【第2話】切断された未来と、闇の中の警告
王都魔法術医ギルド本部の最上階にある密議室。その分厚い鉄の扉が重々しい音を立てて閉ざされた後も、廊下に立ち込める甘ったるい香料の匂いは一向に薄れなかった。
薄暗い石造りの回廊の陰で、一人の青年が息を押し殺して壁に身を寄せていた。
若い魔法医、ルークであった。
ルークは額から流れる冷や汗を拭うことも忘れ、胸元に抱えた羊皮紙の束を、指先が白く変色するほど強く握りしめていた。その羊皮紙には、彼が下民街での感染症収束のプロセスを足繁く通って調査し、幾夜も徹夜を重ねて書き上げた『公衆衛生と予防医療の導入に関する意見書』がびっしりと記されていた。
(……やっぱり、ギルド長も役員の方々も、何一つ聞く耳を持たない……。それどころか、下町で人々を救っている橘先生を……ただのペテン師として排除することしか考えていないなんて……!)
ルークは悔しさに唇を激しく噛み締め、血の味が口中に広がるのを感じた。
現在、王都魔法術医ギルドが抱えている闇——それは、【深刻な高齢化と、若手魔法医の急速な衰退】であった。
かつては王都の栄華を支えた魔法医療だったが、近年、生まれつき強い魔力を宿して生まれてくる子供の数は激減していた。それにもかかわらず、ガルブレイスをはじめとする老齢の重鎮たちは、自分たちの富と権威を手放すまいとギルド上層部の座を独占し続けていた。
彼らは自らが現場に出て魔力を消耗することを嫌い、ルークたち若い魔法医に過酷な連続労働を強いていた。貴族たちの軽微な擦り傷や日々の疲労、果ては二日酔いの解消にまで、高額な報酬と引き換えに無制限の『ヒール(回復魔法)』を掛けさせられていたのだ。
結果として、若い魔法医たちは心身ともに擦り減り、魔力を過剰に搾り取られて早々に能力を枯渇させていった。現場の若い手が足りなくなれば、残された者にさらに重い負担が覆いかぶさる。まさに地獄のような悪循環が、この白亜の塔の裏側で渦巻いていたのだ。
(このまま高額なヒールを無差別に打つだけの医療を続けていれば、数年と経たずに若い魔法医は一人もいなくなる……! 橘先生が下民街で実践されたように、病気の原因を突き止め、環境を整え、患者自身の回復力を支える『予防と看護』の考え方を取り入れなければ、この国の医療は完全に崩壊してしまう……!)
ルークや、志を同じくする数人の若手魔法医たちは、何度もそう声を上げ、業務の改善と予防理論の導入を上層部へ訴えかけてきた。
しかし——老害化した重鎮たちが下した答えは、対話でも改善でもなく、【凄惨な排斥と恐怖政治】であった。
ルークは吸い寄せられるように、暗く湿った地下廊下へと向かった。親友であり、共に改革を訴えていたマルクの行方を追って辿り着いた第三審問室の隙間から、地獄のような光景を目撃する。
「やめろ! やめてくれぇぇぇっ! 私は……私はただ、患者さんたちを苦しみから救いたかっただけだ! 魔法の乱用で仲間が倒れていくのを止めたいだけなんだ! 頼む、手を……手だけは奪わないでくれぇぇっ!!」
「身の程を知らぬ異端者に、神聖なる魔法を紡ぐ資格などない」
老魔法医の冷酷な言い渡しとともに、巨漢の処刑兵が肉切り包丁を高く振り下ろした。
ズシャッ……!! ガアァァァンッ……!!
「があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!???」
叩き落とされたのは、マルクの【両手首から先】であった。鮮血が天井まで吹き飛び、赤黒い花を撒き散らす。手首を失ったマルクは、二度と回復魔法を放つ術を奪われ、激痛に叫びながら石畳の上をのたうち回った。
(……ひっ……!!)
声にならない悲鳴がルークの喉を絞めつけた。
ギルドはもう、医療機関などではない。自分たちの利権を守るためなら、志ある若者の未来も命も躊躇なく破壊する【狂気の処刑場】だ。
ルークは半乱乱で回廊を駆け抜けた。胸の意見書を抱え、下民街にある橘透たちの『訪問看護ステーション』へ向かって逃げ出そうとした。
——だが。
「どこへ行く気だ、ルーク」
ガギィンッ……!!
