第六拾四話 帝国の災難その⑤
ハイデルベルクから西に向かうと、深い黒い森に遭遇する。
どうしても、ここを抜けないとフランクフルトへは時間がかかってしまうのだ。
少なくとも三日ではきかない。
「やはりここを抜けるしかないか。」
ガイスラーは、シブい顔をしている。
「しかたがなかろう、ま、こちらの足音に相手がひるんでくれれば儲けものだ。」
ワーレングスは、苦い笑いを浮かべている。
この黒い森には、面倒くさいブラックウルフや、気性の荒いグレーウルフ(当社比一.二倍)が住んでいるのだ。
さらに運が悪いと、フォーハンドベアという、その名の通り腕が四本あるクマも出る。
兵士が5千人いても、油断はできない。
森に入って野営するよりは、外で野営してから進むことを決めて、二人はそれぞれ休息にはいった。
ガイスラーがハイデルベルクを出たころ、もうヴィッターフェルト侯爵のところには細作からの一報が届いていた。
「なんだと、聖女?」
報告書には、レジオの聖女のうわさが書かれていた。
レジオに聖女が現れたこと。
聖女は、癒しの魔法が強いこと。
女神オシリスの使徒を従えていること。
「なんということだ、まさに聖女と言うにふさわしい。それが帝国でなく王国に現れるとは。」
オシリス女神は、なんと過酷な試練を帝国に与えるのか。
「引き続き、聖女の情報を集めるのだ。」
「御意。」
この荒れた帝国にこそ、聖女の存在が必要なのではないか。
人民の心の拠り所が聖女であれば、どれほど民が救われるか。
ヴィッタ―フェルト侯爵は、ぎりぎりと奥歯をかみしめた。
石にかじりついてでも、帝国のこの不幸を克服しなければならない。
信心深い侯爵は、胸の前でオシリスの聖印を切った。
「どうか、この帝国に救いを与えたまえ。」
ガイスラー少将は、ハイデルベルク子爵領での奥方の方策について、詳しく書き送った。
いわく、人心を鎮め、一定方向に牽引する方法は、実に理にかなっている。
「ふむ、なかなかに賢く、行動力もある女性だな。」
貴族の奥方としては、肝の据わった女性である。
幼いころよりガイスラーとの交流もあり、帝国の帝立学園で学んだ才媛。
「ふむ、少し支援をしてもよいかな。ハイデルベルク子爵は王都に滞在か?」
侍従がすかさず声をかける。
「恐れながら閣下、王都に御滞在でございます。」
「そうか、では登城をさせよ。」
「はは、ただいま皇宮にて、公務についております。」
「では、ここへ。」
「は。」
侍従はすぐに出て行った。
ほどなくヴィッターフェルト侯爵の執務室に、ハイデルベルク子爵マリウスが姿を現した。
「閣下、お呼びと伺い、急ぎまかりこしましてございます。」
「おお、ハイデルベルク子爵、そうかしこまらなくてもよい、近こう近こう。」
ヴィッターフェルト侯爵は、機嫌よく子爵を手招いた。
「はは。」
子爵は、すぐに公爵のデスクの前に立つ。
「実はのう、お主の領地のことで、報告が上がっての。」
「領地でございますか。」
「そうじゃ、お主の奥方がよく活躍してくれたようでのう、ガイスラーが褒めてよこした。」
「ガイスラー少将…」
「うむ、まこと貴族の鑑と申して居るぞ。」
「恐縮であります。」
子爵は、公爵の真意を測りかねていた。
領地経営には特にまずいところはないはず。
不作ではあるが、自分のところは削ってでも、帝国には普通に納税している。
「いや、そうかしこまるな。まことに、よい奥方じゃ。これを以て、会計院に行くがよい。」
侯爵は、一枚の書類を出した。
公印の押された、正式な書類である。
「こ、これは!」
「奥方に、ドレスの一枚も買ってやるがよかろう。」
「か、かたじけなく。」
ドレスなど、一〇〇枚でも買ってやれる金額である。
「よいか、暴徒は帝都に向けて北上させてはならぬ。そう、申し伝えよ。」
「か、かしこまって候。」
マレーネ=ディートリッヒ=フォン=ハイデルベルクに、金貨五〇〇〇枚を下賜すると書かれてある。
「奥の化粧料から小麦を買い込んだとの一報があったが、なにに使ったのだ?」
子爵の執務室は、雑多なものたちがひしめき合う事務室である。
その中にあって、会計書類の文面に思案投げ首なマリウス。
だがしかし、帝国からの下賜金が出た以上、これを受け取らない選択肢はない。
「オットー。」
「は。」
「これを会計院に持っていけ。」
「はは。」
「ミハエル。」
「は。」
「ウチの奥方は、領地で何を始めたのだ?」
「殿、奥方さまは、難民支援と領地の開発を行っております。」
「うむ。」
「お化粧料から小麦を買い入れ、難民にふるまったうえ、西の森を切り開く賦役を行い、難民をそこに向かわせております。」
「な、なに?聞いてないぞ。」
「はあ、なにぶん、お化粧料のうちのことゆえ、報告したものか領地でも迷っておる様子。」
「そうか。しかしまた酔狂なことを始めたものよ。」
「奥方さまは、いまこそ領地を広げ、収益を上げる好機と申されております。」
「そうか、では、公爵さまからいただいた金は、すべて奥にまわせ。」
「金貨五〇〇〇枚をでございますか?」
「聞き返すな、我が領土を広げ、耕作地を作ることにケチケチしていられるか。」
「御意。」
「必要であれば、領地の予算を使えと奥に知らせよ。」
「かしこまってございます。」
そこかしこでダンボの耳になっている同僚たちは、おのが耳を疑った。
あの吝嗇家であるマリウス=パウロ=フォン=ハイデルベルクが、領地の予算を使わせる?
下賜金を全額奥方に渡す?
ありえない。
こ度の災害は、それが原因ではないか?
まな、ひそひそと話しあっていた。
「おまえたち、聞こえているぞ!なんだこ度の災害が、私のせいとは。」
「いや、マリウスどの、あまりに意外なことをおっしゃるのでな。」
同輩の子爵、ザールブリュッケンである。
「ヒルツどの、私は使うときには使う人間ですよ。いままで、無駄にしてこなかっただけでござる。」
「ほほう、では今回は?」
「いまこそ、我が領地を上げて、イケイケではござらんかのう?」
「そうでござるか。」
話はバンベルクと、アンベルクの状態にもおよび、ヴィッターフェルト侯爵はこの二領地にも下賜金を出した。
若干、差が付いているのは、先に始めたものが重要だからであろう。
この二領地は、男爵領でもあるし。
なにより、彼の奥方の采配が目ざましかった。
ハイデルベルクの西については、まさに開発ラッシュ。
人は掃いて捨てるほどいるのだ、これを使わない手はない。
マリウスは、はやる心を押さえて、奥方に期待した。
自分は働きたくないでゴザル。




