35.夏休み ローゼンヴァルド宅(Ⅱ)
荷物の整理等の雑事をしているうちに、気が付いたら夜になっていた。ヘレンから夕食の声がかかったので、急いで食堂に向かう。どうやら今日は父より先に着いたらしい、食堂にはまだ誰も着席していなかった。少し待っていると、書斎から降りてきたらしいフェルディナンドが姿を現した。彼は少しだけ目を見開いたが、特に何も言わず席に着いた。
(あの様子だと、使用人の誰かから私が戻っていることは聞いていたようね。)
知っていたなら自室に顔を出してくれてもいいものを、と少し寂しい気持ちになる。同時に、いかにも父らしいそっけなさだと一人納得してしまったのでどうしようもない。おそらく書斎で仕事でもしているうちに、カミラのことなど忘れてしまったのだろう。
「今夏は少し早い帰省だな。」
運ばれた前菜をナイフで丁寧に切りながら、フェルディナンドがぽつりと呟いた。カミラは顔を上げる。
「最近、学校の方はどうなんだ?上手くやっているのか?」
「成績の方は、問題ありません。期末も首位を取りました。」
「……そうか。」
「……それと、最近は少し仲の良い、ゆ…友人も出来まして…」
フェルディナンドの手がぴたりと止まる。顔こそ上げないものの、話はしっかり聞いていることが分かった
「クラリス=アインカイザー様と、ハワード=スタンフォード様のお二人です。クラリス様はかの有名な魔道一家、アインカイザー家の一人娘。ハワード様は、学者や医者を多く出しているスタンフォード家のご子息ですわ。」
「そうか。」
「ええっと…遠足の時にクラリス様と回ったのがきっかけで、仲良くしていただいてますの。ハワード様はクラリス様のご友人ですわ。二人とも優秀な方々で、先日の期末テストもクラリス様が四位、ハワード様に至っては私の次の二位に着いております。学校での態度も真面目で勤勉なので…友人としても、恥ずかしくない、立派な方達かと思います……」
友人の話をしているだけだというのに、つい父の顔色を伺ってしまう。父が怖いというのも事実だが、それ以上に、幼少期の友人作りに失敗した経験が今も尾を引いていた。以前の失敗を繰り返したくないからこそ、彼らが友人としてふさわしいか否か、父に判定を求めてしまうのだ。
「学校は楽しいか?」
「え…?」
急な質問に言葉が詰まる。ややあって、おそらく友人達についてもっと詳しく知りたいのだと気づいた。
「……ええ、そうですわね。彼らと仲良くするようになって、毎日が急に目まぐるしくなりました。でも、…楽しいです。」
言葉にすると、自分でもすんなりその感情を飲み込めた。そうだ、自分はいま、学校が楽しくてたまらないのだ。こんな気持ち、去年は芽生えなかった。
「クラリスはいつも本を読んでいて、一見物静かでおとなしそうな子なんだけど、意外とやんちゃなんです。遠足の時も始終はしゃぎ回っていたし、いろいろ連れ回されたわ。おかげで退屈しなかったのだけれども。ハワードは真面目でしっかり者だからとても頼りになります。今もう既に生徒会から推薦が来ていて、来期の選挙では当選確実とまで言われているわ。…みんなで一緒に試験勉強をしたり、街に買い物に出かけたりしたけど、全然退屈しないんです。それで…」
はっと我に返る。どうやらまた喋り続けてしまったらしい。どうも彼女たちの話となると言葉が止まらなくなるのを反省しつつ恐る恐る父の様子を伺う。食事の方を見たまま顔を上げないので、詳細はよくわからないが、別段気分を害しているようには見えなかった。
(今ならいけるかしら……?)
