新入社員8
駅前のコンビニで殴られた所を確認すると、前歯からも血が出ている。店員が珍しい動物でも見るようにこちらを見ているが、顎が痛くなって来たのでアイスノンを買って店を出た。
最終電車は出たばかりで絶望的な気分になったが、逗子のアパートまでタクシーで帰ると幾らかかるか解らない。かといって流石に駅のベンチで寝る気もしなかった。
少し途方に暮れていたらサウナの看板が目に付いたので、今夜はそこで寝ることにした。でも、気持ちが落ち着いてくると頭にくるやら何やらで眠れない。結局、その夜は一睡も出来ずに朝を向かえた。
その日はサウナから会社に出勤はしたが、殴られた所がまだ痛むので昼飯は食わず庭のベンチで休んでいると、君が近づいてきた。
「昨日はごめんなさい、おとうさんがあんなに怒っていたのは、彼氏と黙ってデートした時」
「……こいつ彼氏いるのかよ、俺オドロキ!」
「朝まで帰してくれなくて、それでお父さんに滅茶苦茶に怒られて」
「……そりゃ怒るでしょう」
「先輩をその彼氏と勘違いしてしまい、その彼氏とは、もう別れたのだけど。違う、違うと言ったのだけど」
「……やっぱり、こいつバカ。説明支離滅裂。お前ベンベン泣いてただけじゃないかよ」
と思ったが。
「お父さんが勘違いして殴ってしまった事、ちゃんと謝りたいので一度家に連れて来なさい。と、お母さんに、これ預かって来たのだけど……」
「謝っているのは、お母さんで、あの親父じゃないのかよと」言いかけたが、君は一通の封筒を、僕の前に差し出した。中には手紙と現金十万円が入っていた。
手紙には、夫が勘違いして訳も聞かず暴力を振るった事に対し、えんえんと詫びの言葉が連なっていた。だが君の親父からは、一言の詫びも書かれてない。
「……殴った事を謝りたいので、もう一度家に来て下さいって、どうゆう意味だろう。勿論、行く気はないが、そこら辺の常識が自分とは違っていると思った。謝りたいのだったら、そっちが俺の所に来るべきだろう。なんかおかしくないか?」
そう思ったが、君に言っても仕方がないので、適当に生返事をしてその場を離れた。金は返そうと思ったが殴られた事は事実なので、パーと美味い物食いに行って、すぐになくなった。嫌な事は腹いっぱい飯を食って忘れるのが一番だ。
その後は、院内でたまに君と会う事もあったが、すれ違う時挨拶する程度で何も話はしなかった。君は気にしている様だったが、色々設備のトラブルも重なり忙しかった事もあって、あっという間に時が流れて、年の暮れが近づいて来た。
都内でも有名な、豪華な産婦人科病院。
年末ともなれば私設パーティー、私設忘年会。色々な変化が起きそうな行事盛りだくさんが普通の世の中。だが僕の周りは平穏無事で何もない。一人除夜の鐘を聞きながら夜を明かし、風もない星明りだけの海に乗り出すと、波に揺られながら初日の出を待った。
やっと明るくなって来た由比ガ浜。空一面を染めるブルーアワーは夕日よりも綺麗。東の真っ黒な丘の上から、オレンジ色の太陽が顔を出すのを眺めると、いままでの悩みが全部溶けて行く様な気分にさせてくれた。
そのままボードの上に立ち上がった僕はパンパンと朝日に向かって手を叩く。そして一礼をして今年も海の上で新年を迎えた。
大体、いつもこんな感じだったので、そんな正月に何の疑問も湧かなかったが、母親から来た年賀状に「誰か好い人おらんのね」と又書いてあるのを見て、少し気が滅入った。
「……俺もそろそろ親孝行しないとな」
少し風が出て来た寒い海上で、冷たい風が僕の髪を揺らしたが、二百人もの女に毎日囲まれ? 周り中飛び回っている筈の女子エネルギーは、今年も普通に僕をスルーして行きそうだった。
挿絵はまだ途中ですが、こちらでも書いておりますので寄ってください。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/2529317/497087921




