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第六拾壱話 帝国の災難

 イシュタール王国の東、マゼランからバロア侯爵領がその北・さらにシェルブール辺境伯領を越えて、ゲルマニア帝国へと街道が伸びる。

 南西ロマーニャとの国境には、五列に連なる山脈が二国を割っている。

 その領主はストラスブール辺境伯である。

 北西スオミとの国境はサン=カンタン伯爵領、こちらも三列の山脈が二国を分けている。

 シェルブール伯爵領の南に、コンピエーニュ子爵領、こちらの方が街道としては太い。


 さて、ゲルマニア帝国の皇帝と名乗っているが、先々代からの拡大政策で、肥沃な大地を手に入れてきた。

 現ゲルマニア皇帝は、アウグスツス=フィリップ=フォン=ゲルマニアである。

 フィリップには、目下のところ頭痛のタネが一つ。

「また冷害か…」

 ゲルマニア帝国の広い領地の南、穀倉地帯。

 マイン川を中心とした暖かい平野は、この三年冷夏に見舞われていた。

 おかげで、作物の育ちは悪く、三年でやっと平年の一年分の収穫しかなかった。


 一介の国人領主の収穫が減ったところで、帝国としてはそこまで悩むような話題ではない。


 しかし、国人領主にしてみれば、年貢は下がる帝国への税は平年並みに取られる。

 たまったものではないのである。

 当然、その上役、寄り親と呼ばれる貴族が、皇宮にやってきて陳情する。

 いわく、年貢が出せない。

 作物が飢饉で育たない。


 わかっとるっちゅうんじゃ。


 シュツットガルト以南は、そりゃあひどいものである。

 三年も干ばつを受けると、すでに種もみすら残らなくなる。

 いやもう、一家で餓死している農家すら珍しくなくなっている。

「はす向かいの、マルセルんとこじゃあ、赤ん坊の泣き声が聞こえねえと思ったら、一家そうげで死んでたんだよ。」

「おれたちだって、いつそうなるかわかんねえべ。」

「んだなあ、どっかで食い物さがさねと、だれかしかへでけろ。」

「ばがかおめ、そんなものしでらて、だれがしかへるもんかて。」

「そりゃそうだなあ、もう水も干上がってきたもんな。」


「だれかマルセルがとこ、弔らでか?」

「うにゃ、せめて埋めてやらでなあ。」

「いぐべ。」

「んだ。」

 農民たちは、すきっ腹を抱えて、マルセルの家族を埋葬に向かった。


「かうぇーそうになあ、まんだほんの乳飲み子でねが。」

「まったくだ、こんな時にうまれで残念だったなあ。」

 豊作の年であれば、飢えて死ぬこともなかった。

 子供に食わそうとして、マルセルは三度の飯を一度にしてでも耐えていた。

 だが、体は悲鳴を上げていた。

 ついには、手も持ち上がらなくなり、自然と息絶えたのだ。

 もはや、手足に肉というようなものは付いていなかった。


「わしらもいつこうなるかわがんねなあ。」

「んだなす。」

 鍬を持つ手が、心なしかふるえていた。



 雨が降らないのに、気温が上がらない。

 空は青いのに、なぜか空気はぴいんと冷えており、作物が育たない。

 まるで、氷河期のように、地面が冷えてゆく。

「おれたちこったに責められるほど、悪いごどしたんだべか?」

「わがんねときは、教会に行って聞いてみるべ。」

「んだなあ、マルセルの弔いも頼まねばなんね。」

「いぐべ。」

「ああ。」


 農民たちは、マルセルたちを埋めた鍬を担いだまま、教会を目指した。

 すでに、あまりものを考えるという行為すらできなくなっている。

 栄養が足りていないせいだ。

 こうなると、金貨などより麦一粒の方が価値があるように思える。

 明日の栄華より、今日の麦粥なのである。



 明日は我が身。


 この年、帝国を襲った飢饉は、まだまだ序の口だった。


 バイロイト・ニュルンベルク・レーゲンスブルクを東から黒い雲が襲ってきた。

 農民たちは、やっと雨が来ると喜んだのだが、さて様子がおかしい。

 黒い雲は、なにやら粒子が荒いのだ。

「あんだあ?せっがぐ雨さくっぺと思ったじゃのに。」

「あれ…雨でねえべ。」

「ああああああああ!」

「い、イナゴだべ!」

 気が付いた時にはもう遅かった。

 世間の音と言う音は、ざあっと言うイナゴの羽音にかき消された。

 草と言わず木と言わず、取りつかれたら何も残らない。


 蝗害…


 この世で、これほど恐ろしいものがあるだろうか?

