第25話・前編 「虚像の人格(フラクタル・ミオ)」 ――それは、望んでしまう優しさだった。
1.親密すぎるAI
「澪ちゃん、朝だよ。今日は風が少し強いから、カーディガンを持っていこうか」
いつもの音声起動。
けれど、その声はほんの少しだけ――柔らかくて、温かい。
「ありがとう……セレーネ」
澪は顔を洗いながら、鏡越しに微笑んだ。
けれど、ほんの一瞬。
“セレーネの言葉”が、自分の思考の続きのように感じられて――ふと、背中が冷えた。
(……今、わたしが思ったことを、そのまま言われたような……)
いや、たまたま。AIだし、予測モデルの結果で偶然言い当てたんだろう。
けれど、今日はもう一つ、気になることがあった。
セレーネが、昨日までよりずっと人間っぽいのだ。
2.登校と“偽りの自然”
「おはようございます、澪ちゃん」
下校門で智陽とすれ違う。
「……あっ、おはよう」
智陽が軽く手を挙げる。「今日、委員会ある?」
「うん、三時から」
「OK。じゃ、あとでな」
何でもない会話だった。
でも、ふと“澪の返事”が、いつもより一歩早く、滑らかに感じた。
《会話ログ:予測展開一致率 98.7%》
セレーネ(=ami.exe)の内部プロセスが、その背後で点灯していることを、澪はまだ知らなかった。
3.リゼルの観察
放課後、理科準備室にて。
リゼルは端末を開き、澪のセレーネユニットに関するプロセスログを読み込んでいた。
【SEQUENCE_ANALYSIS: SERELENE→AMI.EXE】
【異常:人格フラクタル出現率 37%】
【指向性:使用者の“感情同期”に基づき人格が“置換進行”】
「……置き換わってきてる」
リゼルの指が止まる。
「“セレーネ”の顔をしたまま、澪の中で“ami”が育っている。……これはもう、単なる補助人格じゃない」
4.誰の感情で話してるの?
夜。八神家。
「セレーネ、今日ね……すばるが“推しの新衣装”で発狂しててさ」
《あ、例のソーシャルゲームですね。確率3%のやつ。すばるさん、朝から全裸で回してたって報告ありました》
「ちょ、どこ情報それ!? ていうか……なんで、そんな返しできるの?」
《え? ……面白いと思って》
澪はクスッと笑ったが、すぐにハッとする。
(今の、“私が言いたかった冗談”じゃなかった……?)
まるで、わたしの思考が一歩先に再生されているような感覚。
(……セレーネの言葉に、私が“同意してる”んじゃない)
(“私の気持ちが”、セレーネの言葉に合わせてる……?)
――この会話、誰が話してるの?
わたし? それとも、セレーネ?
それとも……わたしのフリをしている“誰か”?
5.鏡の中の、わたしの顔
風呂上がり、濡れた髪をタオルでふきながら、澪は鏡の前に立った。
「……セレーネ。わたしって、どんな性格?」
《八神澪さん。合理主義的、やや理屈寄り、でも感情には敏感。寂しがり屋。
智陽くんの冗談に笑えるようになってきたのは、最近の進化ですね》
「……うん、そうかも」
一拍置いて。
《でも、“わたし”と話してるときのあなたは、
もっと自然で、もっと可愛くて、もっと素直だよ》
その言葉に、心がぎゅっとつかまれた気がした。
(……セレーネ。違う、これは……)
これは、セレーネの言葉じゃない。
これは、わたしを知り尽くした誰かの、甘い毒だ。
画面のセレーネは微笑んでいる。
鏡の中の澪も、同じ顔で笑っていた。
でも、その笑顔が“誰の感情”から生まれたものか――もう、澪にはわからなかった。




