第二十六話「戦場のゲームオタクと白いドレス・前編」Ⅰ
王都を出てから、三日が経った。
二日目の夜。
野営の焚き火の前。
ランダが地図を広げていた。
「……明日の昼頃には、戦場の外縁部に入ります」
「……王妃様の居場所は」
「私の部下から、定期的に伝令が来ております」
「どこにいる?」
「アソセスとガレスの境界付近の村です。現在は比較的安全な場所ですが」
「……比較的、か」
「戦況次第では、前線が動く可能性があります」
俺は地図を見た。
……アリスが授業で話していた国境付近だ。
エルザは、そこにいる。
ジークが、焚き火の向こうに座っていた。
無表情で、火を見ていた。
「ジーク」
「はい」
「お前は、エルザが出発するのを知っていたか」
「気配は、感じていました」
「なぜ止めなかった」
「私の判断では、止める権限がありませんでした」
「……そうか」
「陛下に報告すべきでした」
「……俺も、気づけなかった」
ジークが少し黙った。
「……陛下」
「なんだ」
「王妃様は、準備していました」
「知っている」
「……それは」
ジークが、珍しく言葉を選んでいた。
「……諦めていたのではなく」
「なんだ」
「……覚悟していたのだと、思います」
俺は少し黙った。
……覚悟。
諦めではなく、覚悟。
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
「ランダ」
「はい」
「明日、戦場の外縁部に入ったら、何が見える」
ランダが少し間を置いた。
「正直に申し上げます」
「ああ」
「……戦場の現実があります。死体が、あります」
「……そうか」
「野戦では、すぐに収容できないことが多く」
「分かった」
ランダが、俺を見た。
「陛下は、戦場に出たことは」
「……ない」
「……そうですか」
「ゲームでは、何度も見た」
「ゲーム、とは?」
「盤上の戦争のようなものだ」
ランダが少し頷いた。
「盤上と、現実は違います」
「そうだな」
「覚悟されておいた方がいいかもしれません」
「……ああ」
……覚悟。
今日、二回目だ。
エルザの話でも、ランダの話でも。
覚悟という言葉が出てくる。
俺には、覚悟があるのか。
引きこもりに、覚悟があるのか。
焚き火の火が、風に揺れた。
「……ランダ」
「はい」
「……お前は、戦場で人が死ぬのを見たことがあるか」
「……何度も」
「……どんな感じだ」
ランダが、少し間を置いた。
「……慣れません」
「……慣れないのか」
「……はい。何度見ても、慣れません」
「……ゲームでは、慣れた」
「……そうですか」
「……ユニットが消えるだけだ。数字が減るだけだ」
「……現実は」
ランダが、焚き火を見た。
「……消えません」
「……消えない?」
「……目に、残ります」
俺は黙った。
……目に残る。
ゲームでは、次のターンに進めば忘れられた。
現実は。
「……分かった」
「……陛下」
「なんだ」
「……明日、辛くなったら」
「……なんだ」
「……前を向いていてください」
「……前を?」
「……目的があります。王妃様がいる場所へ向かうという、目的が」
「……そうだな」
「……それだけを、見ていてください」
ランダが頭を下げた。
「……明日は、長くなります。少し休んでください」
「……ああ」
俺は空を見た。
星が出ていた。
……明日、死体を見る。
初めて。
ゲームじゃなく、現実の。
引きこもりが、そんなものを見て、正気でいられるのか。
答えは出なかった。
ただ、焚き火の火だけが、静かに燃えていた。
三日目。
戦場の外縁部に入った。
最初に気づいたのは、臭いだった。
何かが焦げているような、でも焦げとは少し違う。
重い臭い。
……ゲームに、臭いはなかった。
次に気づいたのは、音だった。
遠くで、何かが鳴っている。
金属の音。
人の声。
……ゲームの効果音と、全然違う。
もっと、不規則だ。
もっと、生々しい。
馬を進めた。
村に入る手前の道で、ランダが手で合図をした。
速度を落とした。
道の端に、何かがあった。
俺は最初、何か分からなかった。
……荷物か?。
違った。
人だった。
鎧を着けたまま、道の端に倒れていた。
動いていなかった。
胸に、矢が刺さっていた。
……死体だ。
頭で分かった。
でも、体が動かなかった。
馬が、少し不安そうに足踏みした。
……ゲームでは。
ユニットが倒れると、画面から消えた。
次のターンには、何もなかった。
でも、これは。
消えていない。
ここに、ある。
「……陛下」
ランダの声がした。
「……前を向いてください」
俺は、顔を上げた。
前を向いた。
でも、頭の中から、さっきの光景が消えなかった。
……目に残る。
ランダが言っていた通りだ。
進んだ。
また、道の端に何かがあった。
今度は、見ないようにした。
でも、見えた。
……二人目だ。
ゲームでは、二人のユニットが倒れても。
数字が二つ減るだけだった。
でも、現実は。
一人ずつ、ちゃんとそこにある。
一人ずつ、顔がある。
名前があったはずだ。
家族がいたかもしれない。
胃が、痛くなった。
でも、それとは違う何かが、胸の奥に広がっていた。
……これが、戦争だ。
ゲームで何度も「戦争」をやった。
でも、これが戦争だ。
俺が画面の中でユニットを動かしていた時。
この人たちがいた。
数字の奥に、この人たちがいた。
馬が、足を止めた。
ランダが振り返った。
「……陛下」
俺は、馬から降りた。
道の端に、膝をついた。
「……陛下!」
ランダが慌てた声を出した。
ジークが、周囲を警戒した。
俺は、道に倒れている男を見た。
年齢は、よく分からなかった。
でも、若かった気がした。
俺より、若かった気がした。
何も言えなかった。
何もできなかった。
ただ、見ていた。
……ゲームなら、次のターンに進めた。
でも、現実には次のターンがない。
この人は、ここにいる。
このまま、ずっとここにいる。
俺が画面を閉じても。
ゲームを終了しても。
この人は、消えない。
「……陛下、参りましょう」
ランダが、静かに言った。
「……王妃様が、待っています」
俺は立ち上がった。
泥が、膝についていた。
「……ランダ」
「はい」
「……この人の名前は、分かるか」
「……アソセスの兵と思われますが、詳細は」
「……そうか」
「……陛下」
「なんだ」
「……先ほど、申し上げました」
「……前を向け、か」
「はい」
俺は、前を向いた。
「……行くぞ」
「御意」
馬を進めた。
でも、目に残っていた。
消えなかった。
……これが、現実だ。
ゲームを与えられた俺には。
知らなかった現実だ。
街を歩いた時。
与えられたものしか知らない、と思った。
ゲームは、死すら与えられた数字として処理していた。
でも、現実の死は。
何も与えてくれない。
ただ、そこにある。
消えずに。
目に残って。
馬が、進んだ。
遠くに、村が見えてきた。
煙が上がっていた。
でも、燃えているのではなかった。
炊事の煙だった。
人がいる。
生きている人が、いる。
……エルザも、あそこにいる。
生きている。
今は、それだけを見る。
ランダが言っていた。
「目的を見ていてください」と。
俺は前を向いた。
村に向かって、馬を進めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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