第八話 殉教地・天草 無原罪の聖母再臨<中>
Bランクの討伐が完了し、Aランク級の目処もついた未明。
SSSランクの動きがないか警邏していた奏たちの前を、ふらりと中年男性が横切った。
長袖のTシャツにラフなパンツ、足元はサンダル、手元にはコットンの大きなトートバッグ。
どう見ても守護師ではない。慌てて奏がその行く手を遮る。
「止まってください、今ここ立入禁止なんですよ」
「ちょっと家にばあちゃんの荷物取りに行くだけだから。すぐ戻るって」
蠅を追い払うように男性がしきりに顔の前で手を振る。
「家には戻れません。誘導に従ってシェルターに避難してください」
「そんな偉そうに。守護師だかなんだか知らんけど、あんたらもただの子どもだろうて。何ができるんや、あんなバケモノ相手に。早く双玉呼んでくれよ」
男性は退く気がないようで話す間にも警戒区域を進んで行ってしまう。
引き留めようと小走りになった奏の肩を九重が軽く掴んで入れ替わる。
「一ノ宮さん、自分が付き添ってシェルターまで誘導しますよ。Aランクも目処ついたんで、現場落ち着きましたし。SSSランクに近寄らずサッと行ってパッと戻ります」
「…………でも」
「ほら、この兄ちゃんは良い言うとろうが」
まったく聞く耳を持たない男性に根負けして、奏はため息をついた。
「明かりは絶対点けちゃダメだよ。怪獣を刺激するから」
なんでこのときもっと強く止めなかったんだろう。深夜で疲れていたなんて言い訳にもならない。
――奏のこの判断が九重を殺した。
厳戒態勢下なので懐中電灯も使えない。
街灯もない深夜、怪獣に破壊された建造物の瓦礫まじりの中を行くのは骨が折れた。
それでも慣れたものなのか男性はずんずん暗い路地を歩いていく。
寺院のほど近くに男性の住居はあった。
「ここよ。すぐ荷物取ってくるから。すぐよすぐ」
「自分は玄関で待ってますので、転ばないよう気をつけてください」
「おうよ、慣れとるから。テレビん部屋のテーブルに置いとるけ、ほんのすぐよ」
慣れた自宅。
暗くとも歩きなれた場所。
どこに置いたか鮮明に思い出せる荷物。
男性のその行動を九重は予測して声をかけるべきだった。
「……! おじさん、ダメです!」
「ん?」
無意識に男性が室内灯のタッチパネルに手を置く。
シェルターから離れた区域のためインフラの停止まで気が回っておらず、パッと明かりが灯る。
土足で駆け寄った九重が急いで電気を消したが、一拍してズン!!!と地震の縦揺れのような衝撃が家屋を襲う。
たった数秒。
それでも怪獣は光を見逃してはくれない。
「出ますよ! 走って」
「いや、まだ荷物取らんと」
「死にたいんですか!」
ズ……ズズズズ……ズンズズ……ズズズ……
近づいてくる怪獣の気配に九重は焦っていた。
恐らくこれはあの膠着状態だったSSSランク。
まともに会敵したら九重には男性はおろか自分を護る術もない。せめて奏と合流しておきたい。
パッと民家に明かりが灯る。
「何やってんだよ、九重。致命的だぞ」
毒づいた奏は縦揺れが始まるとともにトップスピードで走りだしていた。
膠着していたSSSランクではなく、新たなSSSランクが発生したのだ。
前島と呼ばれる小島から海を渡る橋を挟んで奏たちが今いる嵐口へと進行している。
その数、二体。
御所浦島付近には少なくとも三体のSSSランクが発生していることになる。
奏はタブレットを忙しなくスワイプし、再度双玉への救護要請と今度は無原罪の聖母の能力規制解除申請も同時に行う。
一分もしない内に救護要請の却下が届いた。
双玉が丸一日以上足止めを喰らう未曾有の事態に思考を巡らせる。
あの二人がここまで動けないということは、あちらでもSSSランク級が複数発生していると考えていい。
つまりは日本国内に十体以上発生している可能性がある。
