79:NATO代表会議
新世界歴元年 5月10日
ベルギー ブリュッセル近郊
NATO 本部
ベルギー王国は、西ヨーロッパのドイツとフランスという二つの大国の間に挟まれた「ベネルクス」と呼ばれる地域の南部に位置する人口1200万人ほどの王国である。国土面積でみればフランスやドイツに遠く及ばないものの、この国の首都であるブリュッセルには二つの巨大組織の本部が置かれていた。
一つが、アメリカとヨーロッパ諸国によって構成されている軍事同盟である北大西洋条約機構――通称:NATO――。
そしてもう一つが、ヨーロッパ地域の殆どの国が参加している国家連合である欧州連合――通称:EU――だ。特に欧州連合の本部が置かれていることからベルギーの首都であるブリュッセルは「ヨーロッパの首都」という異名もつけられている。ブリュッセルにはそれ以外にも多くの国際機関が集まっていた。
この日、NATO本部では加盟国ほぼすべての代表者が集結して緊急会合が開かれていた。
代表者を出していないのは物理的に離れたトルコだけで、それ以外のイギリスやカナダもヨーロッパに滞在している部隊の指揮官を代表者という形で参加させていた。トルコだけは、中東問題の対応と物理的にヨーロッパから距離が離れて過ぎているという理由で参加を見送っていた。
「中東はそれだけ大変なのか?」
ドイツ軍の参謀総長がこの中で最も中東情勢に明るいアメリカ欧州軍の指揮官に話をふる。
そして、たしかにその通りアメリカ欧州軍の指揮官は本国から中東に関する情報をしっかりと聞いており、ドイツ軍参謀総長の問いに渋い表情を浮かべながら頷いた。
「イラクとシリアがイスラエルを攻撃したのはすでに伝わっていると思うが――イスラエルに半ば返り討ちを食らったイラクは次にイラン南部に目標を変えて侵攻を始めた。また、これまで大人しかったイスラム武装勢力の活動も各地で活発化していてトルコはその対応におわれている――さらに言えば、パキスタンとインドの間もなかなかにきな臭いことになっているようだ。もっとも、この情報は数週間前のものだ。今では更に状況が変わっている可能性もある。トルコもソ連への警戒を強めているようだし、こちらに目を向ける余裕はそもそもないだろうな」
「ならば仕方がない――物理的に5万キロ以上も離れているのならばそんなすぐに戦力を送り込むことなど出来ないからな」
フランス軍参謀総長がそれならば仕方がないと納得したようにつぶやき、他の代表者も同意するように頷く。この場に集まっているのは基本的に軍人――あるいは国防を担当する文官たちなので基本的に理解はあった。まあ、本音をいえばトルコもNATOの中ではかなりの軍事力があるので増援が来てくれれば有難いというのが本音なのだが、トルコ軍の部隊をどうやってヨーロッパまで運ぶかの問題があるのでこればかりは仕方がないと納得もできていた。
さて、今回の会合の目的は日本とイギリスがガトレア王国から提供して貰ったバルカン半島に侵攻している異世界勢力――ガリア帝国に関しての情報共有がメインであった。すでに、まとめられた資料は各国の代表者たちの手元にあり何人かはその資料に目を通していたのだが、そこに書かれていたことをあまり認めたくなかったドイツ軍の参謀総長が、半ば無理やりトルコの話題を持ち出したのが現在の話の流れである。
(まあ、これを見れば現実逃避したくなる気持ちもわかるな)
動揺している各国指揮官を前に内心苦笑するのは、この情報を持ち込んだ側――イギリス陸軍第1軍団を指揮する中将だ。イギリス陸軍第1軍団は隷下の4個師団を常時、ドイツ・フランス・ベルギーに駐屯させており今回の世界融合においても、ヨーロッパから離れた本国と違って彼らの部隊はそのままヨーロッパに取り残されてしまった。彼らの存在があるから現在もイギリスはNATOや欧州連合から離脱できないのだが――まあ、それは今は関係はない。
苦笑している中将も、最初イギリス本国からこの情報をもらったときは絶句したほどだ。
それだけ、ガリア帝国というのは彼らが想像している以上に「やばい国」だったわけだが。
「――さて、眼の前の問題から目を背けるのはここまでにして。この戦争はどこまでやるべきなんだろうな?」
このまま現実逃避をしていても埒が明かないとばかりに議論の修正を行うアメリカ欧州軍司令官。
彼の本音とすれば、ヨーロッパの現状を考えるにある程度の脅威は排除すべきだと考えている。一方で本土侵攻となれば必然的に長期戦になり、本国から増援が見込めない現在のアメリカ軍からすればあまり賛同したくはなかった。
そして予想通りの答えをイタリアがした。
「当然ながら眼の前の脅威を排除すべきだ。この情報どおりなら相手は自民族至上主義で他国民を見下す傾向にあるという。普通の手段で交渉を進めるのはまず無理だろう。なら、相応の打撃を相手に与えて交渉の椅子に引きずり出すしかない」
「そもそも、まともに交渉できるのか?捕虜の態度はかなりひどいものだという話だし、この資料を見る限り高位軍人の大半が貴族だけで選ばれているというではないか。高位の外交官なども似た思想を持っている可能性は高い」
「――その、ガトレアという国はガリアと敵対していたのだろう?実際のところ交渉はどのように進めていたんだ?」
