新入社員3
厚い鉄の扉に遮られた旧病院地下室は広く、いざとなったら避難場所としても使えそうだった。普段は誰も入って来る事もないこの場所はいつも薄暗く。綺麗な制服に身を包んだお嬢様達には階段を降りるのも躊躇するだろう。そういう意味では、誰にも邪魔されない唯一のプライベート空間。たまにはゴキブリちゃんや、ミッキーマウスも出て来て挨拶してくれるが、僕には病院で唯一の、気兼ねなく寛げる場所だった。
そんなある日、毎年恒例の春の消防避難訓練が行われる事になった。世界情勢の影響か、何のつもりか、今年はこの地下室を避難場所として訓練するそうだ。そして「何でもやる課」の僕は、当然の様に新入社員の避難誘導担当に選ばれていた。
消防訓練は区の消防士が来ていたが、避難訓練は僕が先導してやる事になった。地下の階段を先にたって降りるだけだが、初めて参加する新入社員は「キャアキャア」と騒ぎながら、お化け屋敷のドアをくぐるような顔をして、ついて来た。
「……おいおい、ここはディズニーランドじゃないよ」
と、少し苛つきながらも、地下の危険箇所などの説明をしていると、何故かあの娘が、隅の方で蹲っているのが見えた。体調があまり良くなさそうなのは気づいていたが、だったら言えば良いのに。別にこんな避難訓練参加しなくても良いのだよ。と言おうと思い、側によって理由が解った。
一瞬、どうしたら良いかと思ったが、皆がこちらを見てよって来そうになったので、もう躊躇している暇はない。僕は側にあった汲み置きのバケツの水を持ち上げると、いきなり、その娘の頭からぶちまけた。
「キャー!」
思った以上に大きな声にビックリしたけれど、君は、全身びしょ濡れ状態。床一面も水浸しになってしまった。
皆、何事かと駆け寄って来たが、君をかばう様に僕の前に立ちはだかったのは看護師長。
「何をしているの!」
大きな声で一喝。僕から赤いバケツを取り上げると、両手で僕の胸を突いた。
手を振り上げ、大きな口をあけて何か言っていたが、何を言われても憮然としている僕に、皆も呆れかえってる様だった。
その後、あっけにとられている皆の前を、師長に付き添われた君は、泣きながら無事に地下の階段を登って行った。
とりあえず僕はホッとしたが、やっぱりその後が大変だった。
『なんであんな事をやったのだ!』と医院長や皆から口々に非難される。
だが、いまさら言う事は何もない。とっさの行動だ。
僕は誰に聞かれても、その理由を言うことはなかった。




