第四話「側室問題・絶望」
転生して五日が経った。
現状を整理しよう。
妻とは三回会話した。
全部合わせても十分に満たない。
毎回相手が固まる。
好感度は依然としてマイナスだと思われる。
娘とは二回接触した。
初日は毛虫を見る目。
二日目は毛虫を見る目・MAXで終わった。
「普通です」
という五文字を引き出したのが最大の成果だ。
大臣会議には毎日出席している。
全員が怯えているので誰も間違いを指摘しない。
おかげでゲームの知識をそのまま使えるが、それが正解なのかどうかが分からない。
パラネスだけが、かろうじて会話になる。
……それだけだ。
引きこもり歴十年の弊害が、全方位で出ている。
詰んでる。まだ詰んでる。
でも、一つだけ確認しなければならないことがあった。
ずっと気になっていたことだ。
転生してから五日間、頭の片隅に引っかかり続けていたことだ。
……側室だ。
いや、待て。
落ち着いて考えよう。
俺は童貞だ。
この体には記憶がある。
妻との間に子供が二人いる。
でも俺自身は、女性と付き合ったことすらない。
コンビニの店員に「ありがとうございます」と言われるだけで動揺する俺が、妻がいて、子供がいる。
……まるで聖母マリアみたいだな、俺。
いや違う。俺は父親側だ。
でも童貞なのに子供がいて、お腹の中にもう一人いる。
……概念が詰んだ。
話を戻そう。
側室の話だ。
エロゲをやり込んだ知識で言えば、中世ヨーロッパ風の世界には側室制度がある場合がある。歴史シミュレーションでも、王様が複数の妻を持つのは珍しくない。
そして俺は、妻エルザとまともに会話できていない。
このまま関係が改善されないとしたら、この先どうなるのか。
いや、そういう問題じゃないか。
でも、確認だけはしておきたい。
……確認だけだ。
別にやましい気持ちはない。
ただの情報収集だ。
ゲームの基本だろ。
……嘘をついても仕方がないな。
正直に言えば、ちょっとだけやましい気持ちがある。
でも本当にちょっとだけだ。
……ウソです。
本当はせっかく王様になったのなら、童貞くらいは……。
俺はパラネスを呼んだ。
老大臣が執務室に入ってきた。
「お呼びでしょうか、陛下」
「ああ」
俺はまず書類を一枚めくった。
直接聞くのが難しいので、書類を見るふりをしながら聞こうと思う。
落ち着け、ただの情報収集だ。
「パラネス」
「はい」
「その……一つ聞いていいか」
「はい」
パラネスの声のトーンが少し変わった。身構えた気配がする。
落ち着け。
「……この国では」
書類から目を離さないまま。
「……そ、側室というのは」
一瞬、沈黙。
「……どういう扱いになっているんだ」
顔が熱い。
自分でも分かる。
顔が赤くなっている。
書類を見るふりをしているが、文字が全然頭に入ってこない。
パラネスが固まった。
完全に固まった。
石になった。
……やっぱりまずかったか?
でもここで引いたら聞けなくなる。
俺は書類を見たまま、パラネスの返答を待った。
沈黙が続く。
長い、この沈黙は何だ?
怒っているのか、困惑しているのか、それとも?
「…………陛下」
ようやくパラネスが口を開いた。
「はい」
「側室、でございますか」
「……そうだ」
「……この国における、側室の扱い、でございますか」
「……そうだ」
また沈黙。
パラネスが、慎重に言葉を選んでいる気配がある。
「……陛下」
「な、なんだ」
「この国では」
「一夫一妻が、神聖な契約として」
「法と慣習の両方において、深く根付いておりまして」
「……うん」
「……側室は」
「……歴史的に、大変な……」
パラネスが言葉を探している。
「……大変な、禁忌とされております」
「え」
「王族においても、例外はなく」
「え」
「過去に側室を持った王は、民からも貴族からも激しい非難を受け、統治の正当性を失った例が……」
「え」
「いくつかございます」
俺は書類から顔を上げた。
パラネスと目が合った。
「「え」」
二人の「え」がハモった。
沈黙。
「……そうか」
俺はゆっくりと書類に視線を戻した。
「……わかった」
「……陛下」
「なんだ」
「……その、もしや、王妃様との間に、何か……」
「別に何もない」
即答した。
顔がまだ熱い。
「そうでございますか」
「ただの確認だ」
「……御意」
パラネスが深く頭を下げた。
「他に何か?」
「……いや、もういい。下がれ」
「失礼いたします」
扉が閉まった。
◇
廊下に出たパラネスは、一度だけ深く息を吐いた。
(……側室?)
(前の陛下なら「用意しろ」と命令するだけだった)
(なぜこの方は……恥ずかしそうに……切り出して……)
老大臣は歩き出しながら、考えた。
顔が赤かった。
書類から目を離さなかった。
声が、かすかに上擦っていた。
(……前の陛下には、生涯一度もなかった様子だ)
パラネスは廊下を歩きながら、静かに考え続けた。
(中身が、違う)
その考えが、今日もまた浮かんだ。
でも今日は、もう一つ別のことも思った。
(……この方は、王妃様のことを)
考えかけて、止めた。
自分の仕事ではない。
ただ、前の陛下とは違う。
それだけを、胸の中にしまった。
◇
執務室の中で、俺は天井を見ていた。
椅子の背もたれに体を預けて、ぼうっと天井を見ていた。
……側室、ダメか。
そうか。
……詰んだ。本妻とも話せていないのに。
子供がいる。お腹の中にもいる
側室もない。
どうしてこうなった?
いや、どうしてこうなったかは分かっている。
転生したからだ。
でも転生した結果がこれか?
童貞が王様になって、妻に怖がられて、娘に毛虫を見る目で見られて、側室もない。
窓の外から、風の音がした。
中庭で誰かが話している声が、かすかに聞こえる。
俺は目を閉じた。
……どうすればいいんだ。
ゲームなら攻略サイトがある。
エロゲなら選択肢がある。
プ〇ンセスメーカーなら育成方針を選べる。
でも現実には何もない。
妻との会話は全部固まって終わる。
娘は毛虫を見る目で見てくる。
側室もない。
誰も間違いを指摘してくれない。
……詰んだ。完全に詰んだ。
俺はもう一度目を開けた。
机の上の書類を見た。
財政の立て直し。外交の調整。内政の改善。
やることはたくさんある。
ゲームの知識で、なんとかなることはたくさんある。
でも。
俺は書類を引き寄せた。
今日もまた、答えの出ない問いを抱えたまま、仕事を続けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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