か勘違いしてない?確かに、悠真の言う通り邪神を召喚したのは俺だ。でも、哲史ってやつを消したのは俺じゃないよ?」
「……は?」
何たわけたことを言ってるんだ。
消えたはずの哲史の学生証がバイパーから落ちたことを知っている。そしてその学生証はまだ俺が持っている。バイパーもどこで落として誰に拾われたか、なんてことはとっくに分かっているはずだ。
なのに、どうして、バイパーは誰でも分かるような嘘をつくんだ。
「…もしかして、自覚ない感じ?まーそっか、そんなもんだよね。なら教えてやるよ。誰が哲史を殺したのか。」
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