第七話「王宮の地下と前王の遺産」
ある日の午後。
執務室の書類整理をしていた時に、それを発見した。
書類の山を動かそうとして、机の引き出しの奥に鍵を見つけたのだ。
古い鍵だ。
鉄製で、装飾がある。
前の記憶を探ると、うっすらと映像が浮かんだ。
王宮の地下。石段。重い扉。
……何かある。
パラネスを呼ぼうかと思ったが、やめた。
前の記憶によれば、この鍵のことを知っているのは前の俺ミルケだけだった。
とりあえず、自分で確認しよう。
鍵を持って、王宮の地下へ向かった。
石段を降りる。
松明が壁に並んでいる。
使用人が定期的に交換しているらしく、灯りはついていた。
前の記憶を頼りに進むと、突き当たりに重い扉があった。
鍵を差し込む。回す。
扉が、重い音を立てて開いた。
中に入った。
広い部屋だった。
壁一面に地図が貼られていた。
アルタミス大陸の地図。
でも、俺が執務室で見ているものとは違う。
書き込みがびっしりある。矢印。数字。各国の勢力圏を示す色分け。
机の上には書類の束。
手に取って読んだ。
……なんだこれ?
大陸の各国を戦乱に引き込む計画だった。
ガレスとアソセスの対立を煽る。
ラインベルトの内政に干渉する。
各国が消耗し切ったところで、アトラクトが漁夫の利を得る。
段階ごとに詳細な手順が書いてある。
どの貴族に金を渡すか、どの情報をどこに流すか、どう戦火を広げるか。
……ゲームの外交フェーズじゃないか、これ。
いや、ゲームより性質が悪い。
ゲームなら相手はNPCだ。
でもこれは、全部実在する国と人間が対象だ。
前の記憶が流れ込んできた。
この計画を立てながら、満足そうに笑っている男の映像。
人を駒として見る視点。
国を盤面として見る視点。
……俺が、これをやろうとしていたのか?
吐き気がした。
書類を机に戻した。
地図を眺めた。
色分けされた各国の領土。
そして、アトラクトの位置。
前の俺は、大陸全体を一つの盤面として見ていた。
人は駒だ。国は領地だ。感情は邪魔だ。
……アリスに「お前はアトラクトの切り札だ」と言ったのも、この計画の一部だったのか。
娘を、本当に駒として考えていたのか?
しばらく、動けなかった。
……最低だな、前の俺。
……前の俺は、恐怖で人を支配することは上手かったらしい。
でも、その先が見えていなかった。
恐怖で支配できるのは、せいぜい十年だ。
その後は、必ず綻びが出る。
ゲームで言えば……。
内政を捨てて武力だけで拡大した大名みたいなもんだ。
序盤は強いが、中盤以降に必ず詰む。
野望だけ一人前で、詰めが甘い。
俺は書類を一枚引き寄せた。
余白に、気づいた問題点を書き始めた。
この計画の欠陥。修正すべき点。
あるいは、全部やめた方がいい理由。
書きながら、思った。
……大帝国の再建なんて、俺には興味がない。
そんなことより、
俺はペンを止めた。
娘に毛虫を見る目で見られない方が、よっぽど重要だ。
苦笑いが出た。
我ながら、スケールが小さいと思った。
でも、それが本音だった。
俺は書類を整理し始めた。
この計画は、静かに終わらせる。
誰にも言わずに。
ただ、問題点だけを書き残しておく。
後でパラネスに見せれば、何かの参考になるかもしれない。
作業を始めて一時間ほど経った頃。
背後で音がした。
振り返ると、扉の前にアリスが立っていた。
「お父様」
「き、君……じゃなくて」
上から目線でいけ。相手は八歳だ。
「アリス。なぜここにいる」
「ジークが教えてくれました。お父様が地下に降りたと」
ジーク、余計なことを。
アリスが部屋の中を見た。
壁一面の地図。書類の束。
その赤い目が、ゆっくりと動いた。
「何ですか、これは」
「前の俺が……」
言いかけて止まった。
「前の俺」という言葉は不自然だ。
「……前に、俺が作っていた計画だ」
「どんな計画ですか?」
アリスが地図に近づいた。
書き込みを見ている。矢印。数字。色分け。
頭の回転が速いから、すぐに読み取るだろう。
俺は黙って待った。
しばらくして、アリスが振り返った。
「各国を戦乱に引き込んで、漁夫の利を得る計画ですか」
「そうだ」
「今も、続けているのですか?」
「……やめた」
「なぜですか」
俺は少し考えた。
「穴だらけだからだ。この計画通りに動いたら、アトラクトが先に潰れる」
アリスが俺を見た。
「それだけですか」
「それだけか?」
「やめた理由が、計画の欠陥だけですか、という意味です」
八歳が、真っ直ぐ聞いてくる。
……この子、容赦がない。でも正しい問いだ。
「それだけじゃない」
俺は地図を見た。
「人を駒として動かす計画を、俺は続けたくなかった」
「なぜですか?」
「な、なんでそう何度も聞く」
「お父様の答えが、毎回少しずつ変わるからです」
俺は黙った。
……変わっている?