七十年の歴史の中でも類を見ない高ランクの大量発生。
「何が起きてる……?」
独りごちる間に規制解除申請の結果がポップアップする。
【規制能力:無原罪の聖母 使用許諾申請――却下】
「なんでだよ、SSSランクが複数体だぞ」
思わず舌打ちする。
御所浦島にいる守護師は奏を入れて五名。
全員がAランク級で、無原罪の聖母を顕現しなければSSSランク討伐は叶わない。SSSランクがいつ御所浦島のシェルター方面へ向かうか分からない中、丸腰で住民を抱えたまま、まんじりともせず双玉を待てというのか。
九重たちはどうなったのか。
通信機器で呼び出すも移動中なのか応答がない。
明かりが点いた方角は分かっているものの、見知らぬ民家を一軒一軒訪ねて回るのは効率が悪い。
仕方なく幹線道路沿いで前島からのSSSランクを警戒しつつ合流を待つ。
「おー兄ちゃん! こっちだこっち」
男性の声がした。
九重と一緒に息を切らしてやってくる。
「九重、新たなSSSランクが発生。この方と一緒に一刻も早くシェルターに」
「双玉は来たんか? もう朝が来るや」
「双玉は未着です。シェルターに移動をお願いします」
「ハァー!!! 役立たずやのう。学徒やなんか知らんが取り次ぎすらようせん」
思い通りにならない苛立ちをそのままぶつけるような音量に、九重が「ちょっと」ボリュームを下げるよう窘めるも男性は文句を言い続け、シェルターへと動く様子はない。
「声を落として安全な場所に避難してください。双玉到着まで、ご不便をおかけして申し訳ありませんが……」
「こんな大事のときに伝令役すら満足にできんで、何が学徒ね。無駄よ無駄。あんたらが無駄な税金食うてわしらがしんどうなるん……」
ぬるり。
幹線道路に面した海から超大な影が飛沫すらあげず、突如伸びた。
奏と九重は反射的に飛びすさるが、奏の指の先、十数センチのところで、腕を掴み損ねた男性がドズン!と体を左右に断ち切られて言葉を失う。
咄嗟に分断された体をなんとか支えようとして、たたらを踏む。
二撃目を想定していない奏らしくない動きだった。
役立たずと言われたことで無意識に躍起になっていたのかもしれない。
普段であれば遺体の回収より怪獣の攻撃に備えた構えをしていたはずだ。
数メートルはあろうかという怪獣の爪牙が奏に迫る。
やばい。
たたらを踏んだところからまだ体勢を立て直しきれていない。
「一ノ宮さん!」
九重が鋭く叫ぶ。
ひとまわり大きな九重の腕にかき抱かれて横っ飛びに飛ぶ。
強い衝撃が二人を襲った。
「いっ……た、九重大丈夫か? ……ここのえ?」
九重に押し倒される形で道路に横臥した奏にビシャシャシャ……と生暖かい液体が大量に降りかかる。
熱い。
どす黒い。
鉄臭い。
これは血液だ。
人間の。
「九重!!!」
怪獣の爪が掠ったのか、肩から腹の方まで大きく抉られ、肩甲骨と背骨、腸が露出している。
何か喋ろうとする九重の喉に血が絡んでゴボゴボと嫌な音だけが漏れる。
「喋んな、喋んなくていい」
怪獣は二人を通り過ぎ、山を目指しているのか南へ向かっている。
振り向きざまの三撃目はないと判断して奏は九重の身体の下から這い出る。
膝に九重の頭を抱えた。
今現在、御所浦島にSSSランクは四体目。地元の守護師も九重も動けない。
打開するには無原罪の聖母で対抗するしかない。
「大丈夫、大丈夫だからな。僕が助けてやるから」
このときの奏はまだ頭が働いていた。
当局に再度、能力の規制解除申請をする。
双玉が動けなくても無原罪の聖母があればまだ何とかなる。
SSSランク四体だ。
よもや却下されることはあるまい。
九重の傷は深いが、急いで片をつければまだ望みはある。
僕が。
わたしが。
助けるんだ。
