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薔薇や百合ではありません  作者: 小林 あきら
第一章 薔薇や百合ではありません
17/48

3-4


 私の平和な日常が壊れ、もうどうしていいか分からなくなった私は、それでも放課後にいつもの喫茶店へと向かう。

 日常を取り戻すためには、普段の変わらぬ生活を心がける事が大切なのだ……たぶん、きっと。


「……こんにちは……」

「おや?悠君?今日は元気がないようだけど……何かあったのかい?」

「い、いえ……少し疲れているだけです」

「そうか……いつもの席で待っているといいよ」


 心配してくれているマスターに、頬笑みを返すが、どうも上手く笑えていないらしい。

 マスターは少し寂しそうに笑い、それでもこれ以上は聞かずに、いつも通りの態度を貫いてくれた。


 こういう気遣いいができるマスターの事が大好きだ。

 マジでマスターさんカッコイイ!

 自分が女ならば、この人に惚れていただろう。

 しかし、私は男なので、女装をしなくていいのなら、将来はあんな紳士になりたいものだ。


 でも、私を育てたのは涼さんだ。

 そう、あの涼さんなのだ。

 となると、私もあんなふざけた大人になってしまうのだろうか?


 ……いや、今はそんな事考えるのは止そう。

 これ以上何か考えるはもう限界だ。


 心を癒す様に、いつものテラス席でいつものようにコーヒーを片手に、文庫本を読んでいると会話が聞こえる。

 ああ、いつもの初等部の子達だろうか?


 つい耳を傾けると、彼らはこんな会話をしていた。



「なぁ、今日の男女で別かれてやった保健体育あったじゃん?」

「ああ、あったな。で、それがどうした?」

「いや、俺達もそんな年頃になったんだなーってさ」

「なにお前?急に悟った事言ってんの?というかそれ、昨日やってたアニメの主人公のセリフ丸パクリじゃねぇか!」


 くそっ、騙された。

 なんか「最近の初等部の子は結構大人びているのかなぁ」とか感心したじゃねーか!


「くそっバレたか!なんかカッコ好かったから使ったのに」

「んで、結局お前は何が言いたんだ?」

「ああ、おっぱいってさ……なんでおっぱいって言うんだ?」


 これは……この子は本当にバカなのか!?

 少年Aの言葉に、テラス席で優雅にコーヒーを飲む私を震撼させる。


「……また、お前は馬鹿な事を言い出したな?……え?もしかして、その問いに哲学的な意味があったりすんの?」

「いやいや。お前こそ馬鹿な事言ってないで聞けよ。いいか?おっぱい、それは女性だけ所有する事を神に認めたられた物だ。おっぱい、それは男が誰しも恋い焦がれ、いつかはそれを我が手に収める為に努力する、至高の物だ!おっぱい!それは――」

「お、おう。ま、まぁ?お前の意見は一理ある……かもしれないな」


 少年Bは少年Aの「おっぱい発言」を被せる様に遮り、頬を赤く染めながらも、なんとか頷く。


「おっぱい、それは子供が出来た時に、授乳する為の物だ。しかし、おっぱい、それは女性の魅力の一つでもある訳だな」

「うん……そうだね……」


 一度は止めようとした少年Bだが、更に熱く語りだす少年Aを止められないでいる。

 こんな街中で大きな声で『おっぱいおっぱい』と語るせいで、ほら、君の友人である少年Bが、周りをキョロキョロ見ながら、真っ赤になっているぞ?


「そして、最初の話に戻るんだけど、おっぱいって、なんでおっぱいって言うんだ?」

「……お、お前本当……まぁいいや。う〜ん、ほら?子供や赤ちゃんが分かりやすいように作った言葉じゃねぇの?偉い人が」


 少年Bは「心底どうでもいい」と言わんばかりに、適当に返事をしている。


「いいや違うね!お前、おっぱいだぞ?そんな一言で片づけていい問題な訳ないだろ?やる気あんのか?あぁん?てめぇ、少しは真面目に考えろよ!」

「あ、うん……なんかごめんな……」


 少年Bは少年Aの剣幕に、首を傾げながらも謝ってしまう。

 もしここで、私が口を挟めるのなら、少年Bのフォローをする様に動くだろう。

 例えば、彼の言葉の最後の『偉い人』を『エロい人』に変えるだけで、きっと少年Aは納得する筈なのだ。

 だって、少年Aは馬鹿だから。


 そして、決して悪い訳でもないのに怒られた少年Bは、何か居心地が悪そうに下を向いているのが窺える。

 どうにかしてやりたいと思いつつも、しばらくすると様子を見守っていると、この気まずい沈黙を破る存在が現れる。


 そう、その存在とは――我らが少年Cだ!


