第八話「狂王の日常」
転生して一ヶ月が経った。
日常というものが、できつつあった。
朝、起きる。侍女に着替えを手伝ってもらう。
最初は侍女に触れられるだけで動揺していたが、最近は慣れてきた。
引きこもり歴十年の成果か、あるいは単なる諦めか。
朝食を食べる。
一人で食べる。
エルザは別室で食事をとるらしい。
妊娠中だからという理由もあるが、それだけじゃない気がする。
朝の大臣会議に出席する。
全員が怖い顔で頭を下げる。
俺も怖い顔で頷く。
誰も間違いを指摘しない。
執務室で書類と格闘する。
アリスの授業をする。
また書類と格闘する。
寝る。
……これが、狂王の日常だ。
……なんか、普通だな。
ゲームの王様ライフとは全然違う。
もっと華やかなものだと思っていた。
書類を一枚めくりながら、俺は思った。
信〇の野望や三国志では、武将を動かして、城を攻めて、天下を取る。
プ〇ンセスメーカーでは、娘を育てて、エンディングを迎える。
でも現実の「王様」は、ひたすら書類と向き合っている。
財政の数字。
外交の報告。
内政の提案。
商人からの陳情。
……これ、ゲームで言えばひたすら内政フェーズだな。
戦闘フェーズに入る前に、ずっと準備している感じだ。
まあ、戦闘フェーズに入らないのが一番いいのだが。
大臣会議の帰り道。
廊下を歩いていると、前から使用人が走ってきた。
俺を見た瞬間、壁に張り付いて頭を下げた。
……怖がりすぎだろ。
「そんなに張り付かなくていいよ」
使用人がビクッとした。
「は、はい……!」
「ゆっくり歩いたら」
「は、はいぃ……!」
使用人が、震えながらゆっくり歩き始めた。
……余計に怖がらせた気がする。
……引きこもりが王様をやると、こういうことになるのか?
挙動が不審なせいか、余計に威圧感が出る。
前の俺が作り上げた恐怖の積み重ねがあるから、何を言っても怖く聞こえる。
パラネスが隣に並んだ。
「陛下、本日の午後の予定ですが」
「ああ、はい」
「東の商人組合からの陳情が三件。その後、国境警備の報告が一件」
「全部まとめて聞けるかな」
「……は?」
「一件ずつ別々に聞くより、まとめて聞いた方が効率がいい」
パラネスが固まった。
「陛下、それは……商人たちが」
「ダメ?」
「前例がないもので」
「や、やってみればいい」
信〇の野望で言えば、委任統治の効率化だ。
一人一人に時間を取るより、まとめて処理した方が早い。
パラネスが深く頭を下げた。
ふいにパラネスが小声で言った。
「陛下、ハルデン侯爵の動きが、少し大きくなっております」
「……え、具体的には?」
「『王が変わった、今が好機』という声が
一部の貴族の間で出ているようで」
……ゲームで言えば、内部の反乱フラグが立った?
こういう時に素早く動かないと後で大変になる。
「引き続き監視して」
「……御意」
午後の陳情を終えた後、俺は執務室で一人になった。
窓の外を見た。
王宮の庭。花が咲いている。
よく手入れされた庭だ。
ぼんやりと眺めていたら、ふと思った。
……現実では、今何時だろう?
お母さん、今頃何してるかな。
次の瞬間、自分がどこにいるかを思い出した。
……違う。ここは異世界だ。お母さんはいない。
俺が転生?してから、一ヶ月以上経った。
現実では……どうなってるんだろう?
