第六話 洋上研究室・小豆島 冷泉恭鷹の嫉妬<上>
「ぶっさ……ふふふ……」
恭鷹の通信機器の待ち受け画面は男装姿の奏がくしゃみをする瞬間をとらえた写真だ。
半開きの目といい、竦めた首といい、くしゃくしゃな鼻周りといい絶妙に不細工である。
一年の冬の初めにこの奇跡の一枚を撮影して以来ずっと待ち受け画面を陣取っている。
「だーくそ」というやけにドスの効いた声も録音できればよかったのだが、余裕で脳内再生できるので問題はない。
「今、撮りましたよね? 消してください」
「やだよ。最高に不細工な一枚が撮れたのに消すわけないじゃん」
「不細工な写真持ってたら運気下がりますよ」
「待ち受けにしよ」
「聞けよ」
嫌がれば嫌がるほど恭鷹の天邪鬼を刺激すると思ったのか、奏はそれほど食い下がらず飽きたらちゃんと消してくださいねと半ば呆れていた。
運気は別に下がらなかったし、当局から無茶な討伐指令が来るたびに通信機器をへし折りそうになったり、疲労の限界で何もかも圧殺しそうになるのをこの写真が食い止めているから、国民の運気向上・家内安全に役立っている。
髪が長かったころの奏なら人前でくしゃみなんか絶対にしなかっただろう。
楚々という表現があれほど似合う少女もいまい。
指先まで神経の通った、一挙手一投足が風のような柔らかさであれはあれでとても綺麗だったが現実味があまりない少女だった。
男装しているからなのか、色々吹っ切れて素を出しているのかは分からないが、今の奏の方が肩の力が抜けていて可愛らしいと思う。
造作は元の方が好みなのでさっさと幻覚を解けとは常々思っているが。
恭鷹の通信機器はこういった「ぶさ可愛い」奏の写真で埋め尽くされている。
ざっと数千枚はある。
世間が言うところのキュートアグレッションの感情に近い。
今日も今日とて日帰りで西日本を駆け巡りA~Sランク討伐行脚をさせられている。
総司は北海道だ。
あそこは広大かつ春前はまだ寒いので一人で回るのは空間転移があっても難易度が高い。
そもそも空間転移そのものが疲労度が高く、無制限にやれるものではない。
それに比べると西日本は温暖なだけ幾分マシであるが、一口に言ってもどこからを西日本と線引きするか問題もあるくらい広大だ。今回はオーソドックスに糸静線から西。
もう一度言う。空間転移があっても広すぎ。
さすがにSランク以上の数はそう多くないが、Aランクなら山間に分け入れば鹿くらいの頻度では会敵する。Bランクだと野鳥くらい。
元来山岳国家であることと、怪獣によって限界集落が増え、死んだ集落に怪獣が出没することでさらに居住地域が狭まる。
その狭まった集落にまた怪獣が出没し……頻繁に駆り出されては大掃除と呼ばれる双玉による討伐を実施するものの、正直いたちごっこ状態だ。
恭鷹の覇者は規制能力ではないからこそ酷使される。
身体が重だるい。
ぶさかわコレクション一枚一枚にこき下ろすコメントをつけて癒されないとやってられないくらい摩耗している。
「は?」
だから最初、その動画が送られてきたときは九重をすぐに縊り殺そうと思った。
学内のカフェで隣同士に座った九重と奏が笑っている。
――いつもの薄笑みじゃない。奏がきちんと感情を出して笑っている。
それだけで八つ裂きにしてやろうと思った。
なんでそんな雑魚に笑いかけてんだよ。
雑魚は雑魚でどんな了見でその子の隣に座ってんだよ。
さらに奏は九重に学徒になった経緯と家を取り潰したいという話まで明かした。
恭鷹も事情は察しているしおおよその計画も知ってはいるが、奏から相談されたことはない。
双玉を差し置いて「九」がしゃしゃり出るなんざ万死に値する。
パチ切れそうなこめかみを押さえて、怒りのままに通話の短縮ボタンを押す。
「斑鳩、なにこれ」
「何とは? 待望の奏さま新作コレクションですが?」
ワンコールも待たずにすっとぼけた声で出た人物は奏の家令である。
別に買収しているわけでも飼っているわけでもないが、いつの頃からか「楽しそうだから」という理由だけで恭鷹に奏のあれやこれやを送ってくるようになった。
おそらく天真にも総司か――本人の反応が期待できなければ面白いことを探してその周辺に何かしらの接触はしているのだろう。
先の婚約申し入れが両家同時に成ったのもこの男が裏で糸を引いた可能性がある。
げに恐ろしいのが京都と東京で離れていようが、奏がどこで何をしていようが、隠し撮りではあり得ない画角で動画なり写真が送られてくることだ。
密偵の訓練でも受けたのかと経歴をさらったが、ただ趣味が高じただけらしく本当に気色が悪い。
「面白がってんじゃねーぞ、カスロリコンがよ。なんで僕のものが「九」の下臈ごときにベタベタされてんのか聞いてんの」
