76
新世界歴元年 5月3日
ガトレア王国 キーファ
首相官邸
ガトレア王国の首相官邸で行われている日本の安川総理大臣と、ガトレア王国のスヴェンソン首相によって行われている首脳会談は冒頭から、ヨーロッパを攻撃しているガリア帝国とそのガリア帝国に大きく関与しているとされているテロ組織の話がメインとなっていた。
「……その組織の名前というのはわかっているのですか?」
「ええ。彼らは自らを『ウロヴィロス』と名乗っています」
そう言ってある1枚の紙をスヴェンソンは安川に手渡す。
その紙に書かれていたのは、一匹のヘビのような生物が円を作るようにしたマークのようなものだった。スヴェンソンは「それが彼らのマークらしいです」と付け加える。
名前の響きからして察していたが、どうやら地球でいうところの「ウロボロス」と似た存在なのだろう。地球においても古代の象徴として己の尾を噛んで円のようなものになったヘビや龍を図案化したものが存在する。きっと、テラスにも似たような文化があるのだろう。
このマークにはいろいろな意味があるとされるが、ヘビは「不老不死」や「死と再生」などの象徴と古くから信じられていたし、それが発展して「始まりも終わりもない完全なもの」という意味合いでも使われていた。
「彼らが何を目的にしているのかは現時点でもわかっていませんし、そのマークを巡っていろいろな憶測が各国の間で起きています」
「地球でも似たような図案があります。意味は様々ですが『不老不死』であるとか『完全なもの』の象徴で使われることが多いです」
「テラスにおいても概ね同じ意味合いを持っていますが、如何せん行動理念を含めて謎が多すぎる組織でして……なぜガリアのクーデターに力を貸したのかも一切わかっていない状態です」
これが何らかの主義主張を世界にアピールするならば、まだわかりやすいのだ。
彼らにとってテロというのは自分たちの存在を誇示するための行動の場合が多いからだ。
しかし「ウロヴィロス」の場合は一切わからない。彼ら自身が直接手を出すことは一切なく、何らかの国家や組織を経由して行動するからだ。そして、それらの組織や国家というのは基本的に自らの欲望のために行動しているのが大半だった。
「今回のヨーロッパ攻撃も『ウロヴィロス』が関わっている可能性は?」
「可能性はあると思いますが。目的まではわかりません。それに、ガリアによる暴走の可能性も否定できないかと」
「……なるほど」
スヴェンソンの推測に安川は頷きながら思考を巡らせる。
もし「ウロヴィロス」が社会の混乱を望んでいるのだとすれば、ヨーロッパは絶好のターゲットになりうる場所だ。融合前のヨーロッパは社会が真っ二つに分断しているような状況だった。増加するアフリカや中東方面からの難民や、東欧諸国からの移民によってフランスやドイツといったヨーロッパの中心的な国では治安の悪化やあるいは、文化の違いによるトラブルが続発していた。
やがて、各国では民族主義系の政党に支持率が集まるようになる。彼らは基本的に移民や難民の流入を制限することを第一の公約に掲げ、更に各国に難民の受け入れを半ば強制した欧州連合を徹底的に批判した。時を同じくして中南米からの不法移民の問題に悩まされていたアメリカにおいても二大政党以外から初めて大統領が選出されたが、彼もまた民族主義系の政治組織の支援を受けて立候補し盤石な組織票を持つ二大政党の候補者を破っての大統領選出だった。
このように、世界的な統合に向かっていた世界は急速に「自国主義」路線に回帰するようになったのだ。一方で、それに反対する勢力も当然ながら一定数いるわけで、両者による激しい対立が欧米各国で見られるようになった。
そして、世界融合が終わってもそれらの火種は各地に燻っている。
もし、「ウロヴィロス」が社会を混乱させるために双方あるいは片一方に協力するようになるとヨーロッパは一気に百年前の騒乱の時代へ逆戻りになる可能性があった。
安川はすぐに、スヴェンソンに自身の考えを伝える。
スヴェンソンは安川の推測を真剣な表情に聞いてこう答えた。
「その可能性も十分に考えられますね……実際『ウロヴィロス』が関与したとされる国や地域では激しい内戦や紛争が起きているところが多いのです。ガリアも表面的には平和だったとされていますが、やはり近隣諸国と国境などを巡る小競り合いが起きていたという話もありましたから」
とはいえ、このことをヨーロッパ諸国に伝えるかどうか安川は悩んだ。
相手は、一切その素性がわからない組織だ。
異世界で良からぬ企みの組織が暗躍しているので十分に気をつけてほしい、などと言っても向こうの情報機関も頭を抱えるだけだろう。だが、一応情報の提供だけはすべきであろうと安川は感じた。
おそらくヨーロッパではガリアとの戦争が終わったとしても様々な問題が起きるだろうから。
新世界歴元年 5月3日
ガリア帝国 ガラザード(帝都)
ガリア帝国の首都であるガラザードは同国の北東部に位置する人口300万人ほどの都市だ。
ガリアがまだ小国だった頃からガラザードは同国の首都であり古くからの城塞都市であった。
現在では再開発が行われた結果当時の面影はほぼ消えており、市街地は近代的な高層ビルが整然と立ち並んでいるが、見るものが見れば「無機質」という感想を持つ町並みをしていた。
市内中心部に聳え立つ荘厳な宮殿がガリア帝国の政治の中枢である「ガラザード宮殿」だ。
ガリアが「帝国」になった際に建てられたものであり、ガリアにおける権力の象徴ともいえる建物であった。内部も各地から集められた豪華な装飾品が飾られており、これもまたガリアの財力を象徴するものとされている。
