第二十三話「エルザの決意」Ⅰ
転生して七ヶ月が経った。
シオンが生まれて、四ヶ月。
王宮の空気が、また少し変わった気がした。
エルザが、変わってきていた。
少しずつ。
本当に少しずつ。
でも、確かに。
朝食の席で、エルザがシオンをアリスに預けることが増えた。
アリスが、シオンを抱いている。
シオンが、アリスの指を握る。
エルザが、その光景を見ている。
その顔が、以前より穏やかだった。
俺はそれを、横目で見ながら書類を読んでいた。
……エルザが、笑った。
今、確かに笑った。
シオンがアリスの指を握った瞬間に、笑った。
朝食が終わって、アリスがシオンをエルザに返した。
「……重かったですか」
エルザが聞いた。
「少し」
「そうですか」
「でも、初めての感触。不思議な感じです」
エルザが、またかすかに笑った。
俺は書類を読むふりをしながら、それを見ていた。
……この光景が、
ゲームのどのエンディングにも、なかった気がする。
午前の執務。
パラネスが書類を持ってきた。
「陛下、カーターベイからの通商の申し入れが届いております」
「内容は」
「アトラクトの港湾都市を経由する新しい交易ルートについてです」
俺は書類を受け取った。
……カーターベイ商業工房連合。
アリスが授業で話していた、大陸の物流を握る商人たちだ。
先日のベベクロとの交渉でも、絡んでくる可能性があった。
「返答は保留です」
「御意」
「アリスに見せようと思ってる」
パラネスが少し止まった。
「……アリス様に、でございますか」
「授業の教材になるかなと」
パラネスが、また少し止まった。
「陛下は、アリス様に実際の書類を見せて授業をお考えで」
「そうだ」
「……それは」
パラネスが少し考えた。
「……なるほど」
「何がなるほどだ」
「……以前の陛下は、アリス様の教育に興味を持ったことは、一度もありませんでした」
「そうか」
「はい。今日の授業の教材に、カーターベイの通商申し入れを使われるということは」
パラネスが少し間を置いた。
「……アリス様を、将来の外交担当として育てておられるということですか」
俺は少し考えた。
……そういう意図があったかどうか、正直よく分からない。
ただ、アリスが喜ぶと思ったから持っていくだけだ。
「……まあ、そうだな」
パラネスが深く頭を下げた。
「御意」
扉が閉まった。
……将来の外交担当として育てる、か。
そんな大げさな話じゃないんだが。
パラネスは、いつも俺の行動を俺より格好よく解釈する。
翻訳が上手すぎる。
午後のアリスの授業。
カーターベイの書類を広げた。
アリスの目が、輝いた。
「……本物の書類ですか」
「ああ。今日届いた」
「読んでいいですか?」
「それが今日の授業だ」
アリスが書類を手に取った。
真剣な顔で読んでいる。
俺はその横で、別の書類を眺めながら待った。
しばらくして、アリスが顔を上げた。
「……お父様」
「なんだい」
「この申し入れ、表向きはアトラクトへの利益提供ですが」
「うん」
「……カーターベイにとっての利益の方が、ずっと大きくないですか?」
俺は少し驚いた。
「どこが気になった」
「ここです」
アリスが書類の一点を指差した。
「港湾の使用料が、相場より低い。でもその代わりに、荷物の検査権をカーターベイが持つと書いてあります」
「……そうだ」
「検査権を他の国が持つということは」
「どういうことだと思う」
アリスが少し考えた。
「何が通るかを、カーターベイが管理できる、ということですか」
「正しい」
「それは、物流を握るということですね。通常ありえないと思います」
「そうだね」
アリスが書類を机に置いた。
「……断った方がいいと思います」
「理由は」
「使用料が安くても、検査権を渡しすことはありえないです」
「長期的な損失の方が大きいですし」
「そうだね。俺も同じ判断をした」
アリスが少し考えた。
「こんな詐欺まがいの内容。ベベクロ様の件と、関係がありますか?」
俺は少し驚いた。
「なぜそう思う」
「ガレスとカーターベイが繋がっているとしたら、タイミングが気になります」
「……ハルデン侯爵の件の直後に、カーターベイが申し入れてきた」
「はい」
……この子、本当に八歳か?
体は子供、頭脳は大人って。
まさかどっかの名探偵が中に入ってないよね?
「お父様?」
「あ、いや。まだ、繋がっているかどうかは分からない」
「はい。でも、気にしておいた方がいいと思いました」
「そうだな」
アリスが書類を返した。
「……ありがとうございました。面白かったです」
「書類が面白いのか」
「はい」
「……変わった趣味だな」
アリスが、口の端を少しだけ動かした。
「お父様も、同じだと思います」
「……俺もか」
「はい。楽しそうに書類を読んでいます」
……楽しそうに読んでいたのか、俺は。
引きこもりが、外交文書を楽しそうに読んでいる。
転生すると、趣味が変わるのか?
「……そうか」
「はい」
アリスが立ち上がった。
「明日も、本物の書類を持ってきてもらえますか」
「……お、お前が読めそうなものを、探す」
「よろしくお願いします」
扉が閉まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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