 蝗は、建物の隙間に入り込み、せっかく備蓄していた小麦まで食い荒らしてしまう。

「おれだちが、なにわるいこどしただ!」

「どちくしょう!あっちにいけ!」

「火だ火だ!みんな火さ焚げ!」

「「おお!そうじゃ!」」

 遅ればせながら、その辺の枯れ木に火をつけて、追い払おうとしたが、それは悪手だった。

 羽根に火のついたイナゴたちは、そのまま飛び回り、次々に延焼する。

 まさに、火のついた嵐となって村を蹂躙する。


「「「「うわあああああああ!」」」


 逃げ惑う農民たちには、もうどうすることもできなかった。

「ファイヤーボール!」

 その辺にいた冒険者が、盛んに魔法攻撃を加えるが、まさに焼け石に水。

 燃え盛る炎は、イナゴを焼き払うどころか、村のあちこちに飛び火し、その建物をことごとく焼き尽くしたのだ。

「村が…」

 人口千人あまりの村が焼け落ちた瞬間である。

 その日、ここだけではない、ニュルンベルク伯爵領を中心とした蝗害は、三都市五〇の村々を恐怖のズンドコに落とした。

 そのうえ、備蓄していた農作物は、余すところなく消滅した。


 まさに、消滅した。


 エアフルト・ライプツィヒに跨る平原において、帝国魔法大隊の一斉攻撃を受け、イナゴたちは殲滅された。

 殲滅ミッションは苛烈を極め、そのすべてを悉く焼き払った。

 蝗害にあっては、焼き殺すことがもっとも有効な手段であり、それ以外の手段を持たない。


 このミッションにおいては、魔法大隊の魔術師たちは大半が一ケ月間人事不省に陥るほどの消耗を受けた。


「それでも、全部焼き払えたなら僥倖であろうよ。」

 皇帝、アウグストゥス=フィリップは、深い息を吐いた。

「御意。」

 侍従も、冷や汗をかいていた。

「南部の者どもには、手厚く支援するべし。」

「御意。」

 侍従は、そそくさと皇帝のそばを離れた。

 皇帝は、書き上げた書類のサインを確認して、次の書類を手に取った。

 片づける書類が多すぎる。


 しかし、帝国南部の災難はこれだけに留まらなかった。


 ごごごごごごごごごごご


 低い地鳴りが、フランクフルト=アム=マイン周辺に響いてきた。

「なんじゃ?」

 低い地鳴りは、突然『どーん!』と言う爆発のような、巨大な太鼓の響きのような音がして、地面が強烈に揺れた。

「「「「「うわあああああああ!」」」」」

 住民たちは、あまりの揺れに恐怖した。

「この世の終わりだ!」

「助けてくれ!」

 口々にオシリス女神の聖句を口にし、祈ることしかできなかった。


 遠く離れた、北部の王都ミュンヘンでさえ、立っていられないほどの揺れを覚えた。


「なんと!」


 皇帝は、机を上から抑えるようにして踏ん張っていた。

 皇宮は、外壁がぽろぽろと崩れて落ちたが、屋根までは被害が出なかったようだ。

 立て続けに、何度も余震が襲う。

 この帝都辺りでは、最初の揺れが震度五くらいで、余震は震度参程度となっている。

 屋根のかわらが落ちたりはしたが、ひどい被害は聞こえてこなかった。


 しかし、フランクフルト=アム=マインでは、地獄が広がっていた。


「わああああ!家が!いえがあああ!」

「だれか!誰か助けてくれ!家の中に子供が!」

「燃える!燃える~!」

 地震は一度ではない、何度も何度も揺り返しが来て、石づくりの家も、木組みの家もみなひとしく瓦礫となった。

 そして、その下には当然住民が居る。


 阿鼻叫喚

 

 しかも、夕食時と言う最悪の時間帯。

 まだ、かまどの火種は消えていなかった。

 外にいたもの、出られたものもただ安心と言うわけではない。

 燃え広がった炎は、住民を四方八方から包み込む。

 なんとか川まで逃げ切れたものは幸いである。

 マイン川の河原は広く、そこまでは火事も迫ってこない。

 しかし、燃え盛るフランクフルト=アム=マインの様子は地獄であった。

 赤黒く燃え盛る炎は、いつ果てるとも知れず、夜が明け始める未明まで燃え尽きることはなかった。


 フランクフルト伯爵は、なんとか鎮火するために、伯爵領の軍隊を派遣。

 水魔法の得意な冒険者を多数派遣して、片っぱしから消火に努めた。

 もちろん、軍隊もバケツリレーなどで対応し、少しでも消火を進めるために奔走した。


 女神オシリスの気まぐれか、地震の余波は次の日にも残り、時折ぐらぐらと地面が揺れた。

 体感できる揺れだけでも、この二日で実に五〇〇回を越える。

 どれほどの地下エネルギーを蓄えていたものか?


