第十九話「アリス誘拐・前編」
転生して六ヶ月が経った。
シオンが生まれて、三ヶ月。
王宮の日常は、少しずつ形を変えていた。
朝食の席に、シオンがいる。
エルザが抱いている。
アリスが時々、シオンの顔を覗き込む。
「また太りましたね」
「赤ちゃんは太るものですよ」
「そうですか」
「貴女もそうだったもの」
アリスが、シオンの小さな手を指で触れた。
シオンが、その指を握った。
アリスの目が、少しだけ柔らかくなった。
毛虫を見る目が、シオンに向いたことは一度もない。
当たり前か。
でも、その顔を見ることができるのは、
悪くない。
午前の大臣会議。
パラネスが、珍しく会議の前に俺を呼び止めた。
「陛下、少しよろしいですか」
「なんだ」
「ハルデン侯爵の動きが、大きくなっております」
「具体的に」
「東の三侯爵との密会が、先週だけで三度。加えて」
パラネスが少し間を置いた。
「王都の外に、正体不明の武装集団が確認されました」
……武装集団。
ゲームで言えば反乱フラグが一気に育った。
早急に手を打たないといけない。
「その集団の規模は」
「まだ把握できておりません。ただ」
パラネスが、声を少し低くした。
「軍の中に、ハルデン侯爵と繋がっている者がいる可能性があります」
「軍の中に?」
「情報の漏れ方が、不自然で」
「軍の中で、信頼できる人間はいるか?」
「一人、おります」
「誰だ」
「ランダ・ハルク将軍です」
「会えるか」
「手配いたします」
その日の午後。
執務室に、一人の男が入ってきた。
五十代。がっしりした体格。
白髪交じりの短い髪。
顔に、いくつかの古傷。
目が、真っ直ぐだった。
震えていない。
怯えてもいない。
「ランダ・ハルクでございます」
深く頭を下げた。
「座れ」
「はい」
椅子に座った。
背筋が伸びていた。
……この人、怯えていない。
他の大臣たちは、全員どこか震えている。
この人は違う。
「単刀直入に聞く」
「はい」
「ハルデン侯爵の動きについて、知っているか」
ランダが、少し間を置いた。
「知っております」
「どこまで」
「東の三侯爵との密会。王都外の武装集団。軍内部への工作」
「全部知っていたのか」
「はい」
「なぜ、今まで報告しなかった」
ランダが、真っ直ぐ俺を見た。
「報告する機会を、うかがっておりました」
「機会?」
「陛下が、最近変わられたと聞きました」
「変わった、か」
「はい。以前の陛下であれば、この情報をお伝えすれば」
ランダが少し間を置いた。
「反乱に関わった者を、罪のない者も含めて皆殺しにされたでしょう」
「そうだな」
……以前の俺なら、そうしていたのか。
記憶の断片が、それを肯定していた。
「それが嫌だったのか」
「ハルデン侯爵に利用されているだけの者が、多くおります」
ランダが続けた。
「巻き込まれただけの者まで死なせるのは、違うと思いました」
「だから、機会をうかがっていた」
「はい。陛下が変わられたなら、話が通じるかもしれないと」
……この人は。
俺が信頼に値するかどうかを、確認した上で来た。
「罪のない者は、巻き込まない」
ランダが、少し目を細めた。
「御意」
「引き続き監視してくれ。具体的な動きが見えたら、すぐに知らせろ」
「承知いたしました」
「一つ聞いていいか」
「はい」
「なぜ、今日、俺に話した」
ランダが少し考えた。
「陛下の目が、変わっていたからです」
「目が?」
「以前の陛下は、人を見る時……駒を見るような目をされていました」
「今日の陛下の目は、違いました」
「どう違う」
「人を、見ておられました」
俺は何も言えなかった。
……人を見ている、か。
ゲームのキャラじゃなくて。
人として、見えているのか。
「下がっていい」
ランダが立ち上がり、深く頭を下げた。
扉が閉まった。
翌日。
アリスの授業の後、俺はアリスに言った。
「今日、ランダという将軍と話した」
「ランダ様ですか」
「知っているのか」
「お名前だけは。古参の将軍だと、パラネス様から聞きました」
「どんな方でしたか」
「真っ直ぐな人だ」
「真っ直ぐ、ですか」
「目が、真っ直ぐだった」
アリスが少し考えた。
「お父様が真っ直ぐと言う人は」
「なんだ」
「たぶん、信頼できる人ですね」
「なぜそう思う」
「お父様は、目を見る人だから」
「そうか」
アリスが地図に視線を戻した。
……目を見る人、か。
引きこもりは、人の目を見るのが苦手なのに。
いつの間にか、そう見られていたのか。
◇
それから数日後の朝。
ジークシールドは、王宮の東回廊でアリスの傍に立っていた。
いつも通りの朝だった。
アリスが書斎へ向かう。
ジークが影のように従う。
その時だった。
王宮の正門の方向から、怒声が聞こえた。
「火事だ!」
次の瞬間、東門の方からも声が上がった。
「暴漢が! 暴漢が侵入した!」
ジークは瞬時に状況を判断した。
(……同時多発だ)
(正門、東門、どちらも本物か?)
