第四話 霊峰・富士Ⅱ 天真総司の初恋<中>
「わ」
大きな洞を覗きこんだ恭鷹が手招きする。
「Aランクが寝てんだけど」
落ち葉が降り積もった洞の中にぎちぎちにAランクが詰まっている。
キュォ……キュォォン……という鳴き声と共に濃い灰色の短い体毛が静かに上下する。
動きも音も小さいので休息時と見ていいだろう。
一ノ宮がほぅ……と感嘆の息を漏らす。
怪獣の珍しい生態を見ると妙に艶っぽくなるのはなぜなのか。
「ここが寝床ってことですかね。それとも道中で寝てるだけですかね。どちらにせよレア、レアですよ。撮影しておきましょう」
言うや否やバシャバシャと撮影しはじめる一ノ宮を後目に、恭鷹が気まずそうに呟く。
「寝込み襲って討伐するの気が引けるわぁ。こんなんトトロじゃん」
「トトロ……知り合いか?」
「総司知らないの。平成、いやギリ昭和かな。……の有名なアニメ映画」
「百年以上前とはまたレトロな。悪いが映画には造詣が深くない」
「このところ流行ってるんだよ。怪獣出現前の穏やかな日本を懐古するってんで」
「そうか。それでこのトトロとやらは見逃した方がいいのか」
「一キロ圏内きれいにしろって話だから殺さないとマズいだろうね」
「魅力的なのと討伐は別ですから。被害が及ばないうちに殺しましょう。あ、体毛と皮膚片は今こっそり頂戴したので、体液だったり肉片が残ると望ましいです。よろしくお願いします」
「……だってさ」
「俺か?」
「僕、昼間にさんざっぱら奏ちゃんにこき使われたもん。蹴り飛ばしてもいいけど、ざっと二十メートルぐらいはあるでしょ、この子。脚疲れるじゃん。五分かけて自壊しろって神威で命じたら、途中で肉片と体液採集できるんじゃない。知らんけど」
「わざわざ当局に規制解除の許可を取れと」
「僕やりますよ。タブレット持ってきてるんで。えーっと、規制能力の使用申請はこちらっと。よいしょ」
やけにテキパキと動く一ノ宮を苦々しく見ていると、うるさかったのかぎょろりと怪獣の巨大な目が開いた。「やば」恭鷹がとっさに一ノ宮を抱えて飛びすさる。
ドォォォォン……
短い手足をもぞもぞと動かしながら怪獣が寝返りを打つ。
洞を支えていた地面に足と尾が当たり、洞の上の樹木が数十本一気になぎ倒されて洞の中の三人に降り注いだ。もがきながら洞から這い出て生き埋めを回避する。
キュォォォォォォォォォォォ!!!
木々が降り注ぐ感触が不快だったのか、怪獣が土砂と枯れ葉の中から身を起こし叫びながら地団駄を踏む。
森全体が揺れたような気がした。轟音にぐわんぐわんと鼓膜が揺れて耳が痛い。
怪獣はむずがるように前後左右に大きく体を揺らして森の奥に分け入っていこうとする。
「見失ったらまずい。追うぞ」
走り出すと同時に、キンコン、奏のタブレットから通知音が鳴る。
「げっ」
「どうした」
「神威の使用申請却下されました」
「Aランクなのに? 丸腰か覇者でやれってこと? 僕に当たり強くない?」
「覇者はダメです。採集できなくなっちゃう」
「ええ。そここだわるの? くそめんどくせーな」
怪獣のスピードは決して速くはないが一歩一歩のリーチの差が大きい。
あっという間に引きはがされる距離を走って追いかけながら総司は思案した。
ふむ。一ノ宮の動きも悪くはない。
本気とまではいかないがそれなりのスピードに乗っている双玉の走りに追従しつつ、的確にタブレットを操作している。確かに希望した後方支援はきちんとこなしている。
ならばと総司は簡易的な策を練った。
まず一ノ宮の幻覚で方向感覚を失わせる。怪獣を足止めできればよいが、少なくとも進行速度を遅らせたい。そこに総司の殴打を浴びせて動きを鈍らせ恭鷹の覇者で仕留める算段だ。
「どうだ。訓練らしい連携を見せれば五百蔵とて文句はないだろう」
「あー無理ですね。申し訳ないけど前半部分の僕の受け持ちが破綻します」
即座の否定に総司は口を引き結ぶ。
「一ノ宮の能力は幻覚なんだろう。足止めくらいやってやると言えないのか」
「無理なものは無理ですって。僕の幻覚って対象に貼り付ける感じなんで、こんな鬱蒼とした深夜の森の中じゃ同じような景色すぎて何の役にも立たないです」
「効果範囲はどんなものなの?」
「うーん、わりとピンポイントです。だから天真を他のモノに見せかけて接近するまで誤魔化すぐらいはギリいけるかと」
「お、いいじゃんそれで。そうしなよ総司」
「己を研鑽しようという気概はないのか。お前は今できることではなく、さらに上を目指そうという気はないのか」
「んーと。今、討伐の話してると思ってましたけど。効率的かつ安全な方策を練ることが一番優先されるべきで、僕の研鑽とかクソどうでもいいです」
いつも通りの一ノ宮ののんびりした口調が無性に癪に障った。
たぶん総司は今、とてつもなく失望しているのだ。
自分が認めた、守護師としても活躍できる人間が高みを見ようともせず一歩も上へ進もうとしないことに。
不服が態度ににじみ出る。
「わかった。やる気がないなら帰れ。俺が片付ける。それが一番早い」
「何でそんなに拗ねてるのか知りませんけど、やる気だけで強くなれるなら皆とっくにやってます。天真でもAランク素手で殴り倒すのはしんどいですよ。僕が嫌ならせめて冷泉と行ってください」
「お前は来ないのか!」
「いま自分で帰れって言いましたやん。理不尽がすぎるって」
子どもの癇癪ですか。一ノ宮が小さく吹き出す。
恭鷹などは身をよじって笑っている。
二人の間では総司が駄々をこねている認識なようで単純に気分が悪い。
「もういい! じゃあもうついて来るな!」
「ちょっと。さすがに錯乱しすぎで危ないですって」
「触るな!」
単独行動を阻止しようとした一ノ宮の腕を総司が乱暴に振りほどく。
――腕だ。振り払ったのは腕のはずだった。
ふにゅ。
勢い余って手をついてしまった一ノ宮の胸はなぜか柔らかかった。
鍛え抜かれた胸筋は柔らかいと聞くがそうマッチョにも見えない。
……じゃあなんだこの感触。
キュォン!!! キュォォォォォン!!!
