第七話 洋上研究室・小豆島Ⅱ ルシファーの禁書<下>
「尭斗さまのお子を産みとうございました」
一ノ宮に嫁ぐことが決まったと告げたあと、雙葉優莉は今さらですがと自嘲した。
プレパラートを顕微鏡で覗いていた尭斗は目も上げず部下である彼女を鼻で嗤った。
「それ今俺に言ってどうなるの。結婚するんでしょ」
「ええ、今さらです。それでも心からお慕いしておりました。きっとこれからも」
「これからもって。不倫にならない? 面倒事に巻き込まないでね」
「行動が伴わなければ思想の自由がございます」
「ああ、俺が君を抱かなきゃいいって話?」
「所長は私を抱いたりなさいませんよ。怪獣以外どうでもいい人だったから。守護師の中で誰よりも自由で、誰より先を見据えていらしたからお慕いしたのです」
「分からないよ、俺だって人間を愛すかは分からないけど抱くくらいはするかも」
「分かります。この麾下十家であなただけを見てきましたから」
「君は雙葉だから一ノ宮に嫁ぐの?」
「そうですね。あちらとは歳も近いので」
「研究室は」
「奥に入りますので今月いっぱいで引き継いでお暇します」
「ふーん、勿体ないね。君、いい仕事すると思ってたんだけど」
何気ない尭斗の言葉に優莉は打ち震えた。
「胸がいっぱいです。一生涯、忘れることはないと思います」
「うわほんとに俺なんかのこと好きなんだ。趣味わる」
「あなたが私の狭い人生の光です。ずっと」
認められたことが嬉しくて優莉はつい饒舌になった。
雙葉の家に生まれても能力が弱かったのでせめて良妻賢母であれと厳しく育てられた話。
最低限の学があればいいと研究室入りは反対されていた話。
尭斗の論文を読んで、「四」の家でもここまで活躍できるのだと希望を抱いた話。
実際に研究室に入り、間近で尭斗を見て、ひとりの人間が研究から法整備までありとあらゆる分野で縦横無尽に無双することができるなんてと驚嘆した話。
政治的思惑が様々働く中で尭斗の優秀さに目を瞠った話。
その話のどれも尭斗にとっては聞き飽きた賛辞と身の上話で目新しいものはなかった。
何枚かのプレパラートを交互に観察して聞き流す。
尭斗は怪獣以外に興味を示さないと分かっていて、それでも優莉は反応の薄さに小さく肩を落とした。
「尭斗さまの傍で……いえ、研究で身を立てるんだって。私なりに腹を括ってたんです。だけどできなかった。家からは逃げ切れなかった」
「麾下十家あるあるだね。でも研究に関してならまだ遅くないかも」
顕微鏡から目を上げて尭斗が振り返る。ニタリと嗤う。
「君の、研究に身を捧げたいってのはどれくらいの覚悟?」
「どのくらい、とは」
「じゃあ俺をどれだけ好きかでもどっちでもいいよ。君を誘惑してるんだ、今。人生賭けてみる気はないかどうか」
「ゆうわく」
たった四文字なのに尭斗の口から発せられるのが意外すぎて、優莉の頭の中で上手く像を結ばなかった。
ただ尭斗の横顔が美しいということしか分からなかった。
「俺は君のことを愛さない。結婚ももちろんしない。でも君を孕ませることはできる」
「尭斗さま」
「ただし、俺の子ではないけども」
尭斗が培養シャーレを蛍光灯にかざす。
言わんとすることを察したのか優莉の顔がさっと蒼褪める。
「そんなことできるわけない!」
「それでも俺にならできちゃう」
ほとんど悲鳴を上げた優莉に対し、尭斗はそっと彼女を抱きしめ蕩けるような声で囁いた。
「ねえ、人生賭けるほどの愛ってやつを俺に教えてよ」
さくっと短めの第七話<下>でした。この物語もこの辺で中盤の折り返しになります。
後半は尭斗がキーになってきますのでご注目いただけたら幸いです。
明日の第八話は大きな事件が起きます。ぜひ明日18時にお会いしましょう!
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