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異世界でおっさん看護師が始める救命活動  作者: ナギ


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【第2話】穴の開いたバケツと、現場を破綻させる自己犠牲

「我らの里を救ってくれ……! お前が持つ凄腕の魔法で……!」

透を連行してきたエルフの側近たちが、必死の面持ちで頭を下げる。だが、透の視線は彼らではなく、天幕の奥深くから漏れ出す淡い青白い光に釘付けになっていた。

天幕をめくると、純白のドレスを纏ったエルフの姫が、震える手から「ヒール(回復魔法)」の光を放ち、重症患者の胸に必死で手を当て続けていた。

だが、患者を診る前に、透の目は姫自身の異常なバイタルサインを鋭く捉えた。

姫の顔色は紙のように白く、おでこからは滝のような冷や汗が溢れ出ている。肩は激しく上下し、瞳孔は散大気味で視点が定まっていない。膝はガクガクと震え、今にもその場に倒れ伏しそうだった。

「姫様! これ以上は魔力が……お命が持ちません!」

側近たちの悲痛な声にも、姫は悲痛に首を振る。

「だめ……! 私しか……高位の魔法を使える者がいないのだから……! 一人でも多く救わねば……!」

(あんなのは治療じゃない……! 自分の命と魔力を削って、無理やり現場を回しているだけだ……!)

透の胸が、万力で締め付けられるような痛みを覚えた。

透の脳裏に、前世の慢性期・急性期病棟での苦い記憶が鮮明に蘇っていた。

慢性的な看護師不足の中、深夜の病棟でたった二人のナースで数十人の要介護患者を診ていたあの日常。

「患者さんのために」と真面目で責任感の強い看護師ほどサービス残業を重ね、休日返上で穴埋めのシフトに入り、心身の限界を迎えて一人、また一人と静かに現場を去っていった(離職)。

残されたスタッフにはさらに重い負荷がのしかかり、ミスを恐れるプレッシャーと過労で疲弊し、また次の離職者を生む地獄の悪循環——。

個人がどれだけ高い志を持とうと、現場の構造的欠陥や無理なシステムを放置し、誰かの「自己犠牲」だけに依存して回す現場は、絶対に長続きしない。最後には全員が共倒れになるのだ。

「魔法を止めろ! 彼女が先に倒れるぞ!」

透は部下たちの制止を振り切って天幕へ駆け込んだ。崩れ落ちた姫の細い身体を咄嗟に抱き留め、首筋の頸動脈に指を当て、持ち込んでいた聴診器を速やかに姫の胸にあてる。

「……呼吸数35回/分、心脈拍140回/分、整だが著しく微弱! 魔力枯渇と重度の疲労による代償性ショック直前だ!」

透の速やかなアセスメントに側近たちが息を呑む。透は目を覚ました姫に力強く語りかけた。

「姫様、あんたの魔法はすごい。だが使い方が間違っている! 自分を犠牲にして、穴の開いたバケツに上から水を注ぎ込んだって誰も救われないんだ! 水分と電解質が枯渇した身体に魔法だけをかけても、細胞は動き続けられないんだよ!」

透は周囲のエルフたちに向かって矢継ぎ早に命じた。

「いいか、これからの治療戦略を変える! 姫様の魔法は、血圧が下がり切って心停止しそうな超重症者の【ショック離脱の一次蘇生】だけに限定して使う! 命の危機を魔法で繋ぎ止めている数分間の間に、俺たちが口から大量の塩分と糖分、水分(ORS)を叩き込んで細胞外液を満たすんだ!」

そこへ、透の足跡を追って駆けつけていたゴブリンの助手チーム(リクたち)が合流した。

かつて「緑の害虫」と反目し合っていた種族が、透の指揮のもとで一丸となり、厳格なトリアージ、ORS補水、水源の煮沸、手洗いを徹底させていく。

だが——脱水とショックの進行があまりにも早すぎた数名のエルフたちは、どれほど手を尽くしても、すでに進行した多臓器不全から持ち直すことができず、静かに息を引き取った。

「くそっ……! 間に合わなかったか……!」

悔しさに拳を握りしめる透の横で、周囲のエルフたちは悲鳴をあげることもなく、静かに胸の前で手を組み、祈りを捧げ始めた。

数百年の長き時を生きるエルフ族にとって、「死」とは恐れるべき不吉な終焉ではなく、「大樹と森へ魂が還る自然な巡り」として受け入れられていた。命の単位が果てしなく長い彼らは、どこか達観しており、人間に比べて「死」を静かに受容する感覚が深く根付いていたのだ。

だが、最期を迎えた患者の穏やかな顔を見つめながら、透は心の中で静かに誓った。

(長寿だからといって、死を受け入れる文化があるからといって……消えていく命の重さや、遺された者の悲しみが軽くていい理由にはならない)

透はバケツと清潔な布を用意し、亡くなったエルフの身体に付着した汚れを丁寧に拭き取り、乱れた衣服と髪を優しく整えた。現世で何人もの患者を看取った際に行ってきた【エンゼルケア(終末期の手当て)】だった。

さらに、亡くなった者の傍らで佇む遺族の肩にそっと手を置き、同じ目線に屈んで語りかけた。

「……最後まで、よく頑張って生き抜かれました。……寂しくなりますね。何か俺にお手伝いできることはありますか」

長寿ゆえに「死」を当然のこととして冷静に受け止めようとしていた遺族たちが、透の温かい手と、最期まで一人ひとりの尊厳を守ろうとする真摯な言葉に触れた瞬間、堰を切ったように目から涙をこぼし始めた。

「橘様……ありがとうございます……。こんなにも丁寧に……温かく見送っていただけるなんて……」

死を受け入れる彼らの文化や価値観を否定せず深く尊重する。だが、どれだけ生きる時間が違おうとも、最期まで「一人の尊い命」として温もりをもって寄り添う——。

医療の限界の中で救いきれなかった命があったからこそ、透の提示した【終末期看護とグリーフケア(遺された人々へのアフターケア)】は、エルフたちの頑なな心を深く、優しく溶かしていったのだった。

姫の回復魔法(一次蘇生)と、透の科学的脱水管理(根本保持)。

そして、命の尊厳を守る看護ケアが重なり合った時、かつてない猛威を振るっていたエルフの里の感染症は、ついに収束に向かって踏み出していったのだった。

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