新たな寝床を見つけたのか、怪獣が積もった落ち葉を嬉々として踏みつけ地面を大いに揺らす。
はっと我に返った総司の手を恭鷹が強く引っ張った。
「ほら総司、行くよ」
見れば空が白みはじめ、闇一色だった樹海も淡い紫のグラデーションがかかっている。
夜明けのデッドラインが近づいていた。
神威の使用制限はかかったままなので仕方なく連打で討伐を行う。
恭鷹がアニメ映画などに例えるから、ふかふかした体毛の手触りとキュォンキュォンという哀れったらしい啼き声に罪悪感が募るが、見逃せばいつか人を殺すかもしれない。
Sランクに進化すれば災害級の事故が起きるかもしれない。
これは必要悪なのだ。
総司はぐっと歯を食いしばって殴り続けた。
阿吽の呼吸で恭鷹の蹴りが入る。
一ノ宮が何やらちょこまかと走り回っているのが鬱陶しく感じられたが、どうやら幻覚を使って総司や恭鷹の位置情報を誤認させ、怪獣の攻撃を防ごうという意図らしい。
双玉にとってはあってもなくても特に変わらないデバフだが、一応は役に立とうという意思が感じられて総司は満足げに一ノ宮へと頷いた。
一ノ宮は凡庸だ。
けれど訓練や討伐を投げ出すことも決してない。
上背でリーチが取れるわけではなく、剛力でもない。
強いて良いところを上げるとすれば、柔軟で可動域が広く身軽な点ぐらいか。
飛びぬけて戦略に長けている軍師でもない。
守護師として恵まれた才ではないと弁えているから無謀なことはしない。
自ら火中へ飛び込んではいかない。
薄笑みはどんな場面でも変わらない。
スタンスを変えない頑なさに苛立つこともあるが、やはり一ノ宮は守護師に向いている。
総司の目に曇りはなかった。
――そういえばさっきの「ふにゅ」はなんだったのか。
総司は握り拳の中で感触を反芻する。ベンチコート越しにも分かる、自分とは違う柔らかさ。
それはまるで女性のような……いや、まさかな。
思わず拳に力が入り、内臓らしきものを貫通する。
辺りを染めるすぐり色の体液やまだ温かい肉片を一ノ宮は手のひらサイズのガラスケースに入れて後生大事に懐へしまいこんだ。
キュォオン!!! キュォォォオン!!!
恭鷹に顔面を蹴り上げられたAランクが最後の抵抗とばかりになりふり構わず身を左右に大きく回転して周囲の樹々をなぎ倒す。
がら空きになった正中線と思しき場所めがけて総司が渾身の一発を喰らわすと、ズズ……ン……と重たい音とともに怪獣が崩れ落ちた。
「いやぁ何とかなるもんですね。夜も明けるし帰りましょう」
無事に採集が完了したのが嬉しいのかほくほくと機嫌よく一ノ宮が帰路の先頭に立つ。
ベンチコートがだぶつく後ろ姿を見やって総司は唸る。
総司や恭鷹のベンチコートは袖丈が足りていないが、一ノ宮のものは袖丈も着丈も余っていて服に着られてしまっている。
……自分たちが背が高いだけで中肉中背と思っていたが、これは小柄で華奢な方なのでは。
気に留めていなかったが、宿の露天風呂に頑として入らなかったことといい、ピンポイントであれば人物を誤魔化せる幻覚といい、徹夜疲れのせいにして捨て置くには「ふにゅ」を裏付ける要素ばかりが総司の脳裏をよぎった。
「ふにゅ」でやっと疑問を持った総司です。
入学からすでに数か月……そりゃ恭鷹には呆れられて当然です。
ここから総司も徐々に変わっていきますので、温かく見守っていただけますと。
このあと四話<下>です。引き続き、★やブクマ等で応援いただけると嬉しいです!




