第三章第六話:ばーばんの秘密のトンカツと最新の掃除機
母には何も言えず、ただ浜松から帰ってきて、どんどん痩せていく私。
嘔吐し続ける私。
それをキッチンにもたれかかり、足を組んでタバコを吸いながら、母は言った。
「まさかあんた、妊娠してないよね?」
私はどう答えていいかわからなかったが、その無言がイエスだと母はすぐに気づいたようだった。
「絶対に誰にもバレたらあかんよ!特にあのおばさんにはバレないようにするんのよ!結婚前に妊娠するなんてみっともない!」
栄養失調、妊娠。
私にかけられた言葉は、それだけだった。
私はつわりがひどく、1時間に2回ずつ吐く。
そんな日々が続き、起き上がることさえほとんどできない。
それでも母は言い続けた。
「バレるから、寝込んではあかんよ!10時に起きて洗濯をして、布団を上げて掃除をする」
何度も、何度も。
でも、ただできなかった。
情けなくて惨めで、泣くしかなかった。
それでも、母の前では泣けなかった。
唯一、事情を知るばーばんだけが、私の支えだった。
ふらっと家に来ては、私の食べられるものを聞いて、近くのスーパーで買ってきてくれる。
冷えた高野豆腐。
それだけは食べられた。
切れていない一枚の含め煮の高野豆腐。
下の皿が黒いプラスチックの、あの惣菜。
私はそれしか食べられないから、ばーばんは何パックも同じものを買ってきてくれた。
朝の惣菜を持ってきてくれて、二人でこっそり食べる。
私のやるべきことも、そっと手伝ってくれた。
ちなみに、こっそりしていたのはばーばんの方だった。
糖尿病で食事制限があるのに、私の様子を見に来るという理由で惣菜を買いに行き、トンカツ屋の唐揚げや油物をこっそり食べていた。
ダイニングテーブルで向かい合って座るから、お互いに食べているものは丸見えだった。
メインはだいたいトンカツ一枚。
「糖尿やねんからあかんて!」
毎回そう言う私に、
「ちょっとくらいかまへんて!」
と返す、そのやり取りも毎回同じだった。
私よりも確実にコソコソしていた。
トングで掴んで入れる惣菜のパック。
なぜか輪ゴムをたくさん持っているのも、おばあちゃんの謎だった。
あれを一体何に使うのかは、今でもわからない。
その優しさが嬉しくて、私は泣きながら食べていた。
私の愚痴を唯一聞いてくれて、優しくしてくれて、チャリンコでぶっ飛ばして来てくれる。
あの時の支えは、全部ばーばんだった。
来るたびに、私は泣いていた気がする。
つわりで、私は37キロまで痩せた。
後ろで母が笑いながら言った。
「あんたがその体重になることはもう二度とないやろうから、記念に写真でも撮っといたら?」
「吐いてもいいけど、すぐカビになるから、吐いた後はちゃんとトイレ掃除してな」
お風呂で吐いた時は、ひどく怒られた記憶がある。
ぼんやりする意識の中で、
ああ、こんなに痩せたのは初めてやな、と私は思っていた。
しばらくして、ばーばんの妹のおばさんが家に来た。
「あんた妊娠したんやって?」
私は、してはいけないことをしたという恐怖と、バレたという恐怖で固まっていた。
何も答えられなかった。
するとおばさんは、
「そんなに痩せて、何か食べれるもんあったら言うてや。ゆっくりするんやで」
そう言って、笑顔で帰っていった。
そして数日後、またおばさんがやってきて、大きな段ボールを渡された。
「これお祝い!」
中に入っていたのは、当時の最新式の掃除機だった。
それを見て、私は初めて気づいた。
怒られていない。
本当に祝われているのだと。
なぜバレたのか。
原因は、ばーばんが口を滑らせたことだった。
当時の私は、ばーばんに強い憤りを感じて問いただした。
「なんで言ったん?」
するとばーばんは、
「そんなん、ほっといてもいつかバレるやんか。仕方ないんやから怒りなや」
とだけ言った。
確かに、ばーばんは天然だった。
でも今ならわかる。
あの家での扱い。
泣きながら痩せていく私。
それを見て、心配して。
わざと、うっかり口を滑らせたふりをして、外に繋げてくれたのだと。
そこから母は、手のひらを返したように優しくなった。
食べたいものを買ってきてくれ、体をいたわるようになった。
当時の私は、それを「普通」だと思っていた。
でも本当は違った。
里帰り出産。
本来は、親が喜んで迎えるもの。
でも私は、毎月三万円を生活費として渡していた。
それが当たり前だと思っていた。
知らなかっただけだった。
その三万円をもらうたびに、私はクリスに謝っていた。
その電話も、つらかった。
限界に近かった。
働けない私が頼りにしたのはクリスだった。
そしてこの頃から、少しずつ、いくつもの問題が表に出てくることになる。




