第5章:陰りゆく白亜の塔と、血塗られた権威 【第1話】老いた亡者たちの密議と、王族の関心
王都の中心、青空を突き刺すようにそびえ立つ『王都魔法術医ギルド本部』。 白亜の大理石と彫刻で彩られたその壮麗な大聖堂の奥深く、重厚な鉄の扉で閉ざされた密議室には、吐き気を催すような重苦しい空気が充満していた。
天井の隙間から差し込むかすかな光の筋の中に、大香炉から焚かれる高価な香料の煙がゆらゆらと揺れている。その甘ったるい香りは、部屋を包む腐敗した空気と、そこに集う老体たちが発する微かな加齢臭や死臭を覆い隠すためのものに過ぎなかった。
部屋の中央、深紅の絨毯が敷かれた円卓の上座に鎮座するのは、ギルド長であり最上位魔法術医の頂点に君臨する男、ガルブレイスであった。 その顔には深い刻み皺が走り、重たく垂れ下がった瞼の奥で、濁った眼光が不気味に蠢いている。彼の周囲を囲むのは、豪華な金糸の刺繍が施された法衣を身に纏う、高齢の役員たちであった。
「——長官。王宮の側近より、密使が遣わされました」
円卓の端に座る老役員の一人が、重くかすれた声で静寂を破った。その細く震える指先には、王家の紋章が捺された羊皮紙が握られている。
ガルブレイスは眉間に深い溝を刻み、濁った視線を向けた。
「……王宮だと? 何の要件だ。今年の納入金と高位魔法医の派遣ならば、すでに手続きは済んでいるはずだが」
「それが……その件ではございません」
老役員は生唾を飲み込み、おそるおそる言葉を続けた。
「王族の方々が……例の下民街で『手当て屋』などと名乗り、奇妙な手当てを行っている平民の男……橘なる者に、強い興味を示しておられると」
「……何だと?」
ガルブレイスの声のトーンが、急速に体温を失った。密議室の中の空気が一瞬で氷点下へと凍りつく。
「王族の方々が……あのような身分も持たぬ野良の手当て屋に関心を持っておられるというのか? 詳しく話せ」
「は、はい……! 下民街や近隣の農民たちの間で蔓延していたあの劇症下痢症が、橘なる男の手によって完全に収束したとの噂が、王宮の耳にまで届いたようでございます。それどころか、高額な回復魔法を一切使わず、『水と手洗い』だけで死者をゼロにしたという話に、王族の一部や高位貴族たちが『新しい知見ではないか』と関心を寄せ始めていると……」
バチィン……ッ!!
激しい打擲音が部屋に轟いた。 ガルブレイスが枯れ木のような拳で激しくテーブルを叩いたのだ。卓上の銀の盃が倒れ、中に注がれていた赤ワインが、血のように白い大理石の床へダラダラと広がっていく。
「戯言を……! 戯言をぬかすな!!」
ガルブレイスの喉から、野獣のような低く濁った怒号が漏れ出た。血管の浮き出た顔が激しい怒りで真っ赤に染まる。
「王族の方々が……あの下種な平民や畜生どもの手当て屋に関心を持たれるだと!? 冗談ではない! 我ら魔法術医ギルドが何百年と築き上げてきた神聖なる威光を、何だと心得ているのだ!」
周囲の高齢役員たちも、堰を切ったように不快感と憤りを露わにし始めた。
「身分も権威も持たぬ下民が、『手を洗え』だの『水を沸かせ』だのと妙な邪術を触れ回っているというではないか!」 「おかげで、下町や郊外の農民どもが我々の授ける高価な薬草や『ヒール(回復魔法)』を一切買わなくなった! 今月のギルドの利権収入は、前年の半分以下にまで落ち込んでおるのだぞ!」 「ええい、不快極まりない! 命の売り買いこそが我らギルドの特権! 金を払えぬ下民や亜種どもは、神の生贄として死ぬのが世界の理ではないか! あの男は、我らの利権と絶対的な支配を根底から汚しておる!」
役員たちの醜い罵詈雑言が、薄暗い密議室に木霊した。
彼ら高齢の重鎮たちにとって、医療とは「病む者を救う行為」などでは決してなかった。 高額な金を払える貴族や王族にだけ魔法を授けて莫大な富を貪り、金を払えぬ下層民は「神の祟り」と偽って見捨て、あるいは「生贄」の名目で殺処分する。そうして恐怖と神聖さを演出することで、己の地位と利権を維持するための【絶対的な権力装置】だったのだ。
下民街で橘透が成し遂げた公衆衛生の成功は、単なる感染症の収束にとどまらず、彼らの利権構造そのものを根本から覆しかねない恐ろしい毒薬であった。
ガルブレイスは血走った目をギラギラと光らせ、倒れた盃から垂れ落ちるワインを冷たく見つめた。
「……王族の方々があの男に深く触れられる前に、何としてでも潰さねばならぬ。あの無礼者を、この王都から跡形もなく消し去るのだ」
「長官……刺客を送り、密かに処刑いたしますか?」
役員の一人が提案した。だが、ガルブレイスは酷薄な笑みを浮かべ、緩やかに首を振った。
「愚か者め。今やあの男は、下民や亜種どもから神のように崇められているのだぞ。裏で暗殺などしてみろ。下民どもが暴動を起こし、かえって王族の不信を煽ることになる」
ガルブレイスは優雅に法衣の裾を整え、意地の悪い笑みを口元に刻んだ。
「奴が下民どもの英雄だというのなら……全民衆と貴族たちの前で、その化けの皮を剥ぎ取り、絶望の底へ叩き落としてやればよいのだ」
「化けの皮を……でございますか?」
「ククク……そうだ。近々、この本部にて開催される【王都魔法医療学術大集会(学会)】……。そこに、あの手当て屋を『特別ゲスト』として招待するのだ」
ガルブレイスの歪んだ目が、暗闇の中で妖しく光った。
「王都中の貴族、高位商人、そして王族の使者が集う豪華絢爛な大劇場の上で、我らギルドの誇る『神のごとき回復魔法』の絶対的な力を見せつけてやる。そして……魔法の使えぬあの男がいかに無能で、愚かで、何一つ救えぬペテン師であるかを、惨めに見せしめにしてやるのだ」
「おお……! さすがギルド長! 完璧な策でございますな!」 「全民衆の前で無能を晒せば、王族も一瞬で興味を失いましょう!」
老いた亡者たちの醜い嘲笑が、密議室の重苦しい空気を揺らした。
「そうと決まれば、すぐに準備を進めよ。あの男に拒否の選択肢など与えん……。王都の最高権威の力で、地獄の舞台へ引っ張り出してやるわ」
ガルブレイスは冷酷な命令を下し、深紅のワインで汚れた手を、真っ白な布でゆったりと拭い去るのだった。




