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大雨の向こう側 参

そう思い出していると不安そうに養老が口を開く。


「おい大丈夫か、ぼんやりしとる、目が死んでいるぞ」

「大丈夫です。目が死んでいるのはよく言われます」


「済まんかったな、野暮な事を聞いてしまった」

「いえ大丈夫です。もう過ぎた話ですから」

「さぁ今日の目的は祝や。湿気た話は終わりじゃ」


 彼が言うと鰆の造りが届いてきた。流石、料亭だ。新鮮度、盛り方、全てにおいて素晴らしい。

 味は予想通りとても美味だった。上品で甘みのある味だった。養老が笑いながら口を開ける。


「なぁ〜美味いじゃろ」

「えぇとても美味です」

「お前に足りてないとこ言ってやろうかい」

「お願いします」


 少し間を起き緊張感が高まる。


「笑顔と”恐れ”じゃな」

「恐れなら感じています。いつ自分より強い人間が現れるか分かりません故、鍛錬は欠かしていませんが」


「そうじゃ。その恐れが大切じゃ忘れてしまえば負けてしまう。だがな、感情を見せないと君は人間の精神を斬り捨ててしまうから気をつけるんじゃぞ」

「喜びは慢心に繋がりますから」

「なぁ〜に無理慈恵はせんよ、ただお前さんが人斬りにならない事を祈るぞ」


 会話を重ね、時が過ぎるのは早いもので俺達は完食した。


「ご馳走様でした」

「君の家まで送ろう時間も、もう遅い」

「いえ申し訳ございません。少し用事がございます故」

「そうか夜道には気をつけるのじゃぞ。何かあれば此処に連絡をかけるが良い」


 そう言い渡されたのは連絡先が記された紙だった。


「承知しました。そしてありがとうございました」 

「礼には及ばんよ、つき合わせて悪かったな、気を付けて帰るじゃぞ」


 そうして俺は養老と別れ、電車に揺られながら、両親の墓がある神奈川の寺へ向かった。窓の外は雨で景色が滲みゆっくりと流れる。それはまるで今までの修行や稽古を祝福する様な気がした。


