第48話 ―― 覇王の使者と、静かな提案
魔王城の王の間は、
まだ完全には整っていなかった。
崩れた壁は新しい石で補修され、
玉座の周囲だけが辛うじて形を取り戻している。
それでも、数日前と比べれば見違えるほどだ。
フェリは玉座には座らず、
その手前の椅子に腰掛けていた。
「……こういうの、やっぱり慣れないなあ」
小さく呟くと、隣に立つリリが柔らかく微笑む。
「フェリちゃんらしくて、よろしいと思います」
レオンは少し離れた位置で腕を組んだまま、
入口を睨んでいる。
ミリアスは壁際で静かに様子を観察していた。
やがて重い扉がゆっくりと開いた。
案内役の後ろから、黒い外套の女性が一人歩み入ってくる。
背は高く、黒髪を後ろで束ねている。
紫色の瞳は落ち着いており、足取りには一切の迷いがない。
戦士というより、交渉人の雰囲気だった。
女性は王の間の中央まで進むと、静かに一礼する。
「突然の訪問、失礼いたします」
落ち着いた声だった。
「私はカティア・ヴェルグレイ。ヴェルディア方面に仕える者です」
レオンの目がわずかに細くなる。
フェリは少し首を傾げた。
「……覇王さんの使者、ってことでいいの?」
カティアはわずかに笑みを浮かべる。
「正式な使者、とは言えません」
一拍置き、続けた。
「今回の訪問は、私個人の判断によるものです」
王の間の空気がわずかに張り詰める。
ミリアスが静かに口を開いた。
「……つまり、独断ですか」
「そうなります」
あまりにもあっさりとした返答だった。
フェリはしばらく彼女を見てから、小さく息を吐く。
「……変わった人だね」
「よく言われます」
即答だった。
リリがくすりと小さく笑う。
フェリは頬をかきながら言った。
「それで……今日は?」
カティアは王の間をゆっくり見渡した。
補修されたばかりの石壁。
まだ新しい足場。
そして簡素な玉座。
そのすべてを一度だけ確かめると、静かに頷く。
「思っていた以上に、興味深い場所です」
フェリが首をかしげる。
「興味深い?」
「はい」
カティアは続けた。
「覇王様は“力による統一”を掲げておられます」
レオンが低く鼻を鳴らす。
「知っている」
「ですが」
カティアの紫の瞳がフェリを見た。
「あなたは違う」
王の間が静まり返る。
「力ではなく、“調和”を掲げている」
フェリは少しだけ困ったように笑った。
「……まあ、できればみんな仲良くできたらいいなって思ってるだけだけど」
その言葉を聞き、カティアの目がほんのわずかに細くなる。
「覇王様は」
ゆっくりと続ける。
「あなたに興味を持っておられます」
フェリの眉がぴくりと動いた。
「……え?」
「敵としてではなく」
一拍置いて、
「可能性として」
ミリアスが静かに息を吐く。
レオンはまだ警戒を解いていない。
フェリは少し考え込み、それから言った。
「それで……今日はその話?」
「半分は」
カティアは落ち着いて答える。
「もう半分は、もっと単純です」
彼女は補修された石壁に軽く触れた。
「人手が足りていない」
フェリは一瞬だけ固まった。
レオンが眉をひそめる。
カティアは淡々と続けた。
「覇王軍にも、戦いを望まない者はいます」
「……」
「職人、技術者、研究者」
静かな声だった。
「もしあなたが望むなら、そういう者を紹介することはできます」
王の間に沈黙が落ちる。
フェリはゆっくりとカティアを見た。
「……それって」
少しだけ目を細める。
「すごく美味しい話に聞こえるんだけど」
カティアは迷いなく頷いた。
「ええ」
そして、ほんのわずかに笑う。
「実際、美味しい話です」
リリが小さく息を吐く。
ミリアスが低く問う。
「……代わりに、何を望む」
カティアは少し考えてから答えた。
「今は――何も」
全員の視線が彼女へ集まる。
カティアはフェリをまっすぐ見た。
「ただ」
静かな声で言う。
「あなたの“調和”というものを、この目で確かめてみたい」
フェリはしばらく黙っていた。
そして、ふっと笑う。
「……うん」
少し肩の力を抜いて言った。
「じゃあ、とりあえず歓迎するよ」
カティアの紫の瞳が、ほんのわずかだけ揺れた。
フェリはそれに気づかないまま、笑う。
――魔王城には、まだ直す場所が山ほどある。
そしてどうやら この城は、まだ静かに大きくなっていくらしい。




