第二十一話「けじめと選択」
翌朝。
ランダが執務室に来た。
「陛下、拘束した者たちへの尋問が終わりました」
「結果は」
「ハルデン侯爵からの直接の命令であることが、複数の証言で確認されました」
「東の三侯爵との繋がりは」
「二侯爵については関与が確認されました。一侯爵については、知らされていなかった可能性があります」
「外部との繋がりは」
ランダが少し間を置いた。
「ガレス系の商人との金の動きが確認されました」
「ガレス、か」
「はい。ただ、ガレスの誰が関与しているかまでは、まだ」
俺は少し考えた。
……ベベクロが来た直後に、ハルデンが動いた。
偶然じゃないと思うが。
証拠がない。
「分かった。引き続き調べろ」
「御意」
「ランダ」
「はい」
「ハルデンの処断について、俺の考えを伝える」
「はい」
「領地を没収する。謹慎を命じる」
ランダが少し間を置いた。
「……処刑は、なさらないのですか」
「しない」
「……理由を、伺っても」
「ハルデンの家族や使用人は、関係ない」
ランダが少し黙った。
「処刑すれば、その者たちも巻き込む」
「……なるほど」
「証拠は全部記録に残せ。後で必要になるかもしれない」
「御意」
ランダが頭を下げた。
「東の三侯爵は」
「関与が確認された二侯爵については、領地の一部を没収します。残りの一侯爵については、厳重な監視下に置くことを提案いたします」
「それでいい」
「御意」
ランダが扉に向かった。
「……ランダ」
「はい」
「お前は、この判断をどう思う」
ランダが振り返った。
少し間を置いた。
「……私は」
「言っていい」
「……長年、この国の軍人として生きてきました」
「ああ」
「以前の陛下の元で、何度も処刑の命令を聞きました」
「そうか」
「その度に、正しいのかどうか分からないまま、従ってきました」
ランダが続けた。
「今日の陛下の判断は」
「なんだ」
「……初めて、正しいと思って従えます」
俺は、何も言えなかった。
……正しいと思って従えた。
「……ありがとう」
「いいえ」
ランダが深く頭を下げた。
「陛下に、ついていきます」
扉が閉まった。
午後。
パラネスが証拠書類を持って来た。
「陛下、証拠が揃いました。いかが処断なさいますか」
「ハルデンの領地を没収する。謹慎を命じる」
「処刑は……なさらないのですか」
「しない」
「しかし、王女を誘拐した罪は——」
「ハルデンの家族や使用人は、関係ない」
パラネスが少し止まった。
「処刑すれば、その者たちも巻き込む」
「……御意」
「東の三侯爵の処分は、ランダと話した通りに進めてくれ」
「はい」
パラネスが書類に何かを書き込んだ。
「……陛下」
「なんだ」
「一つ、よろしいですか」
「言え」
パラネスが少し間を置いた。
「以前の陛下であれば、ハルデン侯爵の首は今頃城壁に晒されていたでしょう」
「そうだな」
「陛下が今選ばれた方法は」
パラネスが少し考えた。
「……恐怖ではなく、秩序で治める、という選択かと思います」
「秩序、か」
「罪には罰を。ただし、罪のない者は巻き込まない。その原則が、秩序になります」
俺は少し考えた。
……秩序、か。
難しい言葉を使うな、パラネスは。
でも、そういうことかもしれない。
「……パラネス」
「はい」
「俺の判断が、間違っていることもある」
「……はい」
「その時は、言え」
パラネスが、深く頭を下げた。
「……御意」
扉が閉まった。
……秩序で治める、か。
ゲームで言えば、統治スタイルの選択だ。
でも、ゲームと違って、
選択の重さが、全然違う。
夕方。
アリスが執務室に来た。
授業の時間ではないのに、アリスから来ることは少なかった。
「お父様」
「なんだ」
「ハルデン侯爵は、どうなりましたか」
「領地を没収した。謹慎だ」
アリスが少し考えた。
「処刑しないのですか」
「しない」
「なぜですか」
「ハルデンの家族は関係ない。処刑すれば巻き込む」
アリスが頷いた。
「……分かりました」
それだけだった。
深く追及しなかった。
……聞かないのか?
