第七話 洋上研究室・小豆島Ⅱ ルシファーの禁書<中>
人間における顕微授精は民間人でも受けられる確立された治療法であり、専門知識と経験を有した医療施設であれば稀有な施術ではない。
顕微鏡で確認しながら卵子に針で精子を直接注入する受精方法である。
それを二十五年前、怪獣の精子で実験した男がいる。
四鬼尭斗。麾下十家が「四」、四鬼家の出身。
二十代半ばで当局の超法規的措置指定害獣学術研究所所長を務め全国の研究所を束ねた。
怪獣のランク付け方針や分類といった基礎研究から食用・工業製品への転用、各省庁の調整や法整備、緊急時対応などを一手に担い、怪獣政策にこの人ありと言われた鬼才である。
倫理審査委員会がなぜその実験を承認したのかは明らかになっていない。
ただ、データが残っている以上、実験は事実行われていた。
怪獣発生から七十年。
現在の技術でもその体液が血液なのか髄液なのかはたまた違うものなのか判定することは困難を極める。生態研究はまだまだ発展段階だ。
だから、その体液をどう精子と特定したのかも明らかになっていない。
ファイルにはただ「SSSランク相当の精子を注入」と記載されているのみだ。
実験は繰り返された。
麾下十家の二十代の女性から卵子が抽出され、行われた顕微授精は百回をゆうに超える。
双玉宗家が麾下十家の動きを把握しないわけがない。
当局はなぜ黙認したのか。御所は知っていたのか。
女性たちはなぜバケモノを孕むことを了承したのか。
なぜこの狂った実験を始められたのか、続けられたのか。
ファイルは記録でありドキュメンタリーではないので想像するしかないが、おそらくSSSランクを討伐できる守護師が存在しなかった。
その一点に尽きる。
二十五年前、まだ総司も恭鷹も生まれていない。
能力は個人に宿る。
双玉宗家といえど攻撃に向かない能力の者は山といるし、Aランクを単独討伐できれば有能な方で、Sランクを単独討伐できる能力者が稀である。
ならば作ればいい、と四鬼が提唱したのではないか。
SSSランクを単独討伐できる能力を。
怪獣との共棲社会には必要な力であると、その尋常ではない行動力と弁舌で各所を黙らせたのではないだろうか。
実験は成功した。
受精確認をし、胚移植をし、分割確認をし、異常のない赤子が生まれた。
繰り返される実験の中で上手く着床しなかったもの、成長しなかったもの、何らかの先天性障害をもって生まれてきたものの詳細な記述もあったが、四鬼尭斗の直筆と思われる殴り書きのような一文に研究のすべてが凝縮されていた。
「俺になら神をも作れる」
麾下十家に無原罪の聖母と呼ばれるSSSランクを単独討伐可能な能力者が誕生したと同じ時期、四鬼尭斗は表舞台から忽然と姿を消した。
生死も不明。
堕ちた天才の行方は杳として知れない。
***
疑問は残る。
奏は確定として、SSSランクが単独討伐できる能力を有した総司と恭鷹はどうだったのか。
三人ともが人為的に創られたものなのではないか。
「それはないね」
にべもなく室長が却下する。
「そう上手く子どもが創れるなら尭斗はもっと早く違う仕事に着手していたと思うよ。たとえばその子どもたちのためだけの天国を作るとか」
「天国?」
「そこに怪獣を集める。他の民間人は平和に暮らせる。神の子たちも閉じた桃源郷で幸せに暮らしましたとさ。平凡な研究者の僕にさえ考えつくことは尭斗はすでに実行に移してる。天国がこの世にないってことは、逆算して尭斗が作れた神の子は一人だけってこと。双玉は自然発生したイレギュラーだよ」
なるほど。
あと一年待てば実験は水泡に帰し、奏は生まれてこられなかった。
逆を言えば奏がいない世界では、総司と恭鷹は双玉宗家の生まれでなければ、研究と称して何をされていたか分からない。
紙一重で現実が転がっていく。
「もうひとついいか。なぜこの資料はここにある」
「京都でも東京でもなく? それは尭斗じゃないと分からないな。きっと尭斗なりのこだわりがあったんだろうけど、研究に関係ないことは知らないや」
自分のことは何も話さないやつだったなぁ、と懐かしむように室長はファイルを棚に戻した。
「一ノ宮くんや冷泉くんにも話すの?」
「話さずとも知っている可能性がある。俺が吹聴するものでもなかろう。お前はこの先どうする。これが漏洩した以上、室長ではいられまい」