タブレットを危なげなく操作して、双玉への援護依頼を出す。即時却下。
ここまでは想定している。
能力の規制解除申請。
逸る気持ちを抑えてできるだけ丁寧に申請理由を書く。
SSSランク四体の出現により島は壊滅寸前であること。本土上陸は回避したいこと。九重が重傷を負ったこと。双玉が動けないため苦渋の判断であること。
結果は即時通知された。
【規制能力:無原罪の聖母使用許諾申請――却下。双玉到着まで堅忍されたし】
カッと頭に血が上る。
この期に及んで当局はAランクの守護師と奏だけで現場維持できると思っているのか。
御所浦島が崩壊すれば、民間人二千人余りを見殺しにすることになり、怪獣の本土上陸という最悪のシナリオもありうる。
「なっんでだよ!!! ふざけんな!!!」
奏は通信機器の短縮番号を叩き割るように押して、家令が出たかどうかも確認せずまくしたてた。
「斑鳩、緊急事態。当局に能力の規制解除捻じ込んで。できない? ふざけんな、できないじゃなくてやるんだよ!!」
斑鳩の能力は遠見。
奏の状況も当局の状況もいつどこにいても手に取るように視えている。
だからいつもなら奏より先回りして各所と話をつけていた。
今回もそうだと思っていた。
その斑鳩が歯切れ悪く「現段階での規制解除は大変厳しいかと」解除できないと繰り返す。
「長岡京市事件の影響範囲を鑑みて、御所浦島での解除は民間人を巻き込む可能性がある――怪獣に壊滅させられるのならともかく、守護師に民間人を蹂躙させるわけにはいかないとの当局判断です。力不足で申し訳ございません」
斑鳩の冷静な声が奏の背筋を冷やしていく。
血と手汗でぬめって通信機器を落としそうになる。
脳が情報を上手く処理しない。
長岡京? 十年前のあの?
「長岡京って……いつの話してんの……能力なら僕はとっくに制御できてる」
「悪魔の証明です。それでも今日、奏さまが暴走しないという確約はどこにもない」
「なら……双玉は? 二人は今どうなってる? さすがにもう来るよね?」
「あちらも複数のSSSランクと交戦中。まだしばらくは。――耐えてください、あなただけでも」
「SSSランクと会敵ってことは神威は使えてるってこと? なんで神威が規制解除されてて僕はダメなんだよ! 意味わかんねーよ!! 現場にも来てない奴が勝手に僕を判断すんなよ!!!」
癇癪だ。
八つ当たりだ。
斑鳩に怒鳴っても当局の判断は覆らない。双玉の到着は早まらない。
分かっている。そんなことは奏が一番分かっている。
でも、それでも。
「一ノ宮さん。大丈夫、大丈夫ですから」
妙にくっきりした声で九重が喋る。
先ほどまでの血が喉に絡んだ喋り方ではないクリアな、平静の九重の声だ。
あまたの人々を見送ってきた奏はそれで分かってしまった。
最期の瞬間、ひとはふっとすべての苦痛から解放されるという。
間に合わない。
流れ出ていく。
九重の命の残滓が零れ落ちていく。
ふーっと九重が長い長い息を吐ききる。
その顔は血色を失って白茶けている。
「ダメだ……ダメだ九重、無駄に喋んなくていいから……僕が今助けるから……」
「大丈夫、一ノ宮さんなら、きっと大丈夫」
逃げ切れる。
この状況からか、双玉からか。
どっちの意味で言ったのか分からない呟きを残して九重の首がカクンとのけぞった。
奏は呆然としたまま九重の飛び出た内臓をかき集めて身体に戻すことしかできない。
後悔が胸を焼く。
どうして住民の帰宅を許したのか。
どうして奏も一緒に付いていかなかったのか。
どうしてどうしてどうして。
『ほら笑って。笑わないと悪いものが寄ってきますよ。大丈夫、大丈夫』
あの日の雙葉の声が鼓膜で反響する。
泣くな。
絶対に泣くな。
泣いたら立てなくなる。
今、奏にできることは双玉が到着するまでSSSランクが避難区域に近寄らないように食い止めること。
