34.夏休み ローゼンヴァルド宅(Ⅰ)
八月が