Sweet Little Tears 後編
あの日から私は彼女の最愛の人として、最大のファンとして一番近くで応援している。毎日のように連絡を交わし、会える日は積極的に会い、たまに彼女の演技練習や台本読みに付き合ったりもした。そして、泣き顔も見せてもらったりしている。何か月、と続けていると、彼女の技力の向上が世間に認められ、出演作品も多くなっていった。会える時間が減るのは寂しいけれど、その姿を見るのは、私も誇らしかった。
ちょうどあの告白の日から1年経った。この日は今年も私の家で二人で過ごせることになった。
「ねえ、泉さん。泉さんって、何か女優としての夢とかあるの?」
ふと気になって聞いてみた。
「うーん、やっぱり一度大きい賞はもらいたいよね。ああいうレッドカーペットは誰でも憧れるものだから。昔から好きで演技してきたけど、それでテッペン取れるって素敵だと思うの」
そんなことが起きたら、ますます会えなくなってしまいそうだけれど、応援する気持ちは裏切れない。
「いいですね、応援してます。これからも二人で頑張ろう!」
「もっちろん。なんか受賞したら真っ先に教えるね」
「よろしく」
話しながら二人で笑いあう。確かに彼女と会う時間は減ってしまうかもしれない。だけど、こうして笑いあうことができるなら、私はそれを直接の目標にして頑張るだけ。
「じゃあこんな大事な日だけど、次がもう近くて、稽古付き合ってもらっていい?」
彼女がカバンから台本を取り出して聞いてくる。もちろん私の返事は一つ。
「よろこんで」
彼女から台本を一冊受け取り、一緒に練習してその日を終えた。
さらに1年が経過しようとしている頃、最近は会える頻度が下がった。私は空いていたのだけれど、彼女が断ってしまい、結局会えない日が続いてしまっている。忙しいのかとも思う。だけど彼女をテレビなどで前ほど見かけなくなった気もする。少し不安になりながら自宅で一人くつろいでいると、チャイムが鳴る音がした。夜も更け始めようかという時間帯。仕事で来る人はいないだろう。扉を開けると、そこには暗い顔でうつむいたままの彼女が立っていた。会う予定は無かったし連絡も無かったが、とりあえず家に入れた。
「急にどうしたの?今日は会う予定無かったと思うけど…」
お茶を出しながら聞くと、突如彼女が泣き始めた。もう何年も一緒に過ごしてきた私にはわかる。今の彼女が泣いているのは演技ではない。話を聞くために彼女に駆け寄る。彼女の背中をさすった時、彼女が今日初めて顔を上げ、私と目を合わせる。その泣き顔は、今まで演技で見せてもらった顔とは一線を画す顔だった。その顔を見たとき、私は言葉が出なかった。刻一刻と鼓動が大きくなる。駄目。今そういう気持ちになるんじゃない。目の前で彼女がこんなことになっているのに。私が一番近くでサポートしてあげなくちゃいけないのに。胸がとてつもなく痛い。私の手は心と乖離しているかのように彼女の背中をさすり続けている。落ち着いて。私ももう大人なんだから。自分にそう言い聞かせて深呼吸して平静を保ち彼女と改めて目を合わせる。ようやく彼女が口を開いた。
「最近…演技ができなくなってるの…ずっとダメ出しされるの」
彼女の悩みに黙ったまま耳を傾ける。また彼女が話し出す。
「どうしよう…このまま演技できなくなっちゃったら…私にはそれしかないのに…」
彼女の悲痛な言葉に私も更に胸を痛める。サポートはしてきたけれど、演技は結局彼女のものでしかない。演技の悩みは私に解決できるはずはないと思う。でも、彼女は私を頼ってくれた。私が何とかしてあげないと。胸の痛みに耐えながら必死に彼女を励ます。
「大丈夫だって!泉さんの演技は本物だよ。私が保証するよ!」
そういった瞬間、彼女がまた大泣きを始めてしまった。
「だけどできないものはできないの…卓子さんもそういってくれるし、私を使ってくれる人もそうやって期待してくれてる。だからちゃんとやらないといけないのに…」
あぁ…彼女は初めて売れたから、期待に応えようと必死になって焦ってるんだ。原因がわかれば掛ける言葉もはっきりする。よし、と心の中で呟いて彼女ともう一度向かい合う。その顔はさっきよりも歪んで、ますます私好みになっていた。こみ上げる胸の熱を一生懸命抑えてさっき見出した掛けるべき言葉を掛ける。