「悪いなぁ〜、待たせた……って、どうしたお前ら?また喧嘩か?」

「おお!お前を待ってたんだよ!」

「マジ助かった!本当良かった!こいつをなんとかしてくれよ!」


 少年Aも少年Bも少年Cを見た瞬間、表情が晴れやかになる。

 私も心なしか少年Cの登場に安心感を覚えてしまう。

 なぜだろう?少年Cがとても頼もしく見える。


「ん?ああ、分かったから。それで今度は何があったか話してみろ?」


 そう言いながら、困った様に笑い、眼鏡をクイってするのが、悔しい事に妙にカッコいいと思ってしまった。


 何この子?本当に初等部なの?

 私のクラスのエロ川君よりずっと知的に見える……不思議でもないな。

 うん、必然だ。


「ああ、よく聞いてくれよ?物知りのお前なら、こんな事、取るに足らない問題かもしれないが……おっぱいって、なんでおっぱいって言うんだ?」

「ほぅ……『おっぱい』についてディスカッションしていた訳か?まぁ、それなら少し熱くなる事もあるだろうな」

「え?そうなのか?」

「ああ、だから許してやれ」

「お、おう……」


 少年Aの言葉を興味深いように、感嘆の息を漏らす少年C。

 そして、その返答に戸惑いを見せる少年Bと、本越しに盗み聞きをしている私。


「じゃあ、結論から先に言わせてもらうと『よくわからない』が答えだ。一杯が訛って『おっぱい』となった説などもあるが、未だにどれが正しいかは語られていないんだ」

「くっ!ちくしょう!迷宮入りかよ!偉い学者が雁首揃えて何やってんだよ!」


 いや少年A、お前こそ何言ってんだよ?

 学者さんに謝れ!

 学者さん達はおっぱいについて研究する為に、学者になった訳じゃないからな!


 悔しそうに、本当に悔しそうに言葉を絞り出す少年A。

 この子は本当に……余計なお世話かもしれないが、将来が不安になってくる。

 そんな少年Aの姿を見て少年Cは、ニヤリと笑い両手を広げ言葉に抑揚をつけ、言い聞かせるように語りだす。


「いいかい?よく聞くんだ。確かに『おっぱい』の語源は分からない。もしかしたら、一生分からないままなのかもしれない」


 少年Cの声は徐々に大きくなり、拳を握り、見る者を魅了するかの様に、心を鷲掴みするかの如く、力強く語りかける。


「だが!だがだ、諸君!よく聞け!逆にこう考えられないだろうか?言語では、いや、人如きでは『おっぱい』について全てを語る事などできない、神秘的なモノである、と」


 おっぱいについて語る少年Cの姿はまるで、自由を訴える革命家の様であり、老齢の首唱の様でもあった。

 少年Cが何処に向かおうとしているのは、それこそ『神のみぞ知る』なのかもしれない。


「お、おおおおおーー!!流石だぜ!俺はお前についていくぜ!」

「ふっ、この道は茨の道だぞ?」

「ふっ、望むところだ!」

「あ、うんそうだね〜」


 少年Aと少年Cが硬く手を握り合いながら、修羅の道を行くと決めている横で、少年Bは冷めた目で彼らを眺めているのが、とても印象的だった。

 そして、私はというと……


「なる……ほど……」


 正に天啓を得たかのようだった。


「……おっぱい、かぁ」


 まさか、彼らの会話で悩みの解決の糸口が見えるなんて、もう彼らを馬鹿に出来ないじゃないか。

 彼らもまた、それぞれの心に信念を抱いた一人の――いや、一匹の漢なのだと。


「ふぅ……帰りますか」


 これは、この気持ちをなんて表現するべきだったろうか?

 ああ、思い出した。

 以前の彼らの会話であってではないか。


 そう、これこそ『目から鱗』だ。





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