冷たい声と同時に、背後から放たれた風の刃(魔法)がルークの右足を襲った。
「ぐあぁぁぁぁっ!?」
激しい激痛と衝撃。ルークは石畳の上に激しく転倒した。見下げると、自らの右足首から先が、切断されて転がっていた。
「ひ……あ……あぁぁぁっ……!」
「ギルドを裏切り、あの不潔な手当て屋のもとへ走ろうとしたな。裏切り者には見せしめが必要だ」
ガルブレイスの側近たちが、血を流し転がるルークを嘲笑った。
数時間後。
ギルドの地下奥深くに置かれた、若い魔法医たちの雑居部屋。普段は過酷な勤務の合間に若手たちが身を寄せ合い、束の間の休息をとる粗末な部屋の木扉が、荒々しく蹴破られた。
「おい、異端者どもの末路だ。よく目に焼き付けておけ」
ドサッ、ドサッと、重い肉塊が床に叩きつけられた。
投げ込まれたのは、両手首を切り落とされたマルクと、右足首を奪われたルークだった。二人とも大量出血と激痛で意識を失いかけており、床には瞬く間に赤黒い血の海が広がっていく。
「ヒッ……! マ、マルク……!? ルーク……!?」
部屋にいた数人の若い魔法医たちが、絶句して跳ね起きた。
見張り役の処刑兵は、冷酷な蔑みの視線を投げて吐き捨てた。
「上層部からの命だ。『見せしめとして、この豚どもの手当てと世話はお前たち同期の若造どもがやれ』とな。魔法の無駄遣いは許さん。死なぬ程度に惨めにながぬらさせておけ」
バタンッと重い扉が閉ざされ、錠が下ろされた。
暗い部屋の中に、狂おしいまでの静寂と、濃密な血の匂いが立ち込める。
「ルーク……! マルク……! しっかりしろ! しっかりしてくれ……っ!!」
同期の若手魔法医たちが、血の海へ飛び込んだ。
マルクの両手首の断断面からは未だに血が吹き出し、ルークの右足からは骨が覗いている。あまりにも凄惨な傷口に、若者たちの手は激しく震え、歯はガチガチと音を立てて鳴った。
恐怖。絶望。怒り。悲しみ。
激しい感情の波が、若者たちの胸を破裂させんばかりに突き上げてくる。涙が溢れ出そうになり、叫び出しそうになる。だが——ここで大声を上げれば、見張りに感づかれ、自分たちまでもが同じ目に遭う。
「……声を出すな……っ。泣くな……! 涙を拭け……っ!!」
中心となる若手魔法医が、血の滲むほど強く唇を噛み締め、低い声で仲間たちを制した。
彼らは押し寄せる色々な感情を必死で押し殺し、血に濡れた胸元に拳を叩きつけた。
「手当てだ……! 二人を死なせるな……! 布を持ってこい! 傷口の上を固く縛るんだ……橘先生の言っていた、圧迫止血だ!」
若い魔法医たちは、ギルドから教え込まれた「ヒールを無暗に打つ」ことではなく、以前ルークから密かに教わっていた橘透の【応急手当て(応急処置)】を実践し始めた。
清潔な布で傷口の根元を強く縛り、血流を抑える。そして、すり減り、底を突きかけている自らの体内の「わずかな魔力」を手に集中させた。
高額な報酬のために使ってきた回復魔法ではない。 仲間の命を、失われかけた未来を繋ぎ止めるための、絞り出すような一筋の青い光。
「頼む……届いてくれ……っ! 二人を救ってくれ……っ!!」
若手たちは掌を重ね合わせ、僅かな魔力をマルクの手首とルークの足へ注ぎ込んだ。一網打尽に傷を塞ぐほどの魔力はない。けれど、血管の断面を焦がすように塞ぎ、出血を止めることだけに全神経を注いだ。
激痛に絶叫しそうになるマルクの口に布を噛ませ、血に染まったルークの身体を抱きしめて温める。
言葉にならない涙が、若者たちの頬を伝ってポロポロと床へ落ちた。
自分たちが信じて尽くしてきた魔法術医ギルドの正体が、これほどまでに醜く、理不尽なものだったとは。そして、自分たちが「平民のイカサマ」と嘲笑ってきた橘透の手当てが、どれほど温かく、命の理に敵ったものだったか。
(橘先生……っ! あなたの言っていた通りだ……! 医療は、権力を振りかざすための道具じゃない……っ!)
(僕たちは……絶対に屈しない! 手を奪われ、足を奪われても、僕たちの心まであいつらに殺させはしない……っ!!)
血みどろの地下室で、若い魔法医たちは感情を押し殺しながら、静かに、けれど揺るぎない反逆の炎をその瞳に宿した。
手足の傷は塞がったものの、二度と元の身体には戻らない。失われた身体の痛みを噛み締めながら、ルークはかすかな意識の中で、マルクの残された肩を強く抱きしめた。
彼らの胸の中で、橘透から受け継いだ「真の看護と医療」への志が、固く、深く根を張った瞬間であった。
そして、その惨劇を知る由もない橘透たちのもとへ、ガルブレイスの仕掛けた『王都魔法医療学術大集会』への凶悪な招待状が届けられようとしていた。




