第十七話「ベベクロ来訪・前編」Ⅱ
謁見が終わった。
大臣たちが退室していく。
パラネスだけが残った。
「……陛下、見事でございました」
「……そうか」
「発言権の欠陥を即座に指摘され、さらに物流への関与という対案を出された」
「……計算しただけだ」
「……ですが」
パラネスが、少し間を置いた。
「ベベクロという男が、あの場で二度も銀貨を止めました」
「……見ていたのか」
「はい。あの男が銀貨を止める時は、本気で計算し直している時だと聞いております」
「……そうか」
「二度止まったということは、陛下の発言が二度、あの男の計算を超えたということかと」
「たまたまだ」
「……左様でございますか」
パラネスが、少し笑った。
「一つ、よろしいですか」
「……なんだ」
「『娘に教わった』とおっしゃいましたが」
「……ああ」
「あの言葉が、ベベクロ殿の表情を一番動かしておりましたぞ」
俺は少し固まった。
「……そうか」
「はい。外交の手腕よりも、その一言の方が、あの男には意外だったようです」
……娘に教わった、という言葉が。
ベベクロの計算を超えた?
地図の知識よりも、その一言の方が?
よく分からないが、
アリスのおかげ、ということか。
「……下がっていいよ」
「……御意」
パラネスが出ていった。
俺は玉座から降りた。
……疲れた。
一時間、人に見られ続けた。
しかも、相手が計算高い軍師だ。
引きこもりには、きつい。
でも、なんとかなった。
アリスの授業の内容が、役に立ったな。
廊下に出た。
窓の外に、夕日が差し込んでいた。
……アリスに報告しよう。
お前の授業が役に立った、と。
喜ぶかどうかは分からないが。
言いたい。
足が、執務室ではなく東棟に向いていた。
東棟。
アリスの書斎の扉をノックした。
「……どうぞ」
入ると、アリスが地図を広げていた。
「お父様? 授業の時間では……」
「報告に来た」
「……報告?」
「今日、ガレスの軍師と話した」
アリスが地図から顔を上げた。
「ベベクロ様ですか。パラネス様から聞きました」
「お前が授業で話していた話が、役に立った」
「……私の話が?」
「ガレスが内陸国に近いから港が欲しいという話だ。あれを知っていたから、こちらが何を求めるべきかが分かった」
アリスが、少し黙った。
「……私の授業の内容が」
「……ああ」
「本当の外交で、役に立ったのですか」
「そうだ」
アリスが、地図を見た。
その目が、少しだけ輝いていた。
「どんな場面で使いましたか」
「アソセスの物流への関与を、アトラクトの中立の対価として提案した」
「物流への関与……」
アリスが地図の上で、指を動かした。
「アソセスの内海のルートですか」
「……そうだ」
「それは……」
アリスが少し考えた。
「カーターベイへの依存を下げることにも、繋がりますか」
俺は少し驚いた。
「そこまで読んだか」
「少し前の授業で、カーターベイの話をしていたので」
「正しい。よく繋げたな」
アリスが、また地図を見た。
「私の授業の内容が、本当に役に立つんですね」
「……当たり前だ」
「当たり前、ですか」
「勉強とは、そういうものだろう」
アリスが少し間を置いた。
「前のお父様は、そういうことを言いませんでした」
「……そうか」
「勉強は『王女として必要だから』とだけ言いました」
「それだけか」
「……はい」
俺は少し考えた。
「役に立つから学ぶ、という方が面白くないか」
アリスが俺を見た。
毛虫を見る目ではなかった。
「そうですね」
「……はい、面白いです」
少し間を置いて。
「もっと教えてください」
「……ああ」
「明日の授業で」
「……ああ」
アリスが、また地図に視線を戻した。
今度は、前のめりになっていた。
……この子が前のめりになっている時は、
本当に楽しいと思っている時だ。
ゲームで言えば、やる気パラメータが上がっている。
でも、ゲームと違って、
この子が楽しいと思っているのを見るのも、
悪くない。
俺は書斎を出た。
廊下に出ながら、思った。
……今日、アリスに教わった内容が外交で役立った。
アリスに報告したら、アリスがもっと学ぼうとした。
それが、また次の外交に活きるかもしれない。
これを……なんと言うんだろう?
ゲームには、こういうパラメータはなかった気がする。
足が軽かった。
理由は、よく分からなかった。
同じ夕方。
ベベクロは、宿舎の部屋で一人、手帳に数字を書き込んでいた。
今日の謁見の記録。
最初の提案への反応。
「それ、アトラクトにメリットがないですよね」
その一言を、何度も書き直した。
(……あの言葉が、出るまでの時間)
(一秒もなかった)
(書類を一枚めくっただけで、即座に)
さらに。
「娘に教わった」
あの一言。
(……娘御に、地図を教わった)
(それが外交の場で出てくる)
(この王は、八歳の娘と地図を広げているのか)
(なぜ)
(前の報告では、冷酷な暴君だった)
(娘を駒として扱っていたと聞いていた)
(なのに今は)
ベベクロは、手帳を閉じた。
銀貨を取り出した。
指先で、ゆっくりと転がした。
(……計算が、合わない)
あの王は、何かがずれている。
暴君ではない。
かといって、善人でもない。
何か別のものだった。
(……帳簿の外で動いている)
銀貨が止まった。
(……面白い)
ベベクロは、また手帳を開いた。
新しいページに、二行書いた。
「この王は、計算できない」
「娘に地図を教わっている」
二行目を、少し眺めた。
消そうかと思った。
でも、消さなかった。
外交の記録には不要な情報だ。
でも、この王を理解するためには、必要な気がした。
銀貨が、また転がり始めた。
その夜。
アリスは日記を書いていた。
「今日、お父様が報告に来た」
「授業の内容が、外交で役立ったと言った」
ペンが止まった。
「……役立った」
繰り返した。
「私が地図を見ながら考えたことが」
「本物の外交で、使われた」
アリスは少し考えた。
「前のお父様は、勉強は『王女として必要だから』と言っていた」
「今のお父様は、『役に立つから学ぶ方が面白い』と言った」
「どちらが正しいかは分からない」
「でも」
最後の一行を書いた。
「……今のお父様の言葉の方が、勉強を続けたいと思わせる」
書いてから、少し考えた。
消そうかとは思わなかった。
今日は素直に書けた気がした。
日記を閉じた。
燭台の火を吹き消した。
暗闇の中で、目を閉じた。
(……もっと教えてもらおう)
(明日の授業が、楽しみだ)
その気持ちが、自分の中で静かに灯っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
続きが気になった方は、ぜひ次の話もお楽しみにしてください。
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