話をふられたのは、この中で最もガトレア王国と交流しているイギリス軍の中将だった。
ただ、彼自身。本国がどれだけガトレアを話をしているのかわかっていなかった。それでも、幸いだったのは本国から一通りの資料が送られていることだろう。ガトレアの対ガリア外交に関する資料も中将の下には届けられていた。
「本国からの資料によれば――交渉はかなり苦労していたらしい。基本的に交渉は長期戦になりやすいらしい」
「長期戦か……はっきり言って長期戦は向こうのほうが有利だ。持っている資源の桁が違う」
「今はまだいいが、これ以上続けば世論はこれ以上の戦闘を求めないだろう」
「世論がそういった風潮になれば政府はそれに応じなければいけない……長く見積もっても一年を超えるような戦争にはしたくないだろうな」
「だが、この戦争一年で終わらせるのは無理があるぞ?」
アメリカ、フランス、ドイツといった主要国は揃って戦闘の長期化は避けたいと考えていた。
長期にわたる戦時体制は国の経済に大きな影響を与える。主要国の政府はそのことを気にしていたし、長期戦になればなるほど世論が戦闘そのもに対して否定的な考えになることも懸念していた。フランスは半ば本気でガリアの首都に核兵器を落とすべきではないか?という非常に物騒なことを考えていたほどだし、アメリカも実はフランスと同じことを半ば考えていた。
それを実行しなかったのは、世論に与える影響と相手が「同じものを」持っていた場合それこそ終末戦争になるという理性が働いているためだった。
「まずは、バルカン半島から奴らを叩き出すことが先決だ――後のことはその時考えればいい」
イギリス軍指揮官の言葉に他の参加者たちは「それはそうだ」とばかりに頷く。
ただ、バルカン半島からガリア軍を叩き出すのはそう簡単にできる話ではない。現時点で戦線を維持するのがやっとであり、追加の兵力を前線に送り込んではいるが。すでにギリシャの大部分とブルガリアのほぼ全土がガリアによって占領されているのだから。
両国に隣接しているユーゴスラビア連邦はすでに一部地域に避難命令を発令し、同国南部にあるマケドニア全域やセルビアの一部には避難命令が出されており、住民たちの大半が隣国などへの移動を余儀なくされていた。
「叩き出すにしても、相手の戦力を見るに全力でぶつけてきたら数の面では我々が圧倒的に不利だ。技術レベルも地球とあまり変わらないことを考えると……こちらもさらなる増援が必要だ」
「今の時点でも予備役に動員をかけているんだぞ?これ以上となると……それこそ、国家総動員法を発動するしかない」
国家総動員法――それは国家存亡の危機と判断した時に発令される総動員令でありフランスやドイツにイタリアなどヨーロッパの多くの国に存在している法律だ。第二次世界大戦後にこの法律を制定した国も多くあり、実際に国家総動員法が発令された事例は第二次世界大戦後のヨーロッパに限定すれば皆無だった。
そして、各国政府――特にドイツやフランスといった主要国政府は国家総動員法発令に非常に慎重であった。そんなことをすれば世論からの強い反発を受け、反欧州連合勢力が勢いづくのでは?といった懸念が彼らにあったし、それだけの兵力を一気に用意できる覚悟もまた彼らにはなかった。
そして、主要国のそういった及び腰をギリシャやブルガリアの首脳は強い言葉で非難していた。 曰く「対ソ連のために作られた機関なのに、ソ連以外とはいえ実際に攻め込まれたらどこの国も及び腰で協力的ではない。なんのための集団安全保障体制なのだ」と。
自国が攻撃を受けいている中で各国の動きが遅いことに対しての苛立ちからの発言であり、欧州メディアも積極的にこのことを報じた。そのことに焦ったドイツやフランス政府は「ギリシャを見捨てるつもりはない」という声明をだし、予備役のさらなる動員を決定しているが、やはり「国家総動員令」を発令する決断まではできていなかった。
国家総動員令を発令することで戦況が必ず改善するわけではない。
だが、現地からの報告を見るに一刻の猶予がないのは事実であった。
「幸いなのは、ブラジルとアルゼンチンの地上部隊が到着したことだな」
今回の融合によって地形は大幅に変わった。そして、ヨーロッパの近くには南アメリカ大陸があった。その、南アメリカからはブラジル・アルゼンチン・チリの3カ国を主体とした有志軍がヨーロッパ救援を目的に派遣されていた。すでに、ブラジルとアルゼンチンの艦隊は地中海に展開していたのだが、数日前には両国の地上部隊がイタリアに到着していた。
色々と憂鬱になる事が多い報告の中で数少ない「いいニュース」がこの両国の地上部隊が到着したことだ。到着したのはブラジルは1個師団。アルゼンチンは1個旅団で、いずれも両国軍の最精鋭部隊だった。
最終的には両国合わせて10万人規模の地上部隊がヨーロッパにやってくる予定になっていた。
また、チリやペルーといった他の南米諸国の軍も近いうちに到着予定で色々と足並みが揃っていないヨーロッパと違って南米では一致してヨーロッパ支援ということでまとまったようだ。まあ、もちろんこれらすべてが単なる「善意」ではないのだが、どのような理由であれ今のヨーロッパにとっては有難い援軍であった。




