第二話 双玉城下・京都 死刑猶予半年の婚約<上>
奏は夢を見ていた。
五つのころ。
春、奏は初めて『神様』を目の当たりにした。
爛漫の八重桜がほころぶ京都の山間の大屋敷。
いつからか天真と冷泉とで交互に開かれている春を寿ぐ宴には、双玉宗家と麾下十家、御所や害獣対策当局ほか関係者が勢ぞろいしており、奏は人いきれにすっかり酔ってしまった。
豪奢な三つ身の着物は重たく、帯は窮屈だし蒸し暑い。編みこまれ簪で飾られた頭も痛い。
いつ終わるとも知れぬ大人たちの挨拶は五歳児には呪文のようで苦痛でしかない。
奏は父の目を盗んで貴賓席から抜け出し、庭の外れで玉砂利を池に落としながら涼んでいた。
頬のほてりが冷めてきたころ、永遠に続くかと思われた大人たちの談笑が不意に途絶えて、はっと息を飲む音がする。
鈴の音に続いて、二人の男児がきざはしを上ってくるのが見えた。
ひとりは黒曜石みたいに艶やかな黒髪の、淡麗な印象の男の子。
もうひとりは琥珀のように柔らかな髪の、嫋やかな印象の男の子。
たぶんあの二人が今年袴着の儀を迎える天真総司と冷泉恭鷹だろう。
父から二人に会ったら粗相のないようにと口煩く挨拶の手順を教えこまれてきた。
いつかお前も仕える方々だからと。
麾下十家はすべからく双玉のためにあるのだと。
「……きらきら、きれい」
御所の方々以外が一斉にひれ伏す。
奏は叩きこまれた作法も忘れ、庭の隅にただ立ち尽くした。
二人の周りだけ空気が澄んで青い光が輝いているように見えた。
金糸銀糸が織り込まれた童水干を着た二人が鈴の音にあわせて舞う。
ぶわり、とつむじ風が桜の花びらを巻き込みながら二人の周りをぐるぐると回る。
軽やかな舞に薄紅色と金糸銀糸が春の陽光にきらめいて、感嘆の声が上がる。
二人と一瞬だけ、目があった。
微笑みかけられた気がした。
途端。わけもわからず涙が、とてつもない安堵が、胸にこみあげてくる。
総司は、恭鷹は、世界に祝福されている。
光が、風が、緑が、空が、人々が、二人の舞に歓喜し喝采している。
その体験は奏にとってもはや神との対峙に近かった。
生来の能力のせいで遠巻きにされてきた奏の記憶の中にある、唯一「赦された」春の日。
けれども、奏はその存在を赦されていたわけでは決してなかった。
一族の男たちは国に利用され蹂躙されど、奏の無原罪の聖母は強すぎる性能ゆえに秘匿事項とされ、いつしか禁忌の存在となっていった。
双玉宗家からは人前に出ることを控えるよう命じられ、当局からは対怪獣戦の最終兵器として無許可での顕現を禁止され、やがては双玉の次代を宿す胎として厳重な監視下に置かれた。
そうしている内にも一ノ宮家には星の数ほど降るような討伐任務がもたらされ、父と「二」の家の雙葉の嫡男が死んだ。
年々苛烈になっていく討伐で一族や麾下十家の男たちはどんどん死んでいった。
双玉も当局も民間人が死ななければ、討伐達成率でしか物事を見ない。
守護師が何人死のうと弔花が届くだけ。
奏は花が枯れてゆくのをひたすらに見送った。
九つのとき。
もうこれ以上誰かに死んでほしくなくて、一ノ宮を、家を畳もうと決めた。
髪を切り、男となって、誰にも嫁がず孕まず、一族中の任務をすべて一人でこなし、成人し正式に当主となったら家を潰すために生きようと思った。
十六になったら東京に行く。
総司や恭鷹の、双玉のいない地域へ行く。
身分と性別を偽り、ただの学徒としてコネクションを作り、一族の新たな就業先として研究機関や当局での事務、守護師の後方支援に移行させ、双玉宗家や当局に邪魔されないよう静かに緩やかに家を閉じていく。――それが奏の悲願だった。
目が覚めると見慣れた学徒寮の天井だった。
水差しの音がして、奏はまだ霞む目を気配の方へ向ける。
奏が信頼をおく家令が緊張していた面持ちをわずかに緩ませた。
「斑鳩……」
「無茶をなさいましたね、奏さま」
三十手前ほどの痩身、完璧に三つ揃いのスーツを着こなした男が恭しく奏の身を起こし、口に水を含ませた。
奏の髪が長い白金から黒い短髪に戻っていくのを丁寧に梳きやり、水を飲み終えるとまたベッドに横たえる。
「京都からわざわざ苦労かけたね」
「起き抜けから嫌味を言うだけのご気力があって結構。東京へ参るなとのお申しつけは覚えておりますとも。なれど双玉宗家から一ノ宮のご本家に婚約の申し出がございましたため。もう五日前のことです。奏さまは約六日間、気を失っておいででした。無原罪の聖母はあの日、約四分四十秒顕現。規制能力の無断行使により即座の死刑宣告が出ておりましたが双玉宗家との婚姻を条件に猶予されておいでです」
「婚姻とはまた。なんでそんな面倒なことに。……一年生は?」
「七名が死亡。三名はほぼ無傷でした」
「八束、九重と五十嵐?」
「と聞き及んでおります」
「ああ、それは重畳。婚約の話はどこまで?」
「まだ当局と双玉の内々に。雙葉以下の麾下十家へは通達されておりません」
「不幸中の幸いってやつかな。東京は僕が女だって知らない子も多いからあまり大事にしたくないしね。――大丈夫だよ、斑鳩、大丈夫」
「その『大丈夫』はおおよそ大丈夫じゃないときと心しております」
「そう? 僕は逃げおおせる気満々なんだけどなぁ」
おかしいなぁとぼやく奏に斑鳩は鼻白んだ顔で息をついた。
「その無意気な自信はどこから来るんです?」
「――こっちは十になる前から、逃げて逃げて逃げ抜いて家ごと潰してハッピーな生存ルート進むって決めて進路設計してるんだから。人生丸ごと賭けて逃げてる僕の覚悟を舐めてもらっちゃ困るよ。『神様』ごときに捕まってたまるか」
「だったら易々と能力顕現して死刑判決くらわないでくださいよ。あなたに人生賭けた下々の身にもなってください。完全に詰んだと思いましたよ。しかも『神様』ごときって仰いますけど、しっかり助けていただいて恩売られて縁談もきちゃったじゃないですか。民間人に紛れてウキウキハッピーライフ計画はどうなさるおつもりですか」
「まあ、当然しらばっくれるよね」
「は?」
「東京は僕が女だって知らない子も多いって言っただろ。双玉だって当局だって僕の能力や生い立ちを大っぴらにはしたくないはず。そこを抜け穴にして、白を切りとおす。ええっ婚約? 存じ上げませんが? 本当に? 僕男ですけど? の体でいく」
「そんなに上手くいくとは思えないんですがね」
大仰に驚いた演技をしてみせる奏の横で斑鳩は再びため息をついた。
無原罪の聖母を生まれ持った者として、凄絶な生い立ちを経てきたわりにこの主人は何とも大雑把で気楽に構えるきらいがある。
「大丈夫、大丈夫」
こうやって言い聞かせるように大丈夫と笑う奏が大丈夫であった試しがないのだ。
斑鳩はまた深くため息をついて、この先の騒動に思いを馳せた。
第二話<上>です。
今夜は第二話<下>まで更新しますので、よければ二話目の最後までお付き合いください。
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