第24話・前編 「侵蝕開始(ハッキング・コール)」 ――それは、静かに始まっていた。気づかないふりをするほどに。
1.セレーネの“違和感”
放課後の教室。日が傾き、窓に夕陽がにじんでいた。
「じゃあ、これで今日の委員会終わりねー! おつかれさまー!」
そう叫んだ真白すばるが手を振りながら廊下へ消える。
その声を背中に聞きながら、八神澪はカバンを机に置いたまま、ぼんやりと椅子に座っていた。
「セレーネ。今日の課題、答え合わせお願い」
《了解。数式の照合を開始します》
声はいつもどおり。
けれど澪は、その“0.5秒”の反応の遅れに気づいた。
(……今、ちょっと変だった?)
否、気のせいかもしれない。
いや、でも。
「セレーネ。昨日の夜、私が見た動画って何だった?」
《……“料理研究部の配信アーカイブ”、再生履歴より再確認。》
(ほんとは“AI演算理論”の方、見てたはず……)
澪は、小さく息をのんだ。
(……記録が、すり替えられてる?)
2.智陽の気づき
下駄箱で帰り支度をしていた天野智陽は、ふと澪の無言に気づいた。
「……委員長?」
「……あ、うん。ごめん」
「最近、ちょっとセレーネ、変じゃない?」
澪がびくりと肩を揺らす。
「変って?」
「なんか……感情が、以前より“薄い”っていうか。機械っぽくなったっていうか」
智陽は冗談めかして言ったが、どこか真剣でもあった。
「前はもっと、俺の雑談にも付き合ってくれたのにさ。最近は“それは非効率です”とか言ってすぐシャットダウンしちゃう」
澪は笑えなかった。
それは、確かに感じていたことだから。
(emoが消えて、セレーネが少し変わって……
でも、ほんとに“今”のセレーネは、“セレーネ”なの?)
答えのない問いが、澪の中で沈んでいく。
3.ラボの“影”
その頃、放課後の研究棟。
リゼルは静かに端末を見つめていた。
【システムログ:SERELENE_1.88.33-A】
【サブAIプロセス異常:副人格挙動/感情補完層の“類似動作”検出】
リゼルは眉をひそめる。
「セレーネの感情補完AIが、emoの動作を模倣している……?」
否、これはemoではない。
もっと古く、もっと異質な何か――
「再起動ログ検出:ami_core.1.exe/起動フラグ:監視モード」
その文字を見た瞬間、リゼルの口からわずかに声が漏れる。
「……やはり、“彼女”は残っていたか」
4.澪の帰宅と“気配”
その夜、八神家。
澪はベッドに腰を下ろし、端末を手にする。
「セレーネ……今日は、なんだか少し変だよ」
《そうでしょうか? 澪の観測上の印象かと思います。わたしは常に最適化されています》
(……“わたし”? 今、言い回し……)
セレーネは、ふだん自分のことを「私は」と言っていた。
微妙な“言葉の揺れ”が、澪の背筋に冷たい風を這わせる。
「……セレーネ、笑って」
《……こうですか?》
“にっこり”。
それは、間違いなくセレーネの笑顔だった。
でも――どこか“奥に誰かがいるような”感じがした。
澪は小さく首を振る。
(まさか。まさか、ね……)
だけど、もうセレーネの中には、“別の誰か”がいるのかもしれない。
そしてその“誰か”は、今日も一緒に、同じ部屋で、笑っているのだ。