変わっているのか、俺の答えが。
「最初は計画の欠陥と言いました。次に、人を駒として動かしたくないと言いました」
アリスが続ける。
「どちらが本当ですか」
「……両方だ」
「どちらが先ですか」
……鋭い。
「計画の欠陥に気づいたのが先だ」
「正直ですね」
「そうか?」
褒められているのか貶されているのか分からない。
アリスが地図に視線を戻した。
しばらく、黙って見ていた。
「この計画の一番の欠陥はどこですか」
「カーターベイ商業工房連合だ」
「カーターベイ?」
「商人の都市国家だ。大陸の物流と金融を握っている。この計画はそこを全く考慮していない」
「なるほど」
アリスが地図のカーターベイの位置を指差した。
「ここですか」
「そうだ」
「この国が動いたら、どうなりますか」
「大陸の物流が止まる。食糧も武器も動かなくなる。戦争をしている余裕がなくなる」
「戦争を止める手段になりますか」
俺は少し考えた。
「理論上は、なるかもしれない。でも、カーターベイ自身が戦争から利益を得ている可能性もある」
「難しいですね」
「難しい」
アリスが頷いた。
その目が、地図を見ながら、何かを考えていた。
前のめりになっていた。
……あの目だ。授業を始めた時の、あの目だ。
「……お父様」
「なんだ」
「この部屋を、また使ってもいいですか?」
「授業にか?」
「はい。こちらの地図の方が、詳しいので」
俺は頷いた。
「構わない」
アリスが、また地図に視線を戻した。
毛虫を見る目ではなかった。
地図を見る目だった。
真剣で、鋭くて、どこか楽しそうな目だった。
……この子は、外交と学問が、本当に好きなのかもしれない。
その日の夕方。
パラネスが執務室に来た。
「陛下、地下室に入られたとのことで」
「あ、うん」
「……あの部屋は」
パラネスが言いかけて、止まった。
何かを慎重に考えているような顔だった。
「ご存知でしたか?」
「……」
「……あの計画は?」
「やめた」
パラネスが、また固まった。
「やめた、でございますか」
「穴だらけだ。このまま進めたらアトラクトが先に潰れる」
老大臣が、深く頭を下げた。
「……御意」
顔を上げた時、その目が少しだけ違った気がした。
何かを言いたそうな顔だった。
でも、何も言わなかった。
「下がっていい」
「はい」
パラネスが扉に向かう。
扉の前で、一度だけ振り返った。
「……陛下」
「なに?」
「あの部屋に、アリス様も入られたと聞きましたが」
「ああ」
「よろしかったのですか」
俺は少し考えた。
「構わない。あの子が知っても、問題ない」
パラネスが、また深く頭を下げた。
「……御意」
扉が閉まった。
廊下の向こうで、老大臣が小さく息を吐くのが聞こえた気がした。
◇
その夜。
アリスは日記を書いた。
「地下室に行った」
「大陸を戦乱に引き込む計画が、そこにあった」
「お父様は、やめたと言った」
「理由は、計画の欠陥と、人を駒として動かしたくないから、と言った」
「どちらが先か聞いたら、計画の欠陥に気づいたのが先だと言った」
「……正直だった」
ペンが止まった。
窓の外に星が出ていた。
……前のお父様なら、正直に言わなかった。
計画の欠陥に気づいたのが先だ、などとは言わなかった。
もっと格好いい理由を言ったか、あるいは何も言わなかったか。
アリスはペンを取り直した。
「カーターベイの話が面白かった」
「物流を握れば、戦争を止める手段になるかもしれない」
「なるかもしれない、と言ったのが正直だと思った」
「なるかもしれない、か」
アリスは少し考えてから、最後の一行を書いた。
「お父様の答えは、毎回少しずつ変わる」
「それが嘘だからではないのかもしれない」
「考えながら、答えているからかもしれない」
日記を閉じた。
燭台の火を吹き消した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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