神器の箱 マルコラーブ
ガルゴネシア・イドラは自身の目的を格上相手に見事やってのけたと言っていいだろう。
一手間違えれば、もしくは本気にさせてしまえば瞬く間に敗北する未来を避け続け、封印術の行使にまで漕ぎつけたのだから。
問題があるとすれば、選んだ封印術の種類。
当然といえば当然であるが、勝負を決める際に彼は『自身が所有する最も強力な封印術』を使用する事を選んだのだが、それはいくつかの属性を混ぜた『能力』で、それを選んだ場合に発生する問題にまで彼は意識が向いていなかった。
いや考えないようにしていたというべきだろう。
相手が自分に対して本気を出していないという事までは把握していたが、まさか本来の得物すら手にしていないほど手を抜いていたなどと考えたくなかったのだ。
「!」
そうして目を逸らした結果が今、彼の目の前に突き出される。
彼女の体や周囲の鮮血を包み込んでいた水晶体が甲高い音を立てながら砕け、己が全身を自由にした彼女が先ほどまでは掴んでいなかった物を手にしている。
「………………………………鎖、ですかね?」
先ほどまでは何も持っていなかった左手が鈍い光を放つ銀の鎖を掴んでいる。
とすればそれこそが鮮血の女帝エスカッティ・バンピーロの所有する神器の正体であると考えたガルゴネシアであるが、そうではないことを知ったのは直後の事。
「ッ!!」
自身の周囲がそれまでと比べ僅かに暗くなり、脳が危険信号を発するだけに留まらず全身が粟立ち、その場から急いで離れる。
「あれは!」
「agra」
僅かなあいだに十メートルほど離れたところで視線を巨大な音と砂埃に包まれた先ほどまで自分がいた場所に向ければ、彼は目にするのだ。
先端がヤスリで磨いたように尖っている鋭利な歯をぱっくりと開いた口の中全てを埋めるように生やした黒鉄色の正方形。
自身の体躯を上回り、言語化することのできない凶悪な音をあげながら、眼球の存在しない虚ろな黒い穴でこちらを見つめる怪物の姿を。
「aguraaaaaaa!!!!」
「ヌゥ!」
「あら。まだ動けるの? 意外ね」
身の毛のよだつ恐ろしい怪物の姿を目にして身動きが取れなくなり勝負が決する。
それがエスカッティ・バンピーロの想像していた未来であったのだが、そうならなかったのは彼の持つ異能のおかげだ。
心臓を中心として勢いよく全身に広がった恐怖を彼は一方の思考。理論だった考えを得意とする獣の脳に全て押し付けた。
こうする事で残っていたもう一方の竜の脳は健全な状態が保たれ体も正常に作動。
自身を丸呑みするよう開かれた口を両手を使い何とか止める事ができたのだが、そうする事で気づくのは自身と相手の間に広がるこれまで以上に大きな溝だ。
(おのれ! これほどの力を!)
襲い掛かる神器の箱が上下に生えた殺戮の牙で自分を呑み込まんとするのを、彼は残る力全てを振り絞る事で何とか阻んだ。
けれどその程度の抵抗など些細なものであるとでも言うように神器の箱は動き続け、口の間にガルゴネシアを挟んだまま、地面を抉り貫き、宙を舞い、ホテル『バンピーロ』の壁を突き破る。
「お客様を殺しちゃったら後が面倒なんだから、ホテルの中に飛び込むのだけは止めなさい」
そのタイミングで飼い主であるエスカッティ・バンピーロが軽く鎖を軽く引くと、神器の箱は来た道を戻り、途中で噛み続けていたガルゴネシアを手放した。
それは時間にすればほんの数秒の事で、けれどたったの数秒で状況は大きく変化した。
「ハ、アァ………………………………!」
鱗の削られた部分に泥や瓦礫の破片を付着させ、身を守るよう鋭利な牙を掴み続けていた両手から夥しい量の血を流しながら、肩で息をするガルゴネシア・イドラは悟ってしまった。
『どう足掻いても勝てない』と。
彼女が使役している神器の箱に歯が立たないという事実。
自身が必死に対処している間、本体である彼女は見ているだけで指一本動かしていないという事実。
そしてもし隙を突いてもう一度封印術を行使しようとしても、それが終わるよりも先にあの獰猛な生きた神器が邪魔をしてくるだろう事実。
その三つを把握した瞬間、冷静に状況を分析できるゆえに彼は自身が敗北する未来を認めてしまった。
「………………………………ッ!」
だとしても、膝を折り泣きわめくことだけはしないと彼は心に決めた。
たとえ勝ち目がなくとも最後まで足掻こうと考える。
いや奇跡を信じ戦い抜くと胸に誓う。
それこそが彼を友として扱ってくれた第二高校に所属する友に対する礼儀であると、新たに生成した錫杖を強く握りながら考え、
「尻の青い餓鬼。世間知らずで戦場に出た事もない半人前だと思っていたんだけど」
「………………?」
「その考えだけは訂正しましょう。貴方は既に、一人前の戦士だわ」
「ロッセニムを名を残したという人物にそう言っていただけるとは。光栄ですね」
そんな彼をエスカッティ・バンピーロは称賛する。
敵味方の垣根を外し真剣な声色で言い切り、ガルゴネシアもその一瞬だけは柔らかい声で応じ、
「――――では終わらせましょう」
次いで勝負を決するために持っている鎖で地面を叩き、これに呼応するようにガルゴネシアの身の丈を超えた正方形の巨体が動く。
地面を何度も揺らしながら跳ね、鋭利な牙が揃った口を開く。
「ッ!」
今度はそれを真正面から受けるようなことはなく横に躱すガルゴネシアは、大きく跳躍すると真っ白な翼を広げ空中に滞留。真下を見下ろし、自身へと向け伸びてくる巨大な脅威を右に左へと移動し回避。
(仕方がありませんねっ!)