いっそ当局の命令を無視して顕現してやろうか。
――判断が遅すぎた。
それをするなら九重が死ぬ前にやるべきだったし、奏が死刑になったらこれまでのすべての骸が無駄になる。
「だいじょうぶ……ぼくにはできる、だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
縋るように血濡れの指で通信機器をタップする。
奏は涙を堪えて五百蔵とその向こうにいるであろう三國、教務課、当局関係者に懇願する。
「九重晴樹の死亡を確認。五百蔵先生、援軍をください。お願い、お願いだから……!!!」
***
五百蔵の反応は冷たかった。
「双玉も別件で出払っている。すぐには飛べない」
通り一遍の回答で、タブレットが映し出す当局指示と何ら変わらない。
この大災害を前になぜこんなにも悠長なのか。
奏は苦鳴を漏らす。
「このままじゃ島ごとやられます!!!」
「通話口で怒鳴んな。お前だけでも帰ってこい。できるだろ、一ノ宮」
奏ならば無傷で帰還する。
そう信じて疑わない五百蔵の物言いで、彼が無原罪の聖母の存在を知っていることを悟り目の前が暗くなる。
それはそうだ。担任だもの。奏の正体を当局が通達していないわけがない。
能力から、結婚から、運命から逃げたくて奏が足掻くのを当局はただ掌の上で転がして愉しんで見ていたのか。今も。どこかで見ているのか。クソ野郎ども。
「じゃあ、せめて僕の能力を規制解除してくださいよ!!!」
「当局の判断は覆せない。学徒が民間人を殺すかもしれない能力は許可できない」
「五百蔵!!!」
五百蔵は島ごと見捨てろと言外に言う。
膝で受け止めた九重の身体は冷え始めており重たかった。
「一ノ宮? 三國や。一人死んだくらいで何をキィキィ騒いどんの。こん前一年が七人も死んだんにあんたシレ~っとしとったやないの。斑鳩からも聞いとるやろ。そん島であんたん能力はよう出させん。騒いどる暇あったら幻覚でも何でも使こうてシェルターに怪獣が行かんよう攪乱するなりなんなりさっさと動き。双玉かて人間やもの。分裂はできはらへんのやから案件重なれば飛べんこともあるわ。二人が行くまであんたがシャッキリせんかったら九重が可哀想やわ。現場堅持。ぐだぐだ言わんとやり」
言うだけ言って通信は切れた。
「う、うぅぅぅ~~~……」
噛み締めた奥歯から声が漏れる。
三國の言う通りだった。
これまでにも多くが死んだ。
奏はそれをただ見送ってきたじゃないか。
九重だけが特別ではない。
怪獣は山へ山へと分け入っていく。
シェルターへ向かっているわけではないので少しだけ安堵する。
ただ山の頂上から港の方向へ一直線に戻られると危ない。
「うう……う、う……」
奏は怪獣の背を追いかけながら泣いていた。
九歳のあの日。
当主を継ぎ家を閉じると決めた日に涙は置いてきたはずだった。
なんで当局はいつもわたしたちを見捨てるの。
能力規制解除のボタンひとつで簡単に救えるものがあったのに。
どうしていつもわたしの大切なものを踏みにじるの。
そんなに邪魔ならいっそわたしを殺せばいいのになぜ弄ぶの。
双玉は来ない。
SSSランクは増え続ける。
この事態に対応する術を誰も持たない。
否、あるけれど出せない。
奏は自分の儘ならなさが歯痒くてたまらない。
悔しくて悔しくて涙がとまらない。
助けられるものがあるのに。なぜ。どうして。
「ああああああああああああッ!!!」
微速で進む怪獣に追いつきざま、背後にしゃにむに蹴りをくれてやる。
怪獣は振り返りもせず、太い尾で奏を薙ぎ払う。
鈍い音が腹で炸裂して意識が暗く沈んだ。
第八話は重い話が続きますが、引き続き<下>をお読みいただけましたら幸いです。
★、ブクマ、リアクションで応援いただけたら嬉しいです。




