第十三話 一ノ宮奏の儘ならぬ結婚
二一×〇年、四月。
怪獣誘引作戦から約半年が経過した新宿は、復興の槌音に包まれていた。
殲滅こそ失敗したものの、新宿で日本中の高ランク怪獣を大掃除した結果、国内における怪獣の出現率は劇的に低下。
当局と双玉・麾下十家も新たな組織を編成し、より守護師の現場に寄り添った形で合意。
討伐ストライキも解除され、国民も安定した生活に向けた一歩を踏み出したところだ。
「……色々とございましたが、奏さまの卒業に伴い新生当局で研究員に着任されることになり、SSSランク守護師としても協力することで死刑執行は完全撤回。一ノ宮家の面々も大半が当局に合流し、無事めでたしめでたしでございます」
京都の一ノ宮本家。
振袖の帯結びに難儀する奏に向かって、斑鳩が報告する。
「いやー。どうせ斑鳩が裏でエグい脅し方したんでしょ。尭斗さんも言ってたけど、死刑の完全撤回って普通はない話だからね。あんまり危ない橋渡っちゃダメだよ」
「人聞きの悪い。ほとんどは当局の優秀な若手の皆様のご尽力の賜物。長岡京市事件は奏さまのご年齢や状況を鑑みても情状酌量の余地があり、青森・天草も致し方のない能力使役。法的にも死刑宣告は強引すぎる、せっかくの能力は復興に向けて有効活用すべきと上層部とバチバチにやりあっていただいたようで。斑鳩はあくまで合法的に少し、ええ、ほんのすこーし後押ししたまで。奏さまのキュン甘ラブストーリーを見るまでお話を終えるわけにはまいりません」
「また言ってるよ。ほんとその癖さえなければハイスぺ美青年なのに」
「やめてください! 斑鳩はモブだと何度も申し上げているでしょう!」
「はいはい。……ちょっとこれ帯結んで。自力じゃ無理だわ」
双玉宗家の春の宴は天真の大屋敷で行われた。
あんなにも拒まれ続けた屋敷にすんなり迎え入れられて奏は小さく自嘲する。
時代が変わったのだと言い聞かせるにはまだ胸が苦い。
満開の桜の目立つ場所に青い組紐が結ばれていた。
梅とともに桜も奏に贈ると言った約束を総司は律儀に守ってくれたのだろう。
「奏ちゃん、こっちこっち」
緋毛氈の敷かれた貴賓席から黒紋付姿の恭鷹が手招きする。
その隣には相変わらず無表情だがどこか柔らかい雰囲気を纏った総司もいた。
「何事もなく入れたか?」
「え? ああうん、さすがに今日も追い返されたら天真に蹴り入れちゃうよね」
「……すまなかった。うちの庭はすべてお前のものだと説明してある。梅でも桜でも椿でも好きにしていい。足りなければ蔵にもお前の印を……蹴りも入れていい……」
「冗談だって。もう気にしないで。僕も気にしないから」
見るからにしょんぼりする総司に奏は苦笑いで返す。
奏の編み込まれた髪についた花びらをそっと総司が払う。その手つきは、壊れ物を扱うように優しい。
「体調はどうだ」
「もう全然。幻覚は使えないんだけど、無原罪の聖母も天使たちも絶好調」
「お前を死なせずにすんでよかった」
「死刑宣告も撤回されたしね。ご心配をおかけしまして」
「ちょっと残念だけどね。一緒に世界の果てまで逃げてあげるつもりだったのに」
「もう冗談でも双玉が軽々しく離反騒ぎとかやめてよ。色んな人の寿命が縮むよ」
「冗談じゃなく全部捨ててもよかったんだけど」
恭鷹がけたけたと笑う。本気だからタチが悪いと言っているのだ。
「で?」
「で、とは」
恭鷹の問いを計りかねて奏は眉を下げる。
「今日で僕と総司が当主になっちゃうよ。当局にも口出しできるようになったし、もう好き放題だよ」
「……おめでとうございます? いや君の場合は違うな。ほどほどにしなよ?」
「そうあんまり焦らさないでよ。またいじめちゃうよ?」
揶揄いまじりに恭鷹は袂から小箱を取り出す。
開くと恭鷹がいつかくれた怪獣の目のようにきらきらと青く澄んだ石の指輪が収まっている。
「さすがに指輪は抜け駆けじゃないか?」