父の顔をまじまじと見ながた、カミラは意を決して言葉をつづけた。
「お父様、実は一つお願いがありまして、……もしよければ、ニ、三日ほど別荘を一つお借りしたいのですが」
途端、フェルディナンドの顔が一気に険しくなるのが俯き顔ながらも見て取れた。隣に控えていたヘレンですら渋い顔をしている。
「北の避暑地なら、使用禁止と言っているだろう。」
フェルディナンドが厳しい声で跳ね除ける。その声に怯む気持ちをぐっと堪え、カミラは父を見つめる。まだだ、まだ負けるな。
「お借りしたいのは北ではなく、東の別荘です。数年前まで叔父様が書庫として使っていた。」
「あそこか……ふむ。」
東の別荘とは、北同様に、散財家だったフェルディナンドの祖父が建てた別荘の一つである。ただし、北ほどの豪華さは全くなく、むしろ小ぢんまりとして簡素な館だ。なんでも彼が晩年、財政難の中で無理矢理建てた代物の為、他と比べるとかなり費用を抑えた安価なものらしい。
フェルディナンドには弟が一人おり、外相として国を支えている。兄同様に優秀な人間だが、彼より幾分気さくで趣味も多い。その一つが読書であった。仕事を活かして各国から様々な本を取り寄せると、自宅の本棚いっぱいにコレクションして暇さえあれば読んでいた。あまりに買い溜め過ぎたものだからとうとう自宅に置き場所がなくなった為、その一部を空いていた東の別荘に移したのだ。そして彼自身は、少し前から隣国に常駐をしているので、今は東の別荘は空いている。一応、来客時には貸出可能と本人が言っていた為、カミラが借りることもできるはずだ。
「あそこは本以外何もないぞ。」
「構いません。むしろそれが良いのです。クラリスもハワードも本が好きです。それに……人様のものを盗むような浅い人間とは思えませんので。」
果たして自分が言ったところで説得力があるのかどうかは謎だが、それでもカミラは強く言いきった。フェルディナンドはしばしの間逡巡しているようだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「よかろう。ただ、こちらでも何人か人を準備する。彼らも連れていくことが条件だ。それで問題はないな。」
「はい、承知しました。……ありがとうございます。」
思わずカミラが破顔する。隣にいたヘレンもほっと胸をなで下ろしているようだった。
「では、明確な日取りが分かったらまたこちらに連絡をしなさい。招待する二人はいつがいいと言っているんだ。」
「あ、えっと……実はまだ提案もしていなくて…」
「?…せがまれたわけじゃないのか。」
「はい。先日昼食を一緒に取った際に、二人が涼しいところに遠出したいと言っていたのですが、それを聞いてふとあの別荘のことを思い出し、今日ご提案した次第です。まだ借りれるかどうかも分からなかったので、二人にその話はしておりません。」
「そうか。……連絡手段に困ったら、魔法便を使いなさい。まだ家に数枚ストックが残っているはずだ。」
あくまでカミラからの提案、というところに少し安心したのだろう。フェルディナンドは、先程よりわずかに態度を軟化させて話を進めた。
それから夕食を終えると、フェルディナンドはいつものごとく書斎へ戻っていった。カミラも席を立つとそのまま自室に戻り、急いで魔法便の準備を始めた。幸い、まだクラリスもハワードも寮にいるはずなので連絡がつけやすい。途中でヘレンがお茶を持って部屋にやってきた。
「まったく、今日は少しひやひやしましたよ。あらかじめわたくしにお話ししてくだされば多少融通を利かせておりましたのに。」
「あら、ヘレン。私も心臓がバクバクいっていたわ。お父様って本当に威圧感がすごいんだから。確かにヘレンの言う通り、先に貴女に話しておけばよかったわね。昨日から少し緊張してまったく考えつかなかったわ。」
「そ、そんなに緊張してらっしゃったんですか!なんだかフェルディナンド様が少し不憫ですわね。…それにしても、無事に借りることができて良かったですね。」
「ええ、本当に嬉しい。でもお父様が用意するといっていた人達って誰かしらね?わたくしは出来ればヘレンがいいのだけれど。」
「まあ、お嬢様ったら!…そうですね、わたくしもフェルディナンド様に申し出てみるつもりですわ。…ふふっ、今から楽しみですわね。」
ヘレンが嬉しそうな笑顔でこちらを見る。カミラも先程からずっと口元が緩みっぱなしだ。
書き終えた魔法便を飛ばすため窓辺に向かうと、外には満天の星が輝いていた。頭上に浮かぶ幾ばくもの星々は、今のカミラの気持ちを代弁するかのように、きらきらと美しくまたたいていた。




