第十六話「アリスの才能・外交学問全振りへ」
転生して四ヶ月が経った。
シオンが生まれて、二週間。
王宮の空気が、少しだけ変わった気がした。
俺だけの感覚かもしれない。
でも、なんとなく、そう感じた。
朝食の席で、エルザがシオンを抱いている。
その顔が、以前より少しだけ柔らかい。
アリスがシオンの顔を覗き込んで、「……小さいですね」と言っていた。
毛虫を見る目ではない。
普通の、八歳の子供の顔だった。
……普通の顔、か。
毛虫目線じゃない顔を「普通」と言っていいのか?
でも、普通だった。
それだけで十分だ。
午前の大臣会議。
ハルデン侯爵が、今日も出席していた。
観察するような目が、俺に向いている。
……まだ動いているな。
でも、まだこちらからは動かない。
もう少し、情報が必要だ。
会議が終わった後、パラネスが小声で言った。
「ハルデン侯爵が、ラインベルト国境付近の商人と接触したようです」
「ラインベルトと?」
「詳細はまだですが、金の動きがあったとのことで」
……外部と繋がり始めている。
これは、早めに手を打った方がいいかもしれない。
「もう少し調べろ。具体的な動きが見えたら、すぐに報告しろ」
「……御意」
パラネスが去った。
……ゲームで言えば、包囲網の形成が進んでいる
対策を考えなければならない。
でも、今日はアリスの授業がある。
優先度は……。
両方だ。
全部同時に動いている。
引きこもりには荷が重い。
でも、逃げ場がないから動くしかない。
午後。
地下室の地図の前に、アリスが座っていた。
地図に、また新しい書き込みが増えていた。
「……また書き込んだのか」
「はい。気になることがあったので」
「……どこだ」
アリスが地図の一点を指差した。
「ここです」
ラインベルトとアソセスの国境付近だった。
「ここが、どうした」
「先週の授業で、ガレスとアソセスの関係を習いました」
「……ああ」
「ガレスがアソセスに圧力をかけているとしたら、ここの街道が重要になりませんか」
俺は地図を見た。
……なるほど。
ここを押さえれば、ガレスの南下を牽制できる。
アソセスにとっても、補給路の確保になる。
「……面白い見方だな」
「違いますか」
「違わない。よく気づいた」
アリスが、少しだけ表情を動かした。
「でも、ここには問題があります」
「……なんだい」
「前の授業で、ガレスは内陸国に近いとおっしゃっていました」
「……ああ」
「ならば、アソセスの内海への出口を欲しがっているはずです」
「……そうだ。よく覚えていたね」
「ガレスがアソセスに圧力をかけているのは、そのためですか」
「……理由の一つだな」
「後……ここに、エルマという場所があります」
アリスが地図の国境地帯を指差した。
「アソセス、ガレス、ラインベルトの三国が接する場所です」
「知っているのか?」
「パラネス様の本に書いてありました。古くから緩衝地帯だったと」
「そうだね」
「……緩衝地帯、とはどういう意味ですか」
「えーっと、どの国も、ここを完全に支配できない場所だ。だから、争いを避けるための緩衝として使われてきた」
「誰のものでもない場所、ですか」
「……そうゆうことだね」
「……不思議ですね」
「……何が」
「誰のものでもないから、平和でいられる場所があるということが」
「ならば、ここは」
「ガレスにとって、喉から手が出るほど欲しい場所ですね」
「そうだな」
「ガレス、アソセス、ラインベルトが、これらを巡って動いているとしたら」
アリスが地図から顔を上げた。
「アトラクトは、どこに立つべきですか?」
俺は少し考えた。
……八歳が、三か国の動きを読んで、アトラクトのポジションを聞いてきた。
これは、もう俺の教えることの範囲を超えかけている。
「……まだ、答えは出ていない」
「そうですか」
「でも、お前の見方は正しい方向だ」
アリスが頷いた。
「一つ、聞いていいですか?」
「……なんだ」
「どうすれば、答えが出るようになりますか」
俺は少し考えた。
……どうすれば、か。
ゲームなら、経験値を積めばレベルが上がる。
でも現実は。
「……情報を集めることかな」
「情報、ですか」
「地図を見るだけじゃ分からないことがある。実際に何が起きているかを知らないと、答えは出ない」
「どうやって集めますか」
「……人を使う。本を読む。話を聞く」
「人を使う、とは」
「信頼できる人間に、情報を集めてもらう」
アリスが少し考えた。
「……パラネス様みたいな方ですか」
「……うん」
「ジークも、そういうことをしますか」
「ジークは、少し違う」
「……どう違いますか」
「パラネスは情報を集める人間だ。ジークは、集めた情報を元に動く人間だ」
アリスが頷いた。
「役割が違うんですね」
「そうだ」
「お父様は」
「……俺は?」
「……お父様は、どっちですか?」
