第三話 霊峰・富士 冷泉恭鷹の長恋<上>
「一ノ宮奏。当局事務官か守護師支援職志望。能力は幻覚。よろしく」
へえ、そうきたか。
恭鷹は腹の中で小さく舌打ちをした。まったくもって面白くない。
一年前。春。
入学レクリエーションで学ラン姿の少年はやや早口に自己紹介し、軽く頭を下げるとすぐに着席した。
中肉中背、短い黒髪、特別美しくも醜くもない特徴のない顔立ち。
幻覚という能力も強い攻撃力を持たないためそう重宝されるものではない。
恭鷹の記憶の中の一ノ宮奏とは程遠い。
華奢で儚くて、風になぶられる長い黒髪を物憂げな仕草で押さえていた、世界最強クラスの能力を有する白皙の美少女。
いつかは双玉の――ひいては冷泉のものになる麾下十家筆頭の娘。
どんなにちょっかいを出そうと一度も泣いたことのない芯の強い少女。
それが恭鷹の知る一ノ宮奏である。
だが指導教員も誰も気に留めていない様子なので、手元のタブレットに映し出された個人情報から全てそういうものとして手配してあるのだろう。なかなか用意周到だ。
「知ってると思うけど、僕は冷泉恭鷹。能力は覇者――単純に言えば物質の圧縮。隣は天真総司。能力は神威。森羅万象の掌握。僕ら二人とも双玉の次期当主だよ、よろしくね奏ちゃん」
「一ノ宮でいいよ。君たちのことは噂に聞いてるけど、東京は初めてだよね。双玉と僕とじゃ能力差デカすぎてほぼ関わりないと思うけど一応よろしく」
あえての奏ちゃん呼びに対して、この返し。
「僕」という奏の一人称を聞いて恭鷹はさらに不機嫌になった。
ああそう。そういう感じでくるの。
双玉が麾下十家の当主を知らないとでも、卒業までずっと騙し通せると思っているのか。どれだけ低く見ているのか。何が「東京は初めてだよね」だ。お前もこっちの人間じゃないだろうが。
徹底して白を切られるとさすがに別人かという疑念が一瞬よぎるが、万が一同姓同名だとしてこんな平凡な男にその名を名乗らせてたまるかと理不尽な怒りが止まらないので、少なくとも恭鷹に対しては奏の擬態は悪手だった。
総司はいつもの無表情のまま座っている。
総司は他人への興味が薄く多くを語らないので、天真家の思惑は推して知るしかないが、奏が入念に下準備をしてきたように、冷泉もまた、一ノ宮を掌中に収めるべく動いてきたのだ。
双玉宗家。
二つの家は同格とされるが厳密には天真が勝っている。
それは総司の神威が規制能力であるのに対し、恭鷹の覇者は規制されていないところに現れている。
次代を比較したとき総司は人類の敵ともなり得る強者だが、恭鷹はまだ御せると当局から見られている――つまりは格下であるという証左に他ならない。
だから何としてでも冷泉は無原罪の聖母を天真に渡すわけにはいかないのだ。
五歳のころ。
舞台上で舞う恭鷹と総司を池のふちから目をきらきらと輝かせて見上げ、惜しみない拍手をくれた春の宴からずっと奏は恭鷹の初恋だ。
色々ときな臭く薄暗い守護師の世界で唯一あの子だけが恭鷹の無垢だった。
だから家の実利と恭鷹の意向は一致している。
奏を手に入れることに何ら不平不満はない。
七歳のとき不慮の事故で無原罪の聖母を顕現させ大規模な人災を引き起こしたあとだって、天真は奏を門前払いし無碍な扱いをしていたらしいが、冷泉はきちんと迎え入れた。
まあ、いつもいつも先に天真へ挨拶に行くので腹が立っていじめもしたが。
十六になったら双玉で花嫁修業をして、十八で成年となったらどちらかの家に入るというのが奏の既定路線で当局や御所も含めた暗黙の了解だった。
冷酷で無関心な天真より、冷泉の方が歓待してやれるという自信があった。
それなのに当局から「一ノ宮は東京で学徒になる」という話を去年の秋に初めて聞いた時も震えるような怒りを覚えたが、一緒に家の外に出て世間に対する見識を深めるのも悪くはないかと思いなおしたところだったのだ。