俺は死んでいるのか、眠っているのか、それとも……。
考えかけて、止めた。
考えても答えが出ない。
……お母さん、元気でいてくれ。
それだけ思って、書類に戻った。
夕方。
アリスの授業が終わった後。
俺は地図を片付けながら、アリスが部屋を出るのを見ていた。
扉が閉まった。
……今日は毛虫目線が「弱」だったな。
少しずつ、戻ってきている。
執務室に戻る途中、廊下でジークシールドと鉢合わせした。
いつも通り、音もなく壁に溶け込むように立っていた。
俺はジークを見た。
ジークは無表情で俺を見た。
……毎日見ているのに、慣れない。
この男は本当に何を考えているのか分からない。
「……お、お前は」
「……はい」
「いつもそこにいるのか?」
「アリス様の護衛が、私の仕事です」
「俺がいる時も護衛しているのか」
ジークが少し間を置いた。
「陛下がいる時も、私はおります」
「……例え陛下ご自身がアリス様の危害を加えようとした場合、アリス様を守れ」
また少し間を置いた。
「……以前の陛下からは、そのような命令を受けておりました」
俺は少し考えた。
……前の俺から、アリスを守るように命令されていたのか。
自分の娘を、自分から守らせる?……それが前の俺だったのか。
う~ん、さすが狂王。かなり、逝っちゃってるな。
「……今は、その命令は取り消す」
ジークが、わずかに反応した。
「……よろしいのですか」
「俺は、アリスを傷つけるつもりはない」
「………」
ジークは何も言わなかった。
でも、その目が少しだけ動いた気がした。
「……御意」
それだけ言って、また壁に溶け込んだ。
……あの男、何を考えているんだ?
表情が全く読めない。
ゲームで言えば、忠誠心が高いのか低いのかステータスが見えないキャラだ。
夜。
執務室で書類と格闘していたら、扉がノックされた。
「……パラネスです」
「どうぞ」
老大臣が入ってきた。手に小さな包みを持っている。
「夜分に失礼いたします」
「なんだ」
「……料理長から、陛下にと」
包みを差し出した。
開けると、小さなパイが入っていた。
「料理長が?」
「……先日、陛下が陳情をまとめて聞いてくださったおかげで、調理場の時間に余裕ができたと申しておりまして」
「……それで?」
「感謝の印だそうです」
俺は少し考えた。
……商人の陳情をまとめて聞いたことが、調理場の時間に影響するのか?
会議が早く終わって、食材の手配が効率化されて……なるほど、連鎖しているのか。
「……料理長に、受け取ったと伝えてくれ」
「はい」
パラネスが出ていこうとして、止まった。
「……陛下」
「な、なんだ」
「本日の大臣会議ですが」
「うん」
「皆、少し表情が違いました」
「怖がってた?」
「いいえ」
パラネスが珍しく、少し笑った気がした。
「怖がっているのとは、少し違う顔でした」
「どんな顔だ?」
「……困惑、でしょうか」
「困惑か」
「前の陛下のやり方とあまりに違うので、どう反応すればいいか分からないようです」
俺は頷いた。
「……そのうち慣れる」
「はい。そう思います」
パラネスが深く頭を下げた。
「陛下、夜遅くまでのお仕事、どうかお体に」
「……分かった。ありがとう」
扉が閉まった。
俺はパイを一口食べた。
……美味かった。
……料理長、腕がいいな。
ゲームで言えば、内政の好感度が上がったのか。
でも、ゲームとは違って、こっちは本当に美味い。
窓の外が暗くなっていた。
星が出ていた。
お母さんのことを考えかけて、止めた。
パイを食べ終えて、書類に戻った。
◇
その夜、アリスは書斎で日記を書いた。
いつもより短かった。
「今日の授業は、ガレスの外交について」
「お父様の説明は、相変わらず変だ」
「『ガレスはノブダガの野望で言えばタケダ家みたいなものだ』と言った」
「ノブダガが何なのか分からなかったが、聞かなかった」
「強くて怖いが、囲めば詰む、という意味らしい」
ペンが止まった。
「……囲めば詰む、か」
アリスは少し考えてから、続きを書いた。
「お父様も、少し詰んでいる気がする」
「でも」
一拍置いて。
「……詰んでいるのに、毎日書類に向かっている」
「なぜそうするのか、また今度、聞いてみたいと思った」
日記を閉じた。
燭台の火を吹き消した。
暗闇の中で、目を閉じた。
(……また今度)
その言葉が、自分の中で少しだけ温かかった。
◇
廊下の影で、ジークシールドは静かに立っていた。
今日、陛下が言った言葉を、頭の中で繰り返していた。
「俺は、アリスを傷つけるつもりはない」
(……前の陛下より、この方がいい)
そんな考えが、初めて浮かんだ。
ジークは短くそれだけを思い、持ち場に戻った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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