俺は少し考えた。
……俺は、どっちだ。
情報を集める側か、動く側か。
ゲームで言えば、プレイヤーだ。
全部を把握して、判断する立場だ。
でも、現実の俺は。
「どっちでもあって、どっちでもない」
「……難しいですね」
「王というのは、たぶんそういうものだ」
アリスが地図に視線を戻した。
しばらく、二人で地図を見ていた。
沈黙だったが、嫌な沈黙じゃなかった。
……こういう時間が。
悪くない。
引きこもっていた時は、こういう時間がなかった。
一人で画面を見ていた。
でも今は。
「……お父様」
「なんだ」
「剣術の稽古を、続けたいのですが」
「フレドに習っているだろう」
「フレドさんでは、もの足りなくなってきました」
俺は少し固まった。
「……もの足りない?」
「はい。基本は教えていただきましたが、その先を知りたいのです」
……この子、また上を求めている。
プ〇ンセスメーカーで言えば、才能が開花し始めている。
「では、別の師範を探すか」
「一つ、お願いがあります」
「……なんだ」
「ジークに、教えていただけないでしょうか」
俺は少し驚いた。
「……ジークに?」
「はい。ジークの動きを、ずっと見ていました」
「いつから見ていたんだ」
「……ずっと前から」
「なぜ、ジークがいいんだ?」
アリスが少し考えた。
「……本物の動きをしているからです」
「……本物?」
「フレドさんの動きは綺麗です。でも、本当に戦う時の動きじゃない気がします」
「ジークは違うのか?」
「ジークは、本当に人を守る時の動きをしています」
俺は少し黙った。
……八歳が、それを見抜いていたのか。
ジークの動きの意味を。
「……ジークに聞いてみる」
「ありがとうございます」
アリスが、また地図に視線を戻した。
「……あと、一つ」
「まだあるのか」
「カルダス将軍の兵法書の続きが、パラネス様の書庫にあると聞きました」
「……続きがあったのか」
「全三巻だそうです。一巻しか読んでいないので」
「パラネスに言えば、貸してもらえる」
「お父様から言っていただけますか」
「……なぜ俺から?」
「パラネス様は、私が頼むと少し渋るので」
俺は少し苦笑いした。
「パラネスが渋る理由、分かるか?」
「八歳には難しいと思っているのでしょう」
「……そうだなぁ」
「でも、読めます」
「……知っているよ」
「では、言っていただけますか」
「……分かった」
アリスが、満足そうに頷いた。
……今日だけで、三つ要求してきた。
ジークへの稽古依頼、兵法書、あと地図の書き込みの相談。
この子は、必要なものを的確に求めてくる。
ゲームで言えば、育成方針が完全に定まったキャラだ。
外交・学問・武術。全部、戦略的な方向に向いている。
授業が終わった。
アリスが立ち上がった。
「今日も、ありがとうございました」
「ああ」
「明日も、いいですか」
「……ああ」
アリスが部屋を出た。
俺は地図の前で一人、しばらく座っていた。
……外交・学問全振りで、正解だったな。
プ〇ンセスメーカーの育成方針、これで確定だ。
でも。
ゲームの育成と違うのは。
この子が、自分で方針を決めているということだ。
俺は教えているだけだ。
いや、教えているというより。
一緒に考えている。
その方が、正確かもしれない。
地図に、アリスの書き込みが増えていた。
矢印。数字。国名。街道。
八歳の子供が書いたとは思えない、緻密な書き込みだった。
でも、よく見ると、ところどころ文字が少し歪んでいた。
八歳らしい歪み方だった。
……この子は、まだ八歳なんだな。
当たり前だけど。
たまに忘れる。
俺は地図を眺めながら、思った。
……この子が、十年後にどんな人間になっているか。
見てみたい。
俺が、ここにいるかどうか分からないけど。
見てみたい。
その気持ちだけは、本物だった。
◇
その夜。
アリスは日記を書いた。
「今日の授業で、ラインベルトとアソセスの国境付近の話をした」
「お父様は、答えがまだ出ていないと言った」
「でも、私の見方は正しい方向だと言ってくれた」
ペンが止まった。
「正しい方向、か」
繰り返した。
「前のお父様は、そういうことを言わなかった」
「正しいとも間違いとも、言わなかった」
「ただ、命令するだけだった」
アリスは少し考えた。
「今のお父様は、一緒に考える」
「それが」
最後の一行を書いた。
「……好きかもしれない」
書いてから、顔が熱くなった気がした。
消そうかと思った。
でも、消さなかった。
日記を閉じた。
燭台の火を吹き消した。
暗闇の中で、目を閉じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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