憮然として総司も袂から桐の箱を取り出した。
一ノ宮の五七の桐紋と天真の家紋である梅紋が刻印された美しい簪だった。
「あのときより髪も伸びたろう」
反応を窺うようにそっと奏の髪に挿す。
「おい、抜け駆けはどっちだよ。ちょっと気を抜くと総司はすぐそういうことすんだよね。あーやだやだ」
言いながら恭鷹が奏の左手の薬指に指輪を押し込んだ。
「えっと」
「もう死刑宣告もないし、政略も何もないよ。君を婚姻で守る必要もないし、僕たちももう君に守られなくて大丈夫。しがらみも逃げる理由ももうどこにもないでしょ」
「……そうなの、かな……」
「もういいじゃん、奏ちゃん。結婚しよ」
「俺は……上手く言葉にするのが苦手だ。お前の心を計りかねることもきっと多い。だが、それでもお前の傍にいたい。誰にも譲りたくない」
挨拶回りで席を外しているはずの家令が脳内でドタバタ駆け回る。
祭りだ祭りだ甘酸っぺぇ~~~と脳内で叫ぶのを必死に振り払い、奏は二人に向き合い直る。
全部捨てていくつもりだった。
双玉も、麾下十家も、奏の過去ごと。
関わりたくなかった。
誰かと親しくなって心を奪われるのが嫌だった。
閉ざされた門が恨めしかった。冷たい濁った池が疎ましかった。
守護師の象徴である二人が嫌いだったはずだ。遠ざけたはずだった。なのに。
なのに、今、胸が高鳴る。
彼らの不器用な優しさも、強引さも、その裏にある一途な気持ちも、痛いほどに分かるから。
これが『恋』かもしれないと気づき始めてしまったから。
「わたし、まだよく分からなくて。まだまだ考えなきゃいけないこともやらなきゃいけないことも山積みだし、色々と罪悪感もあるんですよ。だからまだどっちも選べない。仕事のことも世界のことも何もかも必死に走ってみて、それでも抗えない『恋』だったら結婚しましょう」
奏は薄笑みではない、心からの笑みを浮かべた。
「いいですよね。ゆっくり考えても。わたしたち、きっとまだこれから長いですから」
総司は保留にされると思っていなかったのか「なるほど。そういう場合もあるのか。勉強になる」と唸った。
恭鷹は「そんな条件つけていいの? 後から恥ずかしくなって逃げるのとか無しだからね。思いっきり甘やかすからぜーんぶ受け止めてよね」意地悪く笑う。
「う……初心者なのでお手柔らかに」
「やだよ」
「勝負は本気でやるべきだ」
恭鷹がべっと舌を出し、総司が生真面目に頷く。
早まったかなと奏は頭を抱えた。
桜の樹々の合間から差し込む光が三人を照らす。
薄紅の花びらが舞って、光が、風が、緑が、空が、人々が、沸き立つ。
怪獣は消えたわけではない。
四鬼尭斗あるいは別の思惑を持つ誰かが、またいつどう動くかも分からない。
新宿を中心とした都市部の傷はまだ深い。走り出した新生当局もまだまだ未知だ。
それでも。
――やっと赦された気がする。
奏の頬を無意識の涙が伝う。
生まれて初めて知る、温かくて甘い感情だった。
希望を持ってもいいよ、みんなで一緒にがんばってみてもいいよ、その中にわたしがいてもいいんだよって。
満開の桜の果てからキュオオオオオオオオンと甲高い鳴き声が微かに聞こえる。
和やかな宴のそこかしこから緊急アラートが鳴り響いた。
「もー……今わりと人生の中でも大事なとこなのに。あれ絶対Sランク以上じゃん」
「仕方がない。行くか」
「ま、何とかなりますよ。大丈夫大丈夫」
「でた。奏ちゃんの根拠のない『大丈夫』」
「だって僕たちだよ? そんなの絶対大丈夫じゃん」
奏が無敵の呪文を唱える。
三人は目配せしあって小さく微笑むと、鳴き声のする方角へと駆け出した。
最後までお読みいただきありがとうございます。
物語の最初と最後で少しずつ「大丈夫」の意味が変わってくる物語を目指しました。
少しでも「よかったね」と思っていただけたら、★やブクマ、感想で労っていただけたら幸いです。




