第56話 ―― 幕間:二人の観察者
ミレナ・ヴァレストは、建設途中の宿の骨組みを見上げていた。
まだ柱と梁だけの建物だが、形はもう見えている。
大工たちの掛け声が飛び、石工たちが基礎を固めている。
荷車が行き来し、資材が次々と運ばれてくる。
昨日この場所に来たばかりとは思えないほど、動きは速かった。
「順調ですね」
隣にいた部下が言う。
「ええ」
ミレナは短く答えた。
商人として長く各地を見てきたが、ここまで“町の芽”が早く育つ場所はそう多くない。
理由は簡単だった。
「人が集まる場所には、必ず商売が生まれる」
そして、ここにはすでに人が集まり始めている。
若い石工。
大工。
荷運び。
修復作業の職人たち。
まだ小さな数だが、流れは確実にできている。
「年配の職人は来ていませんね」
部下が小声で言った。
ミレナは少し笑う。
「当然でしょう」
視線の先には、巨大な石壁。
魔王城。
その名を知らなくても、この城が“普通ではない”ことくらいは誰でも分かる。
経験のある職人ほど、こういう場所は避ける。
だからここに集まっているのは、ほとんどが若者だ。
「ですが」
部下が言う。
「昨日の光……やはり見間違いではありませんよね」
ミレナは城壁を見上げた。
昨日、ほんの一瞬。
城の壁が淡く光った。
「見間違いではないわ」
ミレナは静かに言った。
都市を扱う商人として、魔導設備にはそれなりに詳しい。
水路。
街灯。
結界。
都市の維持には、古い魔導が多く使われている。
そして昨日見た光は――
「魔導回路」
ミレナは小さく呟いた。
「この城、まだ生きている」
ただの廃城ではない。
誰かが、城の設備を動かそうとしている。
ミレナは昨日の光景を思い出した。
床に這いつくばっていた、帽子の少女。
石を覗き込みながら、何かを調べていた。
「技術者がいるわね」
しかも、かなり優秀な。
だがミレナが一番気になっているのは、その少女ではなかった。
「城主」
フェリ。
若い少女。
だが決断は早い。
宿の建設を申し出たときも、ほとんど迷わず許可を出した。
普通の領主なら、もっと警戒する。
利権の話。
税の話。
縄張りの話。
だが彼女は違った。
「町になるなら、賑やかな方がいい」
そう言って笑った。
ミレナは小さく息を吐いた。
「面白い人ね」
部下が聞く。
「どうされます?」
ミレナは宿の建設地を見渡した。
まだ何もない平地。
だが、半年後には変わっているだろう。
「拠点を作るわ」
そして城を見上げる。
「この場所は伸びる」
商人の勘がそう告げていた。
◇
その頃。
遠く離れた丘の上から、城を見ている者がいた。
「……本当にやってるのね」
カティアは腕を組みながら呟いた。
視線の先には魔王城。
そして、その周囲で動く人の姿。
「宿まで建ててるじゃない」
少し呆れた声だった。
彼女は数日前、この城を訪れている。
その時の印象は――
「変わった少女が城を持っている」
それだけだった。
だが今は違う。
「人が増えてる」
荷車。
職人。
建設。
町の芽だ。
カティアは小さく息を吐いた。
「覇王様に報告したら、どうなるかしらね」
普通なら。
魔王城を使おうとしている時点で、軍が動く。
だが今回の件は少し違う。
あの少女は――
「戦う気がない」
むしろ逆だ。
城を直し、人を集め、町を作ろうとしている。
カティアは城壁を見た。
そのときだった。
城の一部が、ほんの一瞬だけ光る。
「……あら」
カティアが目を細めた。
淡い光。
すぐに消えたが、確かに見えた。
「結界?」
彼女は少し考える。
「それとも魔導回路?」
どちらにせよ。
ただの廃城ではない。
カティアは小さく笑った。
「面白くなってきたじゃない」
あの少女。
フェリ。
何をするつもりなのか。
そして――
「この城、本当に動くのかしら」
カティアはもう一度城を見上げた。
遠くからでも分かる。
あの場所は、少しずつ変わり始めている。
静かだった魔王城は、今。
確実に目を覚ましつつあった。