守護師は家同士の結びつきが強いので、どうしても閉鎖的な節がある。
民間人や当局、研究機関それぞれがどう支え合っているのか肌で知るのも次期当主として必要な学びであるとどうにか気を落ち着かせた。
奏は特に人前に出ることを制限されているので「外」への憧れも強いのだろう。
許嫁に一言の相談もないことは業腹だが、婚前最後のわがままを聞いてやるのも夫の度量である。
東京での同棲生活と思えば我慢もできよう。
双玉は常に近く牽制しあうべしという当局方針で総司までくっついてきたのには閉口したが。
とはいえ、全ては縁談ありきでの話。
麾下十家を捨てて後方支援に回るために別人になりすまし、知らぬ存ぜぬを押し通すのは話が別だ。
言外に双玉のどちらにも嫁がないと宣言するのは到底許せる裏切りではない。
「わかった。そっちがそんななら僕も好きにするよ。仲良くしようね、奏ちゃん」
絶対に呼び名は変えてやらないという強い意思を滲ませてにっこり笑ってやると、奏がたじろいだ。
そうだよ。それでいい。
こっちだって十年以上初恋拗らせてるんだから、誰にも、君自身にさえ譲らない。
君の事情なんて知ったこっちゃない。
気まずさに耐えかねたのか休憩時間になるやそそくさと席を外す奏を(男子トイレ使うのかな、あの子)などと下種な想像をしながら見送ると、「珍しく楽しそうだな」と総司が心底不思議そうに呟いた。
「いま今年一番ぐらいには不機嫌だよ、僕」
「そうか? お前が一般人を気に入るのは稀だな、と思ったんだが」
「は?」
「アレは一ノ宮の分家か何かだろう? 幻覚が使えたとて一般人と大して変わらん」
マジかぁ。
恭鷹は総司の紫紺の瞳をとっくりと見つめた。本気で言っている目だ。
常日頃から総司は他人に興味が薄い。
そもそも他人の区別がついているのかと疑ってはいたがここまでとは。
名前を聞いても自分の許嫁と結びつかず、見たまま同期のモブ男子学生と思い込んでいるのか。
天真は一ノ宮が挨拶に来ても取り次がなかったと聞くので、それこそ五歳の宴が最初で最後なのかもしれない。であれば名前すらうろ覚えなのも頷ける。
教えてあげないのも気が引けるほど何も知らないんだなぁ。でも黙ってた方が有利だから言わないけどさぁ。えぇぇ。絶対絶対僕が結婚してあげるね。こんな奴とじゃ奏ちゃんは幸せになれないよ。
「総司とあの子はあんまり相性よくないかもねぇ」
「……? 別に討伐に支障がなければ構わない。力量差を鑑みれば俺たちが同じ討伐に出ることもないだろう。同期のよしみだ、緊急時の尻拭いぐらいはしてやるが」
「あっそ。先に目をつけたの僕だからね。総司は仲良くしちゃダメだからね」
「そんなに気に入ったのか。おもちゃにして壊すなよ。お前は人もモノもよく壊す」
「ねえ、ダメだからねっつってんの」
「すまんが意味がわからない。弱い者とつるんで楽しいか?」
「言質とったからね。僕のに手を出したら総司でも容赦しないから」
「心配するな。俺は特に誰にも興味はない。お前とも双玉だからかよく顔を合わすな、くらいの感想しかない」
それから数か月。総司は本当に興味がなかったらしく、夏に富士で長期演習を行うまで一ノ宮の当主本人――自身の許嫁であると気づかなかった。
しかし気づいてからというもの何くれとなく奏に対して献身的に振る舞うようになり、「ほらぁ、すぐ約束反故にするじゃん。手ぇ出すなっつっただろうが、総司のスケコマシ!」と恭鷹は大いに罵声を浴びせた。
第三話<上>でした。恭鷹には最初から正体がバレていたという……。
鈍感な総司がどうやって奏の正体に気付くのか、このあとも見届けていただければと思います。
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