 駅を着くと、雨脚が東京の朝より激しく打ちつけ落雷の音が聞こえる。そうして傘を差し歩き続けると石畳を踏みしめながら坂を登る。

 屋根瓦に雨音が水面の波紋の様に響く。

寺の門を潜り、墓前に立ち両親の刻まれた墓を指先でなぞる。


「……終わりました」


 呟いた声は、雨音との激しさとは裏腹に静寂な空間が溶かしていった。


 その時、視線の先に違和感を覚え、墓前には見覚えの無い白い花束が供えられていた。花束の傍らには雨に濡れた一通の封筒。


 封筒を拾い上げると、そこにはたった一行でこう記されていた。


『柊裕朔へ、“剣”を継ぐ者として』


 雨の中、思考が構築を拒んだ。

誰が――いつ、こんな物を。

筆跡も俺が知っている限り見た事が無い。


 胸の奥が軋む、両親の死、母の笑顔、あの夜の血の匂い、凄惨な死体の光景、全てが一斉に蘇る。

 そして俺は一つの結論にたどり着いた。


「まだ終わらない」


 俺は天にいる両親にそう告げ、封筒を握りしめ、俺は墓を後にした。

 そうして俺は住職に喋りかける。


「今日、白い花束を持った人間を見ませんでしたか?」

「顔を帽子で隠していたから分からんが……黒のスーツの中年がおったな、それ以外は分からん」


 彼はそう告げ、静かに手を合わせた。

墓参りが終わり山修行の地、山梨へと戻る。駅を降り長い田んぼ道を歩くその頃には空が泣くのを止めた。木が生い茂る山を登り朽葉邸へと帰ると玄関に師匠が居た。


「ただいま戻りました。師匠」

「試験はどうじゃった」

「合格いたしました」


 俺がそう言うと師匠は少し嬉しそうな顔をしていた様に思える。珍しく師匠が微笑している。これはなにかあると思い耳を傾けると師匠は喋りだした。


「昼頃、お主の姉が来た」

「姉がですか?」

「お主も高校生になるのだろう」

「神奈川へ戻れ、と言っておった」


 その言葉に返す言葉が見つからなかった。この山から出るなんて考えられないからだ。師匠は喋りだす。


「お主ならば、戦歴があるから飛ぶように推薦状が来るじゃろう」

「恐らくここまで警察か郵便が推薦状を届けるじゃろう。その日までは儂の元にいても良い」


 師匠が言い終わると道場の方へと歩き始めた。俺も自然と脚が進む。これが最後の稽古になると、分かっていた。

 俺は道着に着替え道場に向かうと、もうすでに師匠が木刀を手にし立っていた。


「始めるぞ」

「はい」


 そうして木刀を構え稽古が始まった。師匠は何時もの様に正確無比に喉元を狙ったりみぞおちを刺突してくる。剣術と剣道の違う所は師匠曰く「殺れるか殺れないか」だ。


 攻防一つも譲らず真剣に狙い合う。此方が斬ると必ず防ぎ逆に師の斬撃を俺は防ぐ今は互角である。木刀が流れ流される度に返って来る衝撃が全てを物語る。

 師匠は癖がほとんど無く例えるならば汚れなき水と言った所だろう。


 稽古から約一分が立ち一つ空気が変わり師匠が此方に攻撃を仕掛けた。俺は応戦しようとするがそれは罠だ。

 横一文字の一閃が思考を置き去りにする速さで襲いかかるが紙一重に躱し師匠は一瞬の隙が生じた。

 俺はその好機を見逃すまいと逆袈裟を仕掛ける。そうして逆袈裟が師匠の胸部を掠め稽古が終わった。


「成長したな。柊よ」

「師匠が私を成長させたおかげです」

「先に湯に浸かるがいい」

「ですがまだ、ご夕飯の支度ができておりません」

「米なら、儂でも炊けるわい」

「ではお言葉に甘えさせて頂きます」


 俺は道場を出て風呂場へと向かう。風呂場の薪を確認すると、すでに燃やされていた。師匠が気を利かせてくれたのだろう。

 俺は脱衣所に戻り更衣をし、身体を洗う。風呂の時間は剣士として言うならば禊だ。


 入浴を終え台所へと向かうと。そこには師匠が立っていた。


「大丈夫でしょうか、師匠」

「米は炊いておいた。後は任せるぞ」


 師匠はそう言い立ち去った。俺は台所を見ると何時もより具材が豪華だった。何時も畑で採れた野菜と近所の人が分けてくれる鶏肉なんだが、今回は鮎が四匹も氷で冷やされていた。

俺は師匠の元へ行き何が食べたいか聞く。


「師匠、鮎がございますが、天ぷらか塩焼きどちらをお召し上がりたいでしょうか?」

「米に合うもので頼む」

「では天ぷらに致します」


 俺は天ぷらを作りに台所へと戻り野菜があるかどうか確認し薪に火をつけ油鍋を準備し、衣の液を作り小麦粉をまぶし混ぜる。そうして温度計で鍋の温度を確認し適温となったので衣の液に具材を満遍なく潜らせるこの際、具材を不自由なく投入する。

 そうして油鍋に具材を揚げ出来上がりだ。揚げた天ぷらを皿に乗せ食卓へと盛っ行く。


「お待たせしました。お茶をお注ぎします」

「茶ならもう淹れてある」

「すみません。私の作業なのに」

「構わん。今回はお主の昇段祝いじゃからな」

「ありがとうございます」


 そうして手を合わせ食べ始める。こんな風に食卓に飯を食べることなんてもう訪れないだろう。この時間を噛み締め黙食した。


 そうして飯を食べ終わり、片付けをし寝室へと歩き出す。寝室に戻ると箪笥に隠していたオコジョのぬいぐるみを手にする。

別にぬいぐるみが好きって言う訳ではないがつい魅入ってしまう。

 こいつとは長い付き合いだ。七年前のあの日から持っている。そうして抱き締めながら日誌を書き眠りにつく。


「おやすみ」


 こう呟くのも普段しない事だが不意に言葉出てきた。きっと疲れたのだろう。そうして眠りについた。



 昇段した約二週間の事だった。その頃にはもう全世界に俺の昇段の記事やニュースがながれていた。郵便が現れ「お届けものです」と言い一通の封筒が届けに来た。

封筒には見覚えのある校章に文字――東桜高校の推薦状だった。

 封を開いて内容を見るとそこにはこう綴られていた。


『貴方は剣道に研鑽を重ね偉業を成し遂げました。若き剣士がさらなる成長をする事を期待し推薦させて頂きました。いい返事を期待しています。』

 

 読み終わるとふと思い出す。


『柊裕朔へ、”剣”を継ぐ者として』


 俺は理解した。まだ試合も戦いも終わっていない。次の戦場は此処だと。

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