「処分は当局に任せるよ。どこか小さな研究所に残してもらえるといいんだけどね」
「それぐらいの便宜は図ろう。案内の礼だ」
「――双玉は太っ腹だね。バーベキュー楽しんで」
それが室長との最後だった。
のちに宗家からの報告で彼が秘密裏に処理されたこと、小豆島の多くの研究ファイルが焚書されたと報告を受けた。
どこかに控えはあるのだろうが、こうして機密は機密のままこの世の果てまで秘匿されつづけるのだ。
***
思考がまとまらないまま砂浜に出る。
すっかり日も暮れて、バーベキューも佳境だろう。
怪獣の肉を食すことに特段の思い入れはないが、とかく腹は減った。
他のメンバーはあらかた腹が膨れたのか、思い思いに花火を楽しんでいた。
カラフルな煙が立ち込めて喉がいがらっぽい。
一年生に囲まれた奏が笑っている。
仮面の笑みではないそれに総司は少し安堵する。
目を離すとすぐに何もかも拒絶して独りになろうとする奏を繋ぎとめるものは多い方がいい。
双玉では埋められないものを後輩が与えてくれるなら、それでいい。
と。
「んむッ……」
恭鷹が奏の顎を掴んで無理やり口づけた。
「何すんの!」
「君が僕をちゃんと見てないのが悪い」
恭鷹のわがままと、威嚇する猫のように毛を逆立てる奏と、その光景自体は何度も見てきたはずなのに空腹すぎるのか胸から胃のあたりがどんより重い。
「一ノ宮さん、同期に対しては怒ったりするんすね。当然か」
「冷泉さん、ほんと一ノ宮さんのこと好きだよなぁ。俺らばっかり一ノ宮さんに構ってもらってたから寂しくなっちゃったのかな」
「仲良しだね……あっ、天真さんお疲れ様です。肉冷めちゃったんで、少し火入れて温めなおしますね。お腹空いてますか」
「かなり」
「じゃあ全種類温めますね」
五十嵐がグリルに火を入れ直す。香ばしい脂の匂いが立ち昇る。
後輩たちには恭鷹と奏のプロレスに見えているのか、幸か不幸か痴情の縺れには映っていないようだ。自分のことを棚に上げて言うのもなんだが三人ともだいぶ鈍い。
双玉宗家と一ノ宮家の婚約はまだ雙葉以下には下ろされていない。
半年間で奏は天真と冷泉どちらにつくのかを決める。
そしてまた総司や恭鷹も無原罪の聖母を背負って立てるのか覚悟を決めなければいけない。
八束一押しだというニンニクと生姜と黒胡椒がガツンと効いたタレでCの肉を喰らう。
ムチムチとした弾力がありながら歯触りがよく、肉自体は淡白なこともあり強めのタレがよく絡んで美味い。
あまり行儀はよくないが空腹を満たすことを優先して口いっぱいに次々と頬張る。
BとDは肉自体に臭みがあり総司の好みではなかった。
「ひゃぅ!」
奏を羽交い絞めにした恭鷹が遠慮会釈なしに項に噛みついて、奏があられもない声を上げる。
先ほどの口づけは恭鷹自身もどこか正体を失っているように見えたが、これは完全に遊んでいるやつだ。放っておいていい。
――嫉妬していないわけではない。
総司と奏はあの距離感で接触することはまずありえない。
富士の後、ちょっと頬を触っただけなのに、
「どんな前提をもってしても許可なく他人に触れるのはいけないことである」
と奏から口酸っぱく言われている。
能力顕現後で昏倒していようと、当局から回収指示が出ていなければ触ってはいけない。
そのくせ恭鷹には気安く触らせる。
これまでの経緯から恭鷹に言い聞かせるのは諦めたと言っていたが、その矛盾した言動に腹を立てたこともあった。けれど一々気にするのをやめた。
合理的に婚姻だけをゴールとするならばそこに恋愛感情が伴う必要性はない。お互いがお互いの役目を粛々とこなせばいいだけのこと。
逆に人生の伴侶として尊重したいならば、奏の意に反することはしてはいけない。
そしてまだ誰かと自分の扱いを比べて目くじらを立てられるだけの関係性でもない。
結論、どちらに転んでも総司は紳士的に振る舞うしかないのである。
もう一度、奏と恭鷹を見やる。
やいやいと何事かに怒っている恭鷹をうんざりした表情で奏がいなしている。そこに後輩たちが加わって今日は一段と賑やかしい。
無原罪の聖母出生の秘密を二人に話すのかと室長は訊いた。
裏を返せば室長から奏には何も話していないということだ。
あれこれと情報に敏い恭鷹もさすがに知らないだろう。
双玉の次代としての理性は、当局を説得し、奏に自身の立場を自覚させ、これまで以上に討伐に駆り出して国民のために役立てるべきだと判断している。
守護師になりたくないという奏の願いなど国民の安寧の前ではちっぽけな夢にすぎない。
夢は叶わないことの方が多い。
奏に涙を飲んでもらう方がより大勢が幸せになれる。
けれど総司の矜持が、同期として過ごした雪解けの時間が、躊躇わせる。
出生前から歪められていた少女の人生を、その小さな願いを踏みにじってまで叶えた安寧にどれほどの価値があるのか。
すべてを掬い上げてこその双玉ではないのか。
「浮かれアロハ大王、戻ってきてんじゃん。総司なにか収穫あった?」
「Fの肉が一番美味い」
「そりゃ黒毛和牛だからね。そっちじゃないよ研究室」
「特にノイズの発生原因は掴めなかった。俺の杞憂だ」
「へぇ。それにしてはやけに長く居座ってたじゃん」
「双玉特権で関係者以外立入禁止区域も案内させてみた。奏がどんなものに興味があるのか、何の研究をしたいのか、アレにどうすれば寄り添えるのか知りたい」
八割方は本音だった。
嘘をつくときは真実を混ぜろという先人の経験則は正しかったようで、じとっと疑惑の目を向けていた恭鷹がため息をついて大げさに腕をさする。
「あーやだやだ。総司のそういうとこ大っ嫌い。心の機微のきの字も知らないくせに天然とかほんとに鳥肌立つ。自分だけかっこつけちゃってさ。こんなんと恋敵とかついてなさすぎ」
「俺とてお前と奏の距離の近さには辟易としている。自分のほうが奏を理解していると言わんばかりのお前の態度も鼻につく」
「え…………へぇー…………総司にもそんな人間みたいな感情あったんだねぇ」
恭鷹が虚をつかれたように絞り出す。心底驚いているようだった。
何でも把握しておきたい恭鷹にも知らないことがある。
たとえば、奏の出生の秘密。
たとえば、総司は奏の傍にいたいと存外強く思い始めているということ。
たとえば、総司の初恋は沼より深く巌より重いものであるということ。
――いつか彼女をSSSランクのバケモノとして殺す日がくるなら自分か恭鷹にしか殺せない。
であれば看取るのは自分でありたい。
知ってしまった以上、誰にも彼女の幕引きを譲りたくない。
事情を知らない恭鷹には決して取られたくないと思っていること。
「天真ちゃんと食べれた? って、Fばっかり食べてるじゃん。今日は怪獣バーベキューなの。AからEまで満遍なく食べた人だけがFのありがたみを知るんだよ」
「全部食した。その上でBとDは受け付けないのでFを食べている」
「これだからお坊ちゃんはぁ~。BとDもスパイスと香草でいい感じになるよ~」
酒も入っていないのに雰囲気に浮かされた奏が珍しく総司に絡んでくる。
饗されるままに、クミンパウダーとパクチーをかけたBの肉を食む。
「……なるほど美味い」
「ほらご覧よ。全然変わるでしょ」
むふふと自慢げな奏の顔を見て、総司は二度思う。
これと一緒にありたい。
事務的で一方的な婚姻ではなく一緒に歩ける二人になってみたい。
この顔を間近で見ていたい。
今まで他者には抱いたことのない感情だった。
「……お前からは知らないことをたくさん教えられる。また来よう」
「楽しかったですよね、本当に。また絶対来年も来ましょうね一ノ宮さん」
「実地でしか学べないことって多いですね。連れてきていただいてありがとうございます」
「次は旅のしおりも作りたいですね」
「賛成。ちゃんと服装にクソダサジャージって書いといて」
「みんなが満足そうでよかったよ」
皆が口々に「次」を言う中で、奏は自分から約束はしなかった。
守護師には来年が、明日が来るかさえ分からない。いつ死ぬともしれぬ役割だ。
別離ばかりが身に染みているから、奏はそう易々と次があるとは口にしない。
それでも総司は繰り返した。
一瞬でも孤独感が薄れればいいと、生まれて初めて小さな祈りを込めて。
「絶対にまた」
第七話<中>、少しボリューミーでしたがいかがでしたでしょうか。
奏の出生の秘密が明らかになり、双玉との婚約も一筋縄ではいかなくなってきました。
第七話<下>では四鬼が登場します。どんな人物なのかお読みいただけましたら幸いです。
★、ブクマ、リアクション等で応援いただけたら嬉しいです。引き続きよろしくお願いいたします!