宮殿の一角にある会議室では皇帝や主要な閣僚――そして軍高官たちが集まりバルカン半島の攻略状況の報告会が行われていた。
「――現時点で作戦は順調に推移しており。程なく全土を掌握することができるでしょう」
軍の高官が用意した報告書を読みながらも周囲の反応を伺うように見渡すと、閣僚を務める高位貴族や皇帝から冷めた視線を向けられていることに気づく。
「順調といったか?もうすでに作戦が始まって3か月経っていて、未だに全土の掌握ができていないようだが。たしか、貴殿らは1か月以内に制圧できるという話を聞いたと思うが、私の気の所為だったか?」
「いや、私も同じことを聞いている」
「私もだ」
一人の閣僚――財務長官を務める侯爵がわざとらしく呟くと他の閣僚たちから次々と同様の声があがり一層冷めた視線が軍の高官に向けられる。つまりは「最初の報告と違うじゃないか」と、彼らは軍を批判しているのである。
「た、多少の抵抗による遅れは想定の範囲内ですので」
「想定の範囲内ねぇ……それで、本当に制圧できるのだろうな?」
「もちろんです。蛮族どもも抵抗する力が殆ど残っていないのか反撃は散発的なものになっています」
軍高官はそういって胸をはるが周囲からの視線は相変わらず冷たいままだ。
「つまりは、蛮族の制圧にそれだけの時間がかかっているということか?たしか、ガトレアのエルフどもに敗れた時も似たような報告を受けていた気がするが……余の気の所為だったかな?」
この中で最も豪奢な椅子にこしかけた男の発言に軍高官は震え上がった。
男は30代くらいに見える整った容姿をしており、椅子と同じように豪奢な衣服を着ている。
男の名はルイフォン――ガトレア帝国10代目の皇帝であり、ガトレアの最高権力者であった。
「そ、それは……」
まさに肉食獣に直面した小動物のように身を縮こませる軍高官。
実際、数年ほど前に宿敵のガトレア王国との間で起きた小競り合いに敗北したときにも彼は同様の発言をしていた。
まさか、敵がここまで戦力を抱えているとは思わなかった――これが高官の本音だった。
相手の反撃はそこまで激しくないと軍参謀本部は考えていた。情報提供者から相手の国力はさして高くないという報告を受けていたのもある。だが、すぐに相手側の援軍がやってくるのは彼らにとって想定外だった。お得意の物量でもって支配領域を広げているが、本来なら一ヶ月もあれば半島全土は制圧できると参謀本部の高官たちは本気で信じていた。
結局、報告会は終始空気が張り詰めたまま終わる。その内容は殆どの出席者にとって覚える価値のないものだったことを付け加えておこう。
「――お前の指図か?」
皇帝は自分の執務室に戻ると同時に背後に目を向けた。
「おや?どういう意味ですかな」
そんな言葉と同時に、のっぺりとした一切特徴を感じさせないスーツ姿の男が姿をあらわす。
どこか人を小馬鹿にしたような軽い調子の口調だが、その表情は一切の感情が乗っていない――一言で言えば不気味な男だが、皇帝は特に気にせずに言葉を続ける。
「どうせ、参謀本部の連中に何か言ったんだろう?」
「さすがは陛下。ご存知でしたか。ええ、すこし参謀本部の皆様にアドバイスをいたしました。まあ、相手があそこまでの戦力を持っているとは私も予想外でしたが」
そう言って男は苦笑を浮かべるが、それもまたわざとらしさを感じる。
「どうだか――どうせ、お前たちのことだ。相手のことを知ったうえで参謀本部の奴らを焚き付けたのだろう?どういった目的があるかわからんが……」
「陛下にとって悪いことではないでしょう。これで害虫駆除はやりやすくなったのでは?」
「たしかに、参謀本部の首をすげ替えやすくはなったな。必要な犠牲かは微妙だが」
「変化には犠牲がつきものですから」
どこまでも道化師のような男だ――と皇帝は内心舌打ちをする。
この男との付き合いは長い。皇帝になる前、皇太子時代に先代皇帝に紹介されたのが最初だ。はじめはこんな不気味な男を皇帝の側に置いていいのか、と考えたがガリア発展に深く貢献したと言われればそれに従うしかない。
この男は「ウロヴィロス」の幹部だという。正直、皇帝はそれ以上の情報を知らないし、あまり目の前の男を信用はしていないが。排除に動けば逆に自分が排除されることは理解していたので手出しはしていない。先代皇帝――父から忠告を受けたのだ「ウロヴィロスには逆らうな」という忠告を。
何人か「ウロヴィロス」を排除しようと行動した者がいたらしいが、いずれも悲惨な末路で終わったらしい。長く生きたいならば「ウロヴィロス」の言うとおりにしろ――というわけだ。
そもそも「ウロヴィロス」という組織自体なんなのか皇帝にもわからない。
きっと、歴代皇帝もわからないだろう。だが、彼らの言うとおりに行動してクーデターを起こして大帝国を築くことに成功したのだから、初代皇帝たちにとってみれば彼らは救世主のような存在なのだろう。
「――国にとって害がないのならば好きにしろ」
「ええ。もちろん、むしろこの国は更に大きく発展しますよ」
男はそれだけ言い残して音もなく姿を消した。
「――今、軍が攻め込んでいる地域で何かをするつもりか?まあ、私には関係のないことだ」
仮に「ウロヴィロス」によって国が一つ消えたとしても皇帝にとっては他所のことだ。
そのことに心を痛めるほど繊細な心はしていないし、正義感もない。仮に、正義感があったならば彼は皇帝という椅子に座っていない。
ガリア帝国皇帝――絶対的な権力者――だと人々は思うだろう。だが、その実態は「ウロヴィロス」の傀儡でしかない。