もっと聞いてくると思っていたが。
「……一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「ベベクロ様が来た後に、ハルデン侯爵が動きましたね」
俺は少し固まった。
「……気づいていたのか」
「日記に書いてありました」
「……日記に?」
「ベベクロ様が来た日と、ハルデン侯爵が動き始めた日が近かったので。気になっていました」
……この子、日記でそこまで分析していたのか。
「関係があると思いますか」
「……分からない。でも、偶然じゃないかもしれない」
アリスが頷いた。
「……ベベクロ様は、十年後を計算していると、お父様がおっしゃっていましたね」
「ああ」
「だとしたら」
アリスが地図を指差した。
「私を今のうちに、排除するか利用するか、どちらかをしようとしたのかもしれません」
俺は少し黙った。
……八歳が、そこまで読んだのか。
「怖くないか」
「怖いです」
「そうか」
「でも」
アリスが俺を見た。
「お父様が来てくれたので」
「……ああ」
「次も、来てくれますか」
「ああ」
「転んでも?」
「転んでも」
「剣が逆さまでも?」
「逆さまでも」
アリスが、口の端を少しだけ動かした。
「分かりました」
「それだけで?」
「それだけで、十分です」
アリスが立ち上がった。
扉に向かった。
「お父様」
「なんだ」
「ハルデン侯爵を、処刑しなかったこと」
「ああ」
「……正しかったと思います」
「なぜ?」
アリスが少し考えた。
「カルダス将軍の兵法書に書いてありました」
「なんと書いてあった」
「……『怒りで剣を振るう者は、剣に振るわれる』と」
俺は少し黙った。
……八歳が、兵法書でそれを読んでいたのか?
しかも、今日の俺に当てはめてきた。
「……そうだな」
「はい」
扉が閉まった。
俺は窓の外を見た。
夕日が、王宮の庭に差し込んでいた。
……怒りで剣を振るう者は、剣に振るわれる。
昨夜、俺の中にあった感情は。
あの感情に従っていたら。
俺は剣に振るわれていたのかもしれない。
それを、八歳が言葉にした。
敵わないな。
苦笑いが出た。
夜。
執務室で一人になった。
書類を片付けながら、昨夜のことを思い返していた。
(……皆殺しにしてやりたいと、思っていた)
(本当に、そう思っていた)
胃が痛かった。
扉がノックされた。
「ジークです」
「入れ」
ジークシールドが入ってきた。
いつも通りの無表情。
「本日の警備の報告です」
「ああ」
報告を聞いた。
ジークが出ていこうとした。
「……ジーク」
「はい」
「一つだけ、言っていいか」
ジークが振り返った。
「お前だけに言う」
「……はい」
俺は少し間を置いた。
「助けに行く途中、俺の中に」
「……はい」
「全員殺してやりたいという気持ちがあった」
沈黙。
ジークが少し間を置いた。
「……そうですか」
「それだけか」
「……陛下は、しなかった」
「ああ」
「……それで十分です」
それだけだった。
責めなかった。
深掘りもしなかった。
ただ、「しなかった」という事実だけを確認した。
「……なぜ、お前に言ったのか、自分でも分からない」
ジークが少し間を置いた。
「……私は、陛下の護衛です」
「ああ」
「陛下の全てを、知っておく必要があります」
「……そうか」
「……それだけです」
扉が閉まった。
俺は一人、執務室に残った。
……それで十分です、か。
ジークは、責めなかった。
でも、許したわけでもない。
ただ、知った。
それだけだ。
窓の外に、夜が来ていた。
月が出ていた。
……なりたくない、と昨夜思った。
今日、その選択をした。
それだけだ。
でも、
それだけで、
少し、前に進めた気がする。
◇
ランダは、自室で今日の報告書を書き終えた。
ペンを置いた。
窓の外に、夜の王都が広がっていた。
今日の陛下の言葉を、頭の中で繰り返していた。
「ハルデンの家族や使用人は、関係ない」
「処刑すれば、その者たちも巻き込む」
それだけだった。
理由の説明は、それだけだった。
でも、ランダには十分だった。
(……この陛下は)
(理由を多く語らない)
(でも、判断の中に、ちゃんと人が見えている)
長年、判断の中に人が見えている陛下に仕えたことがなかった。
(……ついていける)
ランダは灯りを消した。
暗闇の中で、静かに目を閉じた。
◇
アリスは書斎で日記を書いた。
「今日、お父様にハルデン侯爵の処遇を聞いた」
「処刑しない、と言った」
「理由は、ハルデンの家族は関係ないから、と言った」
ペンが止まった。
「……それだけだった」
「でも」
「お父様の顔を見ていたら」
「それだけじゃない気がした」
アリスは少し考えた。
「カルダス将軍の兵法書の言葉を伝えた」
「お父様は、少し黙っていた」
「それから、『そうだな』と言った」
「敵わない、という顔をしていた気がした」
アリスはペンを置いた。
窓の外に月が出ていた。
「……お父様は、変な人だ」
もう一度ペンを取った。
「でも」
最後の一行を書いた。
「……変な人で、よかった」
日記を閉じた。
燭台の火を吹き消した。
暗闇の中で、目を閉じた。
今日も、毛虫を見る目は出てこなかった。
それが、当たり前になっていた。
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