(陽動か?)
判断する間もなく、侍女が走ってきた。
「ジーク様! シオン様のお部屋に、不審者が!」
ジークの思考が、一瞬止まった。
(……シオン様)
(生後三ヶ月の赤子だ)
(護衛がいない)
「アリス様、書斎から出ないでください」
「分かりました」
「鍵をかけて、誰が来ても開けないでください」
「……はい」
ジークはシオンの部屋へ向かった。
全速力で。
音もなく。
シオンの部屋に駆け込んだ瞬間、二人の男が窓から侵入しようとしていた。
ジークは無言で動いた。
三秒。
二人とも、床に転がっていた。
シオンが泣いていた。
ジークは、シオンが無事なのを確認した。
侍女に預けた。
その時、廊下から声が聞こえた。
「アリス様のお部屋に!アリス様が!」
ジークの足が、すでに動いていた。
書斎へ。
全速力で。
だが、書斎のカギのかかった扉を、破り開けた時には、もう遅かった。
部屋の中には、誰もいなかった。
窓が、開いていた。
(……シオン様を優先した)
(その間に)
ジークは窓から外を見た。
アリスの姿は、どこにもなかった。
(……俺が、判断を誤った)
拳が、窓枠を握りしめた。
音もなく。
でも、白くなるほど強く。
その時、執務室に俺への報告が来た。
「陛下! アリス様が!」
俺は立ち上がった。
頭が、止まった。
……いない。
アリスがいない。
ハルデン侯爵の顔が浮かんだ。
武装集団。
軍内部の内通者。
全部が、一本の線で繋がった。
……やられた。
その瞬間、胸の底で何かが燃え上がった。
静かに。
でも、確かに。
……もしアリスに何かあったら。
ハルデン侯爵だけじゃない。
関わった者を、全員……。
その先は、言葉にしなかった。
でも、頭の中にあった。
「馬を用意しろ」
「陛下、護衛を——」
「馬を用意しろ」
繰り返した。
侍女頭が飛び出した。
俺は剣を手に取った。
……また逆さまだ。
「陛下」
廊下から声がした。
ランダだった。
「状況は把握しております」
「ランダ」
「手がかりを掴んでおります」
「ど、どこだ」
「王都の東、旧倉庫街です」
「行く」
「しかし陛下——」
「娘が攫われたのに、来ない父親なんていない」
ランダが、少し止まった。
「剣が、また逆さまだな」
「はい」
ランダが、無言で剣を正しく持ち直させてくれた。
その時、もう一つの足音が廊下に響いた。
ジークシールドだった。
「同行します」
その声は、いつもと同じだった。
感情がない、平静な声。
でも、その目が違った。
……自分に怒っている。
「ああ。頼む」
三人で、王都の東へ向かった。
馬を走らせながら、俺は胸の底にある感情を、もう一度確認した。
……まだ、燃えている。
アリスに何かあったら、全員——という感情が。
まだ、消えていない。
風が冷たかった。
でも、胸の中は熱かった。
……これは何だ。
怒りか?
違う。
もっと、暗いものだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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