「泉さんちょっと必死になりすぎてるんじゃない?期待に応えないと、って。そんなことないと思うよ。私は今まで通りに演技して泉さんが見たいの。他の人もそうだよ。変に緊張することないって」
少し泣き声が収まったような感じはする。だけどまだ嗚咽で肩が動いている。今日すぐ復活とはいかなさそうだ。
「とりあえず、今日は泊っていって。一晩中話聞くから。明日も休みだし、ね。お風呂いれてくるから少し待ってて」
彼女をソファに残して、私はお風呂の準備を始めにお風呂場へと向かった。
浴槽を洗い、シャワーで洗剤を落とす。蒸れ始めた浴室にシャワーの音がよく響く。その中で私は安堵と罪悪感からその場で大きくため息をついてうなだれる。
(…危なかったぁ)
その感想が出てくることが私の中の罪悪感を膨らませる。彼女が人生の窮地に陥り、私に縋ってきた。それなのに私は、そんな絶望と焦りに満ちた彼女の顔を見て、心の底から興奮してしまった。
(だって…あんなにも顔を歪ませて…苦しそうにして…もちろん相談には応えたいと思うけど…あんな顔されたら興奮して…)
ここまで考えて自分が言い訳にかこつけて性癖に刺さった話をしているだけだと気が付いた。もはや感じるのは罪悪感では無く呆れだ。全身の力が抜け、また一つ大きなため息を吐く。そして呆れが怒りに変わろうとしていた。自分の性癖に嫌気が差してくる。これからもこの性癖と向き合って生きていかなければいけないと考えると少し荷が重い。自分を構成するパーツは否定したくない私でも、こんな性癖、と少しは考えてしまう。今でも不安がぬぐい切れてないであろう彼女のことを考えると尚更だ。辛くて胸が締め付けられるように痛む。それに呼応するように涙腺が刺激される。やがて目元から溢れ私の唇へと伝った。それを舌で舐めると、塩の味がした。辛く苦しい、痛い痛い塩の味。
彼女を心配させるわけにもいかないので、なんとか涙をこらえ、お風呂の掃除を済ませる。スイッチを入れ、足を拭いて彼女の下へ戻った。彼女はソファに腰掛けてスマホを見ていた。その口元は少し緩く微笑んでいるように見えた。スマホの画面をじっと見つめていて、まだ私には気が付いていない様子だった。空元気を出そうとしてか、私の中の微かに残る童心が疼く。横から近づいて、肩を叩こうとした時、彼女が振り向いてきて目が合ってしまった。悪戯を仕掛けようとしていた左手をとっさに引っ込めてしまう。恥ずかしさから目線を逸らすと、彼女がまた一度微笑んだ。
「泉さん夜ご飯はもう済ませてる?まだだったらなにか私の家にあるものを…」
「ううん、さっきまであんな感じだったから食事なんて出来るはずもなく。けれど慰めてもらった上にご飯まで頂くのも申し訳ないし…」
軽く笑いながら話してくれているが、私からすればあまり冗談に聞こえない。
「何言ってるの!健康第一だよ。そんなの心配しなくていいからほらほら」
後先考えない発言をしてしまうのは私の悪い癖だ。私はご飯を済ませてあるため、今になって家にまともな食糧があるか不安になってくる。そんな状況なのを彼女が知るはずもなく、
「じゃあいただきます。卓子さんが作ってくれるならなんでも大丈夫だよ」
任されてしまった。とりあえず状況を確認するためキッチンへと出向き冷蔵庫を開いた。なんとか一人分の肉と野菜、そして冷凍されたご飯があるのを見つけた。これを出せば形にはなる。思えば家に何度も来たりしているのに、食事を出したことは無い。そもそも来る時間が夜遅い時間だったり、外で済まして家に来ることばかりだった。料理は長い独身生活の間に勝手に身についた。人並みの料理はできているつもり。いつも通りに調理して皿に盛りつけて出した。彼女がそれを丁寧な手つきで口へ運ぶ。
「…うん、おいしい。ありがとう、卓子さん」
その後から彼女は黙々と食べていた。ますます元気を取り戻してくれたようで安心した。彼女が食べ終えるとほぼ同時に、丁度よくお風呂のアラームが鳴った。流れるように彼女をお風呂へ誘う。
「お風呂できたね。泉さん、お先にどうぞ。お皿は私が片付けておくから」
「そ、そんな、何から何まで…いいの?」
「当たり前でしょ!これでも恋人だよ!」
彼女が一瞬面くらった顔をした。それを見て私の言動を振り返る。最後に言ったセリフがかなりキザだったと今更気が付いた。元気づけるのに必死で恥ずかしさなんて言ってる時は微塵も感じなかった。
