第二十二話「街へ」
アリス誘拐事件の後、ふと気づく。
……俺、王都の外に出たことがなかった。
アリスを助けに行った時が、転生して初めて外に出た。
引きこもりが、転生しても引きこもっていた。
……詰んだ。
「アリス、今日の授業は街に出よう」
アリスが少し驚く。
「……街に、ですか」
「うん」
「なぜですか」
「見ていないものが、多すぎる気がした」
ジークが護衛として同行。
変装するかどうか問題が発生。
ランダ「陛下、変装をお勧めします」
「変装?」
「王が街を歩けば、騒ぎになります」
「……そうか」
フードを深く被った。
でも、なで肩で背が高い。
アリスが見上げる。
「……目立ちますね」
「そうかな」
「はい。フードを被っているのに、なぜか目立ちます」
「……そういうものか」
ジークが無表情のまま言った。
「……歩き方が、王です」
「歩き方を変えればいいのか」
「……難しいかと」
……引きこもりの歩き方は、王の歩き方らしい。
十年間、誰にも見られない部屋で歩いていたのに。
なぜ?
ケルテミスの街を歩く。
石畳の道。馬車。露店。職人の工房。パン屋。鍛冶屋。
主人公、内心。
……15世紀の街だ。
ゲームの背景画面でよく見た光景だ。
でも、匂いがある。
音がある。
ゲームでは、なかったものが全部ある。
鍛冶屋の前を通った。
職人が、鉄を叩いている。
……鉄の加工。
ゲームなら「鍛冶スキル」を取得するイベントだ。
でも俺には、鉄の知識がない。
素材の知識も、加工の知識も、何もない。
薬草を売っている露店。
……薬草。
ゲームなら効果が数値で表示される。
でも現実の薬草を、俺は何一つ知らない。
どれが薬になって、どれが毒になるのかも分からない。
農産物の市場。
……食料の生産。
ゲームなら「農業スキル」を上げれば解決する。
でも、実際にどうやって作物を育てるのか。
俺には分からない。
じわじわと、気づいていく。
街の端の広場で、アリスが噴水を見ていた。
俺は、その横に座った。
……俺には、
この街の人たちに、何も与えられるものがない。
鍛冶師は、鉄を与えられる。
農民は、食料を与えられる。
薬師は、薬を与えられる。
職人は、布を与えられる。
商人は、物流を与えられる。
俺には。
(……ゲームの知識しかない)
(でも、ゲームの知識は)
(ゲームを作ってくれた人が与えてくれたものだ)
(俺が作ったものじゃない)
思えば、ずっとそうだった。
お母さんが食事を与えてくれた。
ゲームが世界を与えてくれた。
学校が知識を与えてくれた。
でも、俺は何を与えてきたのか。
……何もない。
引きこもりの十年間。
もし、何か一つでも習得していれば。
医学でも、農業でも、建築でも、鍛冶でも。
何か一つでも、現実の知識があれば。
この世界で、本当の意味で役に立てたかもしれない。
無双できたのかも知れない。
後悔が、じわじわと胸に広がった。
「お父様」
アリスの声がした。
「なんだ」
「……難しい顔をしています」
「そうか」
「何を考えていましたか」
俺は少し考えた。
「……俺には、与えられるものが何もないな、と思っていた」
アリスが少し黙った。
「……そうですか」
「ゲームの知識は、ゲームを作った人が俺に与えてくれたものだ」
「……はい」
「俺が作ったものじゃない」
「……はい」
「この街の人たちは、自分の手で何かを作って、誰かに与えている」
「……はい」
「俺には、それがない」
アリスが、噴水を見たまま言った。
「……お父様」
「なんだ」
「お父様は、私に地図を教えてくれました」
「……それは、俺が作ったものじゃない」
「でも」
アリスが俺を見た。
「……教え方は、お父様のものです」
「……教え方?」
「カルダス将軍の兵法書を読んでも、私には地図と繋がらなかったと思います」
「……そうか」
「お父様が、地図を見ながら話してくれたから、繋がりました」
「……それは」
「与えてもらったものを、別の形で渡すことも」
アリスが少し考えた。
「……与える、ということじゃないですか」
俺は少し黙った。
(……与えてもらったものを、別の形で渡す)
(それが、与えることか)
(分からない)
(でも)
「……お前は、慰めているのか」
「違います」
「……そうか」
「事実を言っています」
「……そうか」
アリスが、また噴水を見た。
「……でも、お父様」
「なんだ」
「現実世界で勉強していれば、という後悔は」
「ああ」
「……私も、時々思います」
俺は少し驚いた。
「……お前が?」
「はい。もっと早く、地図を見ていれば。もっと早く、外交を学んでいれば」
「……お前はまだ八歳だ」
「はい」
「後悔するには、早すぎる」
アリスが少し考えた。
「……では、お父様も」
「……俺は三十四歳だ」
「まだ、遅くないと思いますが」
俺は少し黙った。
……まだ遅くない、か。
引きこもりに、そう言うか。
八歳に。
「……敵わないな」
「何がですか」
「……お前には」
アリスが、口の端を少しだけ動かした。
「……お父様が言うから、嬉しいです」
街から王宮に戻る道。
「……疲れたか、アリス」
「いいえ」
「そうか」
「お父様は?」
「……少し疲れた」
「人が多かったからですか?」
「……そうだな」
「お父様は、人が多い場所が苦手なのですか」
「……そうだな」
「……でも、今日来たのですね」
「ああ」
「なぜですか」
俺は少し考えた。
「……見ていないものが、多すぎると思ったからだ」
「……街を見て、どうでしたか」
「色々、考えた」
「何を考えましたか」
「……与えることのできる人間になりたい、と思った」
アリスが少し黙った。
「……なれると思います」
「根拠は」
「……今日、私を連れてきてくれたので」
「それだけか」
「はい」
「……理由になるか」
「なります」
断言した。
俺は少し黙った。
……なります、か。
根拠も理由も、よく分からないが。
この子がそう言うなら。
少し、信じてもいいかもしれない。
◇
王宮に戻った後。
ジークシールドは、今日の外出を頭の中で整理していた。
陛下が、初めて街を歩いた。
人が多くて、少し疲れていた。
でも、最後まで歩いた。
アリスと、噴水の前で話していた。
内容は聞こえなかった。
でも、帰り道の陛下の顔は、来た時と少し違った。
(……何かを、考えていた)
ジークには、その何かが分からなかった。
ただ。
(……悪くない顔だった)
それだけだった。
◇
アリスの日記
「今日、お父様と街に出た」
「初めてだった」
「お父様は、人が多い場所が苦手らしい」
「でも、最後まで歩いた」
「噴水の前で、お父様が言った」
「『与えられるものが何もない』と」
ペンが止まった。
「……そんなことはないと思う」
「でも、言わなかった」
「代わりに、教え方はお父様のものだ、と言った」
「お父様は、少し黙っていた」
「それから、『敵わないな』と言った」
アリスは少し考えた。
「……敵わない、と言ってもらえた」
「それが」
最後の一行を書いた。
「……少し、誇らしかった」
日記を閉じた。
燭台の火を吹き消した。
暗闇の中で、目を閉じた。
(……与えることのできる人間になりたい、とお父様が言った)
(なれると思う)
(絶対に)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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