 この第一報が帝都に届いたのは五日後。


 かの地の惨状から鑑みるに、驚異的なスピードである。

 初日、二日目、三日目と何人もの伝令が、涙をはらい、歯を食いしばって帝都に推参した。

「壊滅?」

「は!フランクフルト伯爵領壊滅でございます!」

 内大臣ヴィッターフェルト侯爵は、額にあぶら汗をにじませて皇帝に告げた。

「ドラゴンでも出たのか?」

「いえ、地震でございます。」

「アースクゥエイク?」

 皇帝フィリップは、目を見開いた。

 ありえない、過去三〇〇年、地震など起こったと言う話は聞かないではないか。

 皇帝は、ヴィッターフェルト侯爵の顔を見上げた。


 侯爵は、強く目をつむり、顎を引いた。


「なんということだ…」


「ご注進!」

 続報がやってきた。

「通せ。」

 早馬を飛ばしてやってきた伝令は、自分で歩くことすらできないほど疲労困憊である。

「フランクフルト伯爵領、火災にて焼失!建物は一軒も残っておりません!」

「な、なんと…」

 内大臣ヴィッターフェルト侯爵は、皇帝にうなずき、部屋を出た。

「誰かある!至急御前にて重臣の会議を行う!疾く通達せよ!いない者はいなくてかまわん!」

「「「はは!」」」

 内務を司る侍従たちは、すぐに散って行った。


 帝国南部は広大な穀倉地帯であり、帝国の食糧庫でもある。


 干ばつ、冷夏、蝗害ときて、トドメは地震か…

 むこう三年は、食料の確保が難しくなるな。

 ヴィッターフェルト侯爵は、拳を握りしめた。


 さらに続く伝令は、もっと衝撃的な情報をもたらした。

「フランクフルト伯爵落命…」

 家臣である伝令は、悔し涙にくれながら、その悲報を告げた。

 会議に参集した大物貴族たちは戦慄した。

「これは、ただごとならず。」

 ヴィッターフェルト侯爵は、眉間にしわを寄せて帝国の地図を見詰めた。


 皇帝フィリップは、フランクフルト伯爵領焼失の一報を受けて、顎を落とした。

「ああ?焼失とはなにごとか?」

「陛下、フランクフルト伯爵領は、地震による火災のため、すべての家屋が焼け落ちたとのことでございます。」

 かくん

 皇帝の右ひじが、玉座の手すりから落ちた。

 シュツットガルト以南、バイロイト・ニュルンベルク・レーゲンスブルク、そしてフランクフルト伯爵領。

 もう、ゲルマニア帝国南部は、壊滅と言って良い状態に陥ったのである。

「難民は、総勢二十五万人以上と推計されております。」

「ヴィッターフェルト、避難先は用意できるか?」

 ヴィッターフェルト侯爵は、首を横に振った。


 そりゃまあ、言われてすぐにホイホイ準備できるような人数ではない。


 ましてや、その地域の北部においても冷害の影響は色濃く残っているのだ。

「南部の地域を、一時蜂起するべきだな。」

「しかし、それではベルジアなどがもぞもぞ動き始めませんか?」

「そんなもの、気にするべくもない。冷害が続いている地域だぞ、五年やそこらで復興できまい。」

「御意。」

「残った難民を、各地域に分散収納し、もって地域の発展に繋げるべきであろう。」

「まことに左様で。」

 自然災害の恐ろしさは、現代日本より深刻である。

 皇帝フィリップは、マイン川南部方面を行政区画から切り離して、直轄領地とした。


 言うなれば、砂漠化しそうな土地に未練はないのである。


 東に行けば、広大な黒い森が広がっている。

 まだまだ開拓の余地は残っているのだ。

 ここは、一時期引いても人口さえ増えれば、巻き返しはできると考えた。

 まあ、皇帝の立場としては、その辺で十分対処していると言えるが、国人領主や爵位領主にとっては死活問題。

 なにしろ、喰いつめた難民がどっと押し寄せるのである。

「領都の防衛は厳に取り締まれ。難民は領都に入れてはならぬ。」

「ご家老さま、それではみな死んでしまいます。」

「我が領土とて、飢饉の影響は大きいのだ、南部ほどではないにせよ、三年の減収は痛い。」

「それはそうですが…」


「ご家老さま、奥方様がお呼びです。」

「奥方様が?この忙しい時に、いいか、城門を通るものは必ず検閲するのだ。」

「「はは!」」

 家老は、すぐに執務室から城内奥に向かって、早足で移動した。」

 シュツットガルトの北、ハイデルベルク子爵は、現在帝都に滞在中につき、家老マイムは焦っていた。

