第三話「娘の毛虫目線・初体験」
翌朝、俺は作戦を立てた。
娘との接触を試みる。
エルザとの会話で学んだことがある。
いきなり長い会話をしようとすると、相手が固まる。
だから短く、自然に、さりげなく。
ゲームで言えば、好感度上げの基本だ。
毎日少しずつ話しかけて、存在に慣れてもらう。
焦らない。急がない。
プ〇ンセスメーカーでも、娘との信頼関係は一日にして成らず、だ。
……よし。
問題は、娘がどこにいるかだ。
前の記憶によれば、アリスは午前中に勉強をする習慣があるらしい。
場所は王宮の東棟にある小さな書斎だ。
向かった。
東棟の廊下を歩く。
すれ違う使用人たちが、全員道を開けて頭を下げる。
全員が怯えた顔をしている。
……前の俺、本当に何をしていたんだ。
書斎の扉の前で立ち止まった。
扉の向こうから、かすかな音がする。
本のページをめくる音だ。
落ち着け。相手は八歳だ。
八歳の子供に緊張するな。
でも昨日の毛虫目線はきつかった。
あの目は、大臣十数人の視線より消耗した。
深呼吸する。
扉をノックした。
音が止まった。
「……どうぞ」
子供の声だった。
でも、妙に落ち着いていた。
扉を開ける。
書斎は小さな部屋だった。
壁一面に本棚。窓際に小さな机。
そこに、銀髪の少女が座っていた。
アリスだ。
分厚い本を膝の上に置いて、こちらを見ている。
赤い目。無表情だが、かわいい。
昨日と同じ、毛虫を見る目だった。
うっ、威力が高い。
八歳の目がこんなに鋭いのか。
「……やあ」
「………」
毛虫を見る目。
「……勉強しているのかい」
「………」
毛虫を見る目・強。
アリスの視線が、俺の顔から、手から、足元まで移動して、また顔に戻ってきた。
品定めをされている。
八歳に品定めをされている三十四歳。
つらい。でも逃げたら永遠に逃げ続けることになる。
「……何を読んでいる?」
「………」
アリスは少し間を置いてから、本の表紙を見せた。
歴史書だった。
それも、かなり分厚い。
八歳でこれを読むのか?
「……面白いかい?」
「………」
また沈黙。
でも今度は、少しだけ違った。
アリスの目が、わずかに動いた。
毛虫を見る目のまま、でも何か考えているような。
「……普通です」
答えが来た。
たった五文字。でも昨日より多い。
進歩だ!好感度が0.1くらい上がった気がする。
「そうか」
俺は頷いた。
次の言葉を考える。
ここで長話をしたら逆効果だ。
短く切り上げる。それが今日の目標だ。
「……邪魔したな」
踵を返す。
「……お父様」
呼ばれた。
振り返る。
アリスが、本を膝の上に置いたまま、真っ直ぐこちらを見ていた。
「……何の御用ですか」
その声は静かだった。感情が読めない。
「……用?」
「はい」
「お父様が私の部屋に来られたことは、今まで一度もありませんでした」
それは事実の確認だった。
感情は一切ない。
ただ事実だけを述べている。
「だから、何かご用があると思いました」
俺は少し考えてから答えた。
「……別に用はない」
アリスの目が、わずかに細くなった。
「……では、なぜ来たのですか」
「……娘の顔を見に来た」
沈黙。
アリスが、俺を見る。
その目が、毛虫を見る目から、何か別のものに変わりかけた。
でも次の瞬間、また毛虫を見る目に戻った。
毛虫を見る目・MAX。
「……そうですか」
それだけ言って、アリスは本に視線を落とした。
会話は終わった。
俺は書斎を出た。
廊下に出た瞬間、俺は深く息を吐いた。
疲れた。三分くらいしか話していないのに疲れた。
しかも最後の毛虫目線がMAXだった。
なぜMAXになったのかが分からない。
「娘の顔を見に来た」という言葉の何がまずかったのか。
……あ。もしかして、信じてもらえなかったのか?
前の俺が「娘の顔を見に来た」なんて理由で来るはずがない、と。
だから嘘だと思った?
……なるほど。
信頼度がマイナスからのスタートだと、本当のことを言っても嘘に聞こえる。
これは難易度が高い。
ゲームで言えば、フラグが立つどころか、フラグが燃えている状態だ。
◇
書斎の中で、アリスはページをめくっていた。
でも文字は頭に入っていなかった。
(……なぜ来たのだろう)
(本当に、顔を見に来ただけ?)
(そんなはずがない)
前の父は、この書斎に来たことが一度もなかった。
存在を認識されているのかどうかも、よく分からない時期があった。
誕生日も、名前の日も、何もなかった。
ただ一度だけ、呼び出されたことがある。
そこで見せられたのは、処刑だった。
「これが王の力だ」と、父は言った。
その日以来、アリスは父の顔を見ると足が震えるようになった。
なのに。
なのに今の父は、書斎に来て、「娘の顔を見に来た」と言った。
(信じてはいけない)
(何かを企んでいる)
(でも)
アリスは本を閉じた。
窓の外を見る。
青い空。
(……普通ではない)
それだけは確かだった。
父が普通ではない。
以前と、何かが違う。
でも何が違うのか、まだわからない。
アリスは再び本を開いた。
今度は、ちゃんと文字が頭に入った。
◇
夕方。
俺は執務室で書類と格闘していた。
財政の立て直しを考えなければならない。
赤字の原因は分かっている。
前の俺が、軍備増強に金を使いすぎた。
加えて恐怖政治で商人が逃げた。産業が衰退している。
まず商人を呼び戻すことだな。
羊毛と塩の交易を立て直せば、それだけでかなり変わる。
信〇の野望で言えば、内政フェーズだ。
書いて、消して、また書く。
しばらくして、扉がノックされた。
「……パラネスです」
「ど、どうぞ」
老大臣が入ってきた。
手に書類を持っている。
「本日の報告書でございます」
「置いておいてください」
「はい……」
パラネスが書類を置こうとして、机の上の俺のメモを見た。
数字と矢印と「商人を呼び戻す」という文字が並んでいる。
老大臣の目が、わずかに見開いた。
「……陛下、これは」
「な、内政の立て直しを考えている」
「……内政、でございますか」
「ああ」
「……商人を、呼び戻す、と」
「そ、そうだ」
パラネスが固まった。
しばらくして、慎重に口を開いた。
「……差し出がましいようですが、一つ伺ってもよろしいでしょうか」
「な、なんだ」
「……なぜ、今になって」
俺は少し考えてから答えた。
「赤字だから」
「……そ、それだけで、ございますか」
「それだけで十分じゃないですか」
パラネスが、また固まった。
何かまずいことを言ったか?
でも赤字を解消したいというのは普通の発想だと思うが。
「……御意」
老大臣は深く頭を下げた。
「商人の呼び戻しについては、私の方で案を作成いたします」
「お願い」
パラネスが部屋を出ていく。
扉が閉まった瞬間、俺は再び書類に向かった。
……やることが多すぎる。
外交、内政、財政、家族。
どれから手をつけるべきか。
窓の外が暗くなってきた。
気づいたら夕方になっていた。
◇
その夜、パラネスは自室で一人、燭台の前に座っていた。
今日見たことを、整理していた。
どれも、前の陛下にはなかったことだ。
老大臣は、燭台の炎を見つめた。
(……中身が、違う)
その考えが、また頭に浮かんだ。
今日で三度目だ。
でもパラネスは、その考えを誰にも言わなかった。
言う必要がなかった。
(……前の陛下より、この方がいい)
それだけで、十分だった。
老大臣は燭台を吹き消した。
暗闇の中で、静かに目を閉じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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