第二十七話「帰り道」
村を出た。
エルザと並んで、馬に乗っていた。
ランダが前を行く。
ジークが後ろにいる。
泥道が、続いていた。
しばらく、どちらも喋らなかった。
遠くで、また何かの音がした。
金属の音。
でも、遠かった。
「……陛下」
エルザが言った。
「なんだ」
「……来る途中で見た方のことを、まだ考えていますか」
「……ああ」
「……そうですか」
「……消えない」
「……はい」
「……慣れないのか」
「……慣れたくない、というのが正直なところです」
俺は少し黙った。
……慣れたくない。
ランダも慣れないと言っていた。
二人とも、慣れることを望んでいない。
ゲームでは、慣れることが効率だった。
でも、現実は。
風が吹いた。
「……エルザ」
「はい」
「……一つ聞いていいか」
「……はい」
「……書き置きに、行きたくない気持ちもあると書いたな」
「……はい」
「……それでも行ったのは、なぜだ」
エルザが少し間を置いた。
馬の足音だけが、しばらく続いた。
「……待ちながら、準備していました」
「……ああ」
「……待てなかったのではなく」
「……はい」
「……言葉を見つけてもらえると、思っていました」
「……でも、行った」
「……はい」
エルザが、少し俯いた。
「……この城の外に出ないと、息ができない気がして」
「……息が」
「……以前の陛下の時代から、この城の中では祈りが届かない気がしていました」
「……そうか」
「……今は、以前ほどではありません」
「……でも」
「……まだ、少し」
俺は少し黙った。
……まだ、少し。
俺が変わっても。
エルザの中に残っているものがある。
それは、すぐには消えない。
当たり前だ。
十年間のことが。
七ヶ月で消えるわけがない。
「……俺が遅すぎた」
「……いいえ」
「……遅かった」
「……いいえ」
エルザが、俺を見た。
「……どちらのせいでもないと、思います」
「……そんなことはない」
「……陛下」
「なんだ」
「……貴方は変わりました」
「……でも」
「……それは、七ヶ月の話です」
「……分かっている」
「……私の中にあるものは、七ヶ月では消えません」
「……ああ」
「……でも」
エルザが前を向いた。
「……少しずつ、消えています」
「……そうか」
「……はい」
「……だから、どちらのせいでもないのです」
俺は少し黙った。
……少しずつ、消えている。
それが、エルザの正直なところか。
責めていない。
でも、まだ残っている。
それが、今のエルザとの距離だ。
「……エルザ」
「はい」
「……帰ってから」
「……はい」
「……もう少し、話せるか」
エルザが少し間を置いた。
「……はい」
その声は、穏やかだった。
「……楽しみにしています」
「……また、そう言うのか」
「……はい」
……楽しみにしている。
二回目だ。
童貞に優しくしないでほしい。
いや、今はそういう話じゃない。
しばらく進んだ頃。
ランダが馬を止めた。
「……伝令です」
王宮からの使者が来ていた。
「……パラネス様からです」
手紙を受け取った。
開いた。
「アリス様とシオン様は無事です。
アリス様は、毎日窓から外を見ておられます。
早くお帰りください。
追記:ミーテラスより、女王ラザミア様からの
書状が届いております。
内容は帰還後にお伝えします。」
……ラザミアから、書状。
「……エルザ」
「はい」
「……ラザミアから、書状が届いているらしい」
エルザが少し固まった。
「……姉から」
「ああ」
「……何が書いてあるのですか」
「……まだ分からない。帰ってから読む」
エルザが少し黙った。
「……姉は」
「なんだ」
「……怖い人です」
「……そうか」
「……優しいのですが」
「……優しくて、怖い?」
「……全部、計算しています」
「……気をつけろということか」
「……はい」
……ラザミア。
それは後で考える。
今は、帰ることだ。
馬を進めた。
王宮が、遠くに見え始めていた。
王都の入り口が見えてきた。
道が、整備されていた。
石畳に変わった。
……戻ってきた。
「……陛下」
ランダが言った。
「なんだ」
「……お帰りなさいませ」
「……まだ着いていない」
「……はい。でも、言いたかったので」
俺は少し苦笑いした。
(……ランダが、そういうことを言うとは)
「……ありがとう」
馬を進めた。
石畳の道が、続いた。
その時。
馬の足が、石畳の段差に引っかかった。
体が、前に傾いた。
……あ。
落ちた。
石畳の上に、転んだ。
「……陛下!」
ランダが飛び降りた。
ジークが動いた。
「……大丈夫です」
俺は立ち上がった。
膝が、少し痛かった。
顔に、泥がついた気がした。
「……お怪我は」
「……ない」
エルザが、馬の上から俺を見ていた。
「……転びましたね」
「……転んだ」
「……珍しくないですか」
「……珍しくない。よく転ぶ」
「……そうですか」
エルザが、少しだけ笑った。
今度は、はっきり笑った。
……笑った。
この人が、こんなに笑うのを。
初めて見た気がする。
「……転んだけどな」
「……はい」
「……帰ってきた」
「……はい」
エルザの笑顔が、少しだけ柔らかくなった。
馬から降りた。
二人で、石畳の道を歩いた。
並んで。
王宮の門が、見えてきた。
夕日が、門を照らしていた。
門の前に、人影があった。
小さな影が、二つ。
一つは、少し大きかった。
一つは、抱かれていた。
「……お父様!」
アリスの声がした。
走ってきた。
シオンを抱いたまま、走ってきた。
「……走るな、シオンが」
「……大丈夫です」
「……大丈夫じゃない」
アリスが、俺の前で止まった。
息を切らしていた。
「……お帰りなさい」
俺は少し止まった。
……お帰りなさい。
アリスが、そう言った。
「……ただいま」
アリスが、エルザを見た。
「……お母様も」
「……アリス」
エルザがアリスに歩み寄った。
片腕でアリスを抱きしめた。
もう片方の腕でシオンを抱いたまま。
アリスが、少し固まった。
でも、すぐに目を伏せた。
「……お帰りなさい」
「……ただいま」
エルザの声が、少し震えていた。
シオンが、口を動かした。
「……あ」
みたいな音が出た。
全員が、シオンを見た。
「……今、何か言いましたか」
アリスが言った。
「……言っていないと思う」
「言いました」
「まだ喋れない」
「でも、何か言いました」
シオンが、また口を動かした。
「……あ」
今度は、少し大きかった。
エルザが、目を細めた。
……エルザが、
泣きそうな顔をしている。
夕日が、四人を照らしていた。
泥だらけの俺と。
白いドレスの汚れたエルザと。
シオンを抱いたアリスと。
生後四ヶ月のシオンと。
「……お帰りなさい」
エルザが、もう一度言った。
今度は、俺に向かって。
「……ただいま」
声が、少し震えた。
門が、夕日の中で輝いていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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