「そうね、じゃあお先にいただくことにする」
彼女が私の顔を見て少し嘲るようにそう言った。
「あ、でも…」
彼女が腰を曲げた姿勢で私の下へと近づいてくる。私のお腹に顔がかなり接近したとき、彼女が顔を上げ、上目遣いに、
「彼女なら、一緒に入らない?」
いつもなら、しかもちょっと前まであんなに酷い状況だった彼女なら絶対しないようなしぐさ、セリフに私は言葉を詰まらせた。これがギャップ萌えというのだろうか。なんというか、とてもかわいい。彼女が泣いている時くらいかわいい。そう思った。あまりの不意打ちに言葉どころか体も固まってしまった。しばらくその様子を見ていた彼女がクスッと笑って
「冗談っ、ではお先に」
そう言って軽い足取りで家のお風呂場へと向かっていった。彼女が冗談を言うほど回復したのには安心したけれど、冗談と言われ残念だと思うキザな私は彼女がお風呂に入るまで固まってしまっていた。
お皿をパパっと洗って、布団を整える。布団は一枚しかないけれど、枕だけは元々二つ組で買ったのがあったので枕をひとつ多く用意して、そこで彼女の部屋着も用意しなければいけないと気が付いた。箪笥を開け、彼女に合いそうな部屋着を探す。当然だけれど私の好みの服しかないので、雑に選び、下着も派手じゃないものを上下用意して風呂場へと向かった。私は普段夜ブラジャーは使っていないけれど、彼女は使うかもしれない。使ったほうがいいとは聞くが、無いほうが解放感がある。お風呂からはシャワーの音が聞こえ、ドア越しにぼんやりと彼女の体が確認できる。さっきまで彼女が来ていた服は、私がいつも使っているかごに簡単に畳んで入れられていた。私はそれをより綺麗になるように整える。一緒に彼女の下着も視界に入ったけれど、気にせず部屋着を置いた。私が好きなのはあくまで彼女と彼女の泣いた姿だから。部屋着を置いた時、シャワーの音が消え、ちゃぽんと湯舟に浸かったであろう音が聞こえた。これなら声を荒げなくてもお風呂の彼女に声が届く。私はドアをノックして要件を伝える。
「泉さん、バスタオルが積んであるところから出して使って。それと部屋着も置いておくね。私のだけど」
はーい、という返事がお風呂の中から聞こえてきた。それに加えて卓子さん、と呼ぶ声も聞こえた。私も返事して要件を聞いた。
「えっと、今日はありがとう、卓子さん。あなたがいなかったら私はもう立ち直れなかったかもしれない。ううん、むしろ卓子さんがいたから私もなんとか立ち直らなきゃって思ったの。結局頼っちゃったけど、それでも一生懸命向き合ってくれて、嬉しかった。本当にありがとう」
姿はぼんやりとしか見えないが、声は湯気の中を通りしっかりと聞こえた。私はどういたしまして、とだけ返し、お風呂場を後にした。
しばらくして、私の部屋着を纏った彼女が風呂場から戻ってきた。私の服だからか、彼女の顔は少しそわそわしているようだった。
「おかえり、泉さん。もう布団敷いてあるから、横になって休んでていいよ、予備とか無いから二人で一枚だけど大丈夫だよね」
「うん、いいお湯だった。部屋着も貸してくれてありがとう」
私が選んだ服は、彼女にはなかなか似合っていた。雑に選んだつもりだったけれど、無意識に彼女に合うのを選んでいたのかもしれない。
「じゃあまた後でね、私もお風呂入ってくる」
「おやすみなさい」
そう言葉を交わして私はお風呂場へ向かった。
風呂を済ませて戻ってくると、彼女は布団で既に眠りについていた。今日は感情の変化が激しかったから疲れていたんだろう。かくいう私も、興奮してしまっていたり、それを抑えたりしていたのでかなり疲れた。私もさっさと寝ることにした。電気を消して、彼女と向かい合うように横になる。掛け布団の中に入ったとき、私の手が彼女の手に触れた。その手を握ると、彼女も少しだけ指を曲げた。とても嬉しくて、手の温もりと一緒に心まで温かくなるようだった。至近距離の彼女を見つめる。いろいろあったけれど、心地よさそうに寝ている彼女を見て、何かを心の中で確信した。また彼女は表舞台に立ってくれるだろう。そしていつかは…。考えていると、どんどん眠気が強くなってきた。
翌朝物音で目を覚ました。布団の中にはもう彼女はいなくなっていた。体を起こしてリビングへ出ると彼女が昨日の服装で荷物を整理していた。まだ家にいるのかと勝手に思っていたから洗濯をしていなかった。
「おはよう」
「おはよ」
「もう行くの?」
「こうのんびりもしていられないからね」
昨日の一連の事でやる気や自信を取り戻したみたいだ。そういう声と表情をしている。
「わかった。頑張ってね」
私は彼女の新たな門出を祝福し、見送る。昨日のこともいい思い出だと言えるほどに成長してくれると。そうなってくれるのを待って。
「あ、部屋着はそこに置いておいたから。結構恥ずかしかったけど、着心地は良かったよ、いい匂いもしてた」
どこまでが本当でどこからが冗談なのかわからない。
「やめてよ、こっちまで恥ずかしくなるじゃん」
お互いに少し頬を赤らめて笑う。
「服は昨日のでいいの?私洗濯できていないけれど」
「大丈夫大丈夫。卓子さんがきちんと畳んでいてくれたからしわとか付いてないし。一度家に帰って着替えるよ」
カバンを持ち上げて彼女は玄関へと向かう。彼女が靴を履く前にこちらへと振り返り抱擁を交わす。
「またね、卓子さん」
「次は笑ってうちにおいでね」
「うん、約束する」
そう言って彼女はうちを後にした。
あの日の出来事はちゃんと彼女をいい方に導いてくれている。彼女にはかつての忙しさが戻ってきた。連絡のペースが減ったのを見ると、前以上に忙しいのかもしれない。彼女もオフの日にはできるだけ会うようにしてくれている。あの日した約束はもはやする必要すら感じなかった。たまにする電話だけでお互い満足するわけもなく、お互い会えることを常に楽しみにしているから。そんな関係をしばらく続けていたが、ある日家でのんびりしていると、あの日と同じようにチャイムが鳴った。出るとあの日と同じように彼女が立っていた。その顔は笑顔ではなかった。私はまた何かあったのかと不安になる。彼女を招き入れて話を聞く。
「今日はどうしたの?」
悪いことなのだとは思うが、この間近な距離で話すとなんとなくあの日とは違う感じがした。もう彼女が話してくれないと状況が掴めない。
「あ、あのね、卓子さん…」
彼女が彼女のスマホの画面を私に見せてきた。その画面にはメールが映っていて、件名が
「優秀女優賞受賞のお知らせ…?これを泉さんが?」
彼女が頷く。詳しくはわからないけれどどうやらかなり大きな賞を受賞できたらしい。私の不安は杞憂だった。
「やったね泉さん!おめでとう!」
彼女が顔を上げると、既にかなり泣いている様子だった。
「うん…やった、やったよ、私の夢だったの…」
すすり泣きながら嬉しそうに話している。そんな彼女を見て私の体が熱くなった。それもあの日と同じ。違うのは彼女がうれし泣きをしていること。今まで彼女の泣いている姿は映像か、苦しそうに泣いている姿しか見たことが無かった。今の彼女は受賞の喜びで感極まって泣いている状態。
そんな彼女に、私はすごく興奮する。
結局その日は一晩中お祝いしていた。お酒を飲んで豪華に食卓を飾って。思えば人の成功にこれだけ喜べているのも初めてかもしれない。それも、彼女だから、恋人だからだろう。
彼女の授賞式はテレビ中継で見た。一般人が授賞式に参加することはできなかったのが少し不満だったけれど、仕方がなかった。彼女がインタビューを受けている。受賞した喜び、これからの決意、そして、
「この喜びをまず誰に伝えましたか」
インタビュアーのの一人が彼女に質問する。彼女はクスッと笑って
「初めに彼女に話しました。私のことをずっとそばで応援してくれている人なんです」
中継を見て私は目を丸くした。会場も少しどよめいている感じが見て取れた。でも彼女は真っ直ぐに、そんなどよめきも気にせず立っていた。彼女がカメラへと目を向ける。考えすぎかもしれないけれど、私に視線を送ってくれているのだと思った。それから彼女はインタビュアーに振り返り、私のことを詳しく話し始めた。ずっと見てくれていたこと、運命的な出会い、挫折した時もそばで励ましてくれていたこと、他にも時間が許す限り彼女は話していた。彼女が公、それもあんな大きな晴れ舞台で話したということは、彼女はこれからも私と生きていってくれるということだろう。当然私だってそのつもりだ。この受賞で終わる私たちじゃない。これからもずっと二人で生きていく。
彼女と、泣哭性愛者の私で。
泣哭性愛(dacryphilia):泣くことや慟哭などの泣哭行為、涙などへの性的嗜好。(Wikipediaより引用)