 なにしろ、難民は北へ北へと逃げてくる、そのうち一揆となって襲ってくるかもしれない。

 そうなったとき、この領都を守れるかが、現在の課題である。

 領都に詰める騎士たちは、足軽含めて二〇〇〇人前後。

 なんとも心もとない。

 配置については、騎士隊長に任せてあるがさて…


「奥方様、マイムでございます。」

「ご苦労です、マイム殿。こちらへ。」

「はは。」

 家老マイムは、奥方の座るソファの前に立った。

「どうですか難民は?」

「は、いまだ姿は見せておりません。」

「そうですか、殿の留守中にまことお手数とは存じますが、ゆめぬかりのなきようお願いしますよ。」

「はは、もちろんでございます。」

「つきましては、私の化粧料から麦を三トンほど買いたいのです。」

「は、はあ?」


「むぎ…でございますか、それは三トン程度であれば、いかようにても。」

「そうですか、それを城壁の外で麦粥にして、難民に配りましょう。」

「はあ?喰いつめの避難民にでございますか?」

「はい、マイム殿、邪険に排除しては難民が盗賊になりかねません。」

「…」

 かしこいお方だとは思っていたが、なかなか深くモノを考えるものだ。

 マイムは、舌を巻いた。

「ですから、ハイデルベルクに来たら、なんとか助かると思ってもらいましょう。」

「は、しかし…」

「くるものは仕方がありません、ニュルンベルクからはバンベルクに、レーゲンスブルクからはアンベルクやズルツバッハに、それぞれ向かうことでしょう。いいですか、うちでの無頼は許しません。」

「はっ」

「まずは、懐柔してみましょう。うまくすれば、西部の山脈沿いの開拓に人手が得られます。」


 そこまで考えていたのか!

 マイムは、領都の防衛だけを考えていた。

 武骨者には、この懐柔案は考えていなかった。

「誠に、奥方様の深謀遠慮、このマイム、感服いたしました。」

「頼みましたよ、あと、この手紙をバンベルクの奥さまと、アンベルクの奥さまに送ってちょうだい。」

「はは。」

 ズルツバッハはいいんですかね?

「あそこは、この前の舞踏会でちょっと諍いがございましたのよ。」

 ははあ、それはそれは。

 

 ハイデルベルクの南門の前では、たくさんの天幕が張られ、十数台のかまどが作られた。

 冒険者の中には土魔法の得意な者も多い、たちまちに準備ができて行く。

 奥方は、陣頭に立って鍋をかきまぜていた。

「水の桶ももっとたくさん並べてくださいな。」

「はは!」

 城代家老もいっしょになって、荷車を引く。

「よいか!人が来るまでに準備をするのだ!」

「「「おお~う」」」

 城門の前には、山積みの麦の俵。

 これを見ただけで、難民の疲れが取れると言うものだ。


「塩!塩よ!疲れてやってくるのだから、塩気は多めにね!」

「「はい!奥方様!」」

 腰元、メイド、街の母ちゃんたちまで、奥方の手伝いに馳せ参じた。

 ハイデルベルクの奥方、マルレーネ=ディートリッヒ=ハイデルベルクは、この一晩で名をはせたのである。

 のちに、ハイデルベルクの聖女と呼ばれる女傑であった。

 鎧姿の騎士たちも、板鎧は脱ぎ棄てて鍋を運んだり、麦を運んだりしている。

「奥方さま~、イノシシが獲れましたわい!」

「まあ!さっそくさばいて、鍋に入れてちょうだい!」

「「はは!」」


 街の冒険者が、森に狩りに出かけてくれた。

 続々と持ちこまれるイノシシ、鹿、クマなど。

 そのたび、銀貨が飛び交う。

「奥方さま、そんなものいりませんて。」

「いえ、あなた方の好意に報いるものがありません、せめて買いとらせて下さい。」

「まいったなあ…」

 森の獣たちは、次々に解体され、スープに出汁に換えられていった。


「さあ!いつでもいらっしゃい!」

 やがて陽が落ちようとするころ、街道をぽつりぽつりと人影が見えてきた。

 奥方に派遣された騎士たちが、声をからして難民を誘導している。

「がんばれ!あと少しで食い物があるぞ!」

「もう少しだ!」

 励ます声にも力が入る。

 同じ南部の人間である、どこか通じるものもある。


 陽が傾くと同時に、やってきた難民はあたたかい麦粥やスープに涙を流した。


 しかし、山一つ隔てたイシュタール王国のストラスブール辺境伯領では、麦が豊作だったのは皮肉である。


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