即位 8
「お義父様!」
嫡子西園寺孝基が去ってからの西園寺家の守りとも呼ばれる西園寺康子の声に、当主西園寺重基はぼんやりとした視線を奥の間に向けた。
「ああ、康子さんか……義基は?」
「あの人は今日も外務省に出かけていますよ。まあ仕事があるというわけではないですが……」
「外務省で飼い殺し……アイツは逆にその方が気が楽でいいんじゃないか?」
そう言うと手元に有るポットから急須にお湯を注ぐ重基。その様子に康子は大きくため息をついた。
「もうひと月も訪ねてくるものもないなんて……元首相の肩書きが泣きますよ」
「世間の冷たさを感じるねえ……権力から転がり落ちれば誰も気にもかけない。一方で烏丸家は千客万来だろう」
重基は悠然と湯呑を握って茶をすすり始めた。そこにどこから迷い込んだか、西園寺家の食客の老人がよたよたと庭の真ん中に歩み寄ってきた。
「これはこれは旦那様」
「花鳥老師。仕事の方はどうですかな」
花鳥と呼ばれた薄汚い老人はニンマリと笑うとそのまま重基に歩み寄ってきた。
「虎を……虎を描きたいと思いましてな」
「俺にはもう実物を取り寄せるような芸当はできませんよ」
重基はそう言いながら隣に置いてあった湯呑を手に取ると急須から茶を注いで花鳥に差し出した。花鳥はそのまま湯呑を受け取るとじっくりとその中央を眺める。
「ほう、茶柱が立っていますな」
「いいことでもあるといいですな」
そう言った重基に花鳥は笑みを浮かべつつ茶を啜る。そんなふたりを康子は立ったまま眺めていた。
「実は動物園に通っておりましてな。ただあそこの虎は……牙があって無きがごとしというべきですか、虎らしさがありません」
「虎らしくない虎……で、俺に何を?」
「ちょっと康子様を描かせていただけませんかな?」
突然の話の展開に重基はそのまま視線を奥の間で立ち尽くしている康子に目を向けた。