上下左右に加え前後と逃げ場は多いものの、自身の図体の大きさと神器の箱の図体に相応しくない機動力の高さが合わさる事で攻撃が掠り始めると、エスカッティ・バンピーロが嫌っていた事実を思い出しホテル『バンピーロ』の中に逃げ込むよう動き出し、
「チェックメイト」
「ッ!」
その一手が彼を破滅へと導いた。
中へ入ろうとホテルに近づいたところで、彼の体に突き刺さるものがあった。
「しまった!」
透明化の能力と混ぜられた『鮮血創造』により生成された棘である。
「agra!」
そうして速度を緩めたガルゴネシアを呑み込むように、神器の箱が不気味な音を発しながら彼の頭上から降下。考えるよりも先にガルゴネシアは錫杖を投げ捨てると血だらけの両手を上下に構え、再度噛みつきをいなそうと画策する。
「回りなさいマルコラーブ」
その抵抗を無に帰す呪文をエスカッティ・バンピーロは唱え、応じた神器の箱は口を閉じ勢いよく回転。
噛みつきにより肉を貫き血を啜る基本の形から異なる。
回転し敵をすりつぶすという手段で、ガルゴネシアへと迫っていく。
「メ、メェェェェェェ!!?」
至極残念な事に、ガルゴネシアはこれを止めきれない。
巨大な箱が繰り出す高速回転は彼の両手をはじき返すと体にめり込み、神器が持つ宇宙最強の硬度により竜の鱗を削っていく。
「ッ!!!!」
それにより生じた火花が収まるのと両者が地面に衝突したのは同じタイミングで、半獣半竜の少年の体を中心とした周囲に血の華が咲いた。
「………………奇妙な見た目をした勇敢な少年の血。これまで飲んだ事がないそれはどんな味なのかしら?」
数秒後、体を小刻みに揺らしながらも動き出す様子がないガルゴネシアを前にして、今度こそ終わった事を確信したエスカッティ・バンピーロはそう呟きながら彼の側へと近づいていく。
「お疲れガルゴネシア君」
「!」
静寂を突き破る雷鳴が鳴り響き、彼女の身を呑み込まんとしたのは直後の事で、それを自身の側に呼び戻した神器の箱で防いだ彼女は、雷鳴が過ぎ去ったところで目にしたのだ。
戦場へと馳せ参じた刃渡東一郎と、意識を失ったガルゴネシアの回復に努めるリイン・アンリアルの姿。
「後は任せてくれ」
そして彼の仇を討つため、最前線に立つ第七高校生徒会長ヌーベ・レイの姿を。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
青年編開始からしばらくして、ついに出ました賢教から支給された薙刀由来とは異なる『正式な過程を踏んだ神器』!
あちらは能力無効化の恩恵はともかくいまいちな能力も多いのに対し、やはり正式版は強力ですね。
何しろこれまでなかった生物型の神器。膂力や攻撃手段は当然の事、主が危険な目に遭えばガルゴネシア君の想像通り急いで馳せ参じる事もできるため、利便性と威力の両方が高スペックです。
次回以降で語られますが、これに加え手持ちの能力や高い身体能力を合わせるのですから、そりゃロッセニムでも大活躍できたわけですよ。
そんな彼女に立ち向かうのはヌーベ・レイですが、今回は彼も手加減なしのフルスロットル!
前回の戦いで語られていた切り札もお披露目です!
それではまた次回、ぜひご覧ください!




