新入社員6
その日の由比ヶ浜は風もなく波も穏やかで、雲一つない気持ちの良い青空。初心者の練習には最高のコンデションで、君は思ったより早くセールアップもこなせる様になっていった。 緊張した顔で一生懸命にセールを上げる姿は、時々ドキッとするほど可愛い。なによりも白い雲と、青い海の間で絵になっていた。
お昼になってお腹がすいて来たが、女の娘と行くような洒落た店など、勿論知らない。だいいち何年も女の娘と街を歩いた事もないのだから、少し困った。でもそんな気持ちになったのも、ほんの一瞬で、直ぐに自分の現実に戻った。
「……この娘と付き合っているわけではないし、デートをしているわけでもないのだから、気取る事はない。やっぱり、あの店しかないか」と、いつもの店に連れて行く事にした。浜に来た時には必ず行く、シラス丼の美味しい店だ。
おんぼろ屋台の様なお店だが、外に椅子とテーブルを置いただけなので、ウエットスーツのまま店に入れる。あんまり女性と一緒に行く雰囲気ではない気もするが、その代わり味は保証できた。
白いふかふかのご飯の上に、ドンと盛り付けられた、新鮮な大盛のシラス。その上に店独自の、少し甘い薄口醤油をかけ、思いきり口に頬張る感覚は何時もながら最高。君も満足しているのはその笑顔で解ったが、何故か僕も嬉しくなった。
五月の浜は六時になっても、まだ明るく。海一面に青い空が広がっていた。
シラス丼のパワーは強烈で、ぶっ通しで練習しているのに君は疲れたとも言わない。
それどころか結構乗れる様になって、一人で燥いでいた。
翌日、もう強くなっている海の紫外線で、真っ赤な顔で出勤した君。同期から色々聞かれていたが、曖昧な笑顔で誤魔化しているのを見て面白かった。僕も日に焼けていたのだが、いつも焼けているので二人の間を怪しまれる事はなかった。
病院見学ツアーは三日間通して行われ、述べ三百人程度の人が訪れた。
何事もなく『相変わらず綺麗なお庭ね~♪』と言う誉め言葉を頂いて無事終了。
でも、ツアーが終わると二人はお互いに元の仕事にGo Back、気まぐれウインドサーフィン練習が再開する事はなかった。
普通、異性と海で遊んだら、もう一度誘って飲みにでも行けば自然に彼女が出来そうなパターンである。でも気分が落ち込んでいる時というのは、そんなチャンスが目の前にあっても気づかないものなのか。その頃の僕は、過去のトラブルをまだ引きずっていて、とても彼女を作ると言う、そんな気持ちは起きなかった。
男と女、盛り上がっても何もしなければ冷めるのも早い。せっかくの出会いもなんの役にも立たず、一、二週間もすれば、僕達は顔を会わせる事もなくなっていた。
その後の君は、院内でも結構人気が出ていった。昼休みの中庭でも同期の男性社員と仲良く話している姿を良く見かけたが、あれから一度も喋っていない事もあり、僕はあまり側によらない様にしていた。
それに、君とは年齢もずいぶん離れている。縁があれば又話す事もあるだろうと、ゆったり構えていたら、君と海で遊んだ記憶など、何時の間にかどんどん薄れて行った。
医療事故の後遺症は、以前のような積極性を僕からすっかり奪ってしまっていたが、その後、まさかあんな事が起きるとは……。その時には想像もつかない出来事が、僕達二人に待っていた。