「まだ冷泉のものではないですよ」
「じきだよ。もう本当に不愉快なんだけど。奏ちゃんに無理やり諸事情話させたことも許せないし、バーベキューってなに。なんで奏ちゃんから誘うの。気が狂いそう」
「研究の一環とはいえご学友とおでかけなさる日が来るとは。実に感慨深い」
「僕も行く。僕だってご学友だろ。なんなら婚約者だ。優先されて然るべきだよ」
「そう仰られましても。多忙な双玉にお声がけはされないと奏さまが申されており……」
「ブチ殺されたいの? 僕のスケジュールこじ開けて捻じ込めっつってんだよ。お前だってそれ目的でこの動画送り付けてきたんだろ」
「双玉は近くにありて牽制しあうべし」
「はいはい、総司ね。好きに呼べば。僕は下臈の鼻っ柱を折りたいだけだから。奏ちゃんに協力なんて絶対に許さない」
「――では日時と場所は追って」
喰えない家令はしずしずと通話を切った。
あるじが嫁ぐのかそれとも逃げ切るのか。
その行方だけを快楽的かつストイックに追っている奴は、主にこのささやかな裏切りが露見した時の保身も、あるじの行く末が決まったあとの己の身の振り方も気にする様子はない。
通話が終了した画面には件の動画が再生されている。
「なんで他の奴にはそんなに容易く笑うのさ」
動画を止めてカメラロールを閉じる。
横顔、愛想笑い、苦笑い、真顔、薄笑い……数千枚のうち一枚たりとも心から笑っている写真はない。
「………………そうだ」
ぎゅるッ……るゥ……
恭鷹の背後にいたAランクが圧縮される途中で止まる。
不自然に捻じれた怪獣をしげしげと眺め、恭鷹は眼球に似た器官と思しき蒼く輝く三角錐を引きちぎった。
ギィィィィィ!!!
「もらってくね。これ持って帰ったら奏ちゃんが喜びそうな気がする」
あの子はきらきらしたものが好きだからなぁ。
細く甲高い悲鳴が上がるのも気にせず、恭鷹は体液にまみれた三角錐を光に翳す。
澄んだ蒼がゆらゆらと木漏れ日を反射してきらめく。
恭鷹は残りの体部を圧縮して砂塵に還すと「笑ってくれなきゃ泣かしちゃお」子どものようにくふくふと髪を揺らして東京へと飛んだ。
***
「はぁ。ええんとちゃう。好きにしぃや」
金髪のベリーショートに真っ赤なリップのコケティッシュな女性教員――三國は事も無げに一年生たちの外泊届を承認ステータスに進めた。
一ノ宮の怪獣研究に付いて小豆島の研究室まで船で行く。近場かと思っていたので軽く見ていたが思いがけず遠方かつ数日の外出になるので正式な手順を踏んで外泊許可をもらっておきたい――おずおずと申し出てきた九重の話をまとめるとこうだ。
八束、九重、五十嵐は形ばかりの進級試験をつつがなく終え、今は世間で言うところの春休みである。
監督者である担任の三國に迷惑をかけない範囲であれば存分に謳歌すればいい。
「これ双玉も行かはるみたいやし、お行儀ようしときや」
「えっ」
三人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。初耳だったらしい。
「知らんかったん? スケジュールあわせるのがえらいしんどい勘弁してくれって皆さん泣いてはったんに」
双玉のスケジュールを突如空けられるだけ空けろとのお達しが出て、当局から教職員から上を下への大騒ぎだったのだが一年生はまるで気づいていなかったようだ。
全国的に大掃除したばかりでSランク級はしばらく人里に下りないだろうと当局が判断したので落ち着きはしたが、Aランク級の守護師が全国で待機しており、Sランク出現次第で双玉も即出動という関係者にとって胃の痛い数日間である。
「一ノ宮さんからは双玉はお呼びしないと聞いてましたので……」
「せやったら冷泉の坊ちゃんが捻じ込まはったんやろなぁ」
天真はそういった行事ごとに進んで首を突っ込むタイプではない。ここぞというときは大勢を泣かそうが殺そうが我を貫き通すが、こういった遊興に乗じて他者を引っ掻き回すのは冷泉の方だろう。
「怪獣食べるのんはええけど、ゆめゆめ食われんようにしぃや」
お、我ながら上手いこと言えたわぁ。
ブラックジョークは三國会心の出来だったが、若人には刺さらなかったらしい。
はあとか、へえとか気のない返事をして承認済みの外泊届とともにしょんぼりと去っていった。
三國とて気を遣う上司が待ちに待った休日に現れたら走って逃げるので、若人たちの気持ちは分かる。
なんで呼ばれとらんのに来はるんやろね。
第六話<上>、呼ばれてないのに双玉参戦決定の巻でした。お読みいただきありがとうございます。
<中>はともかく<下>では恭鷹がちょっと暴走します。引き続きお楽しみください。
★、ブクマ、リアクションで応援いただけたら幸いです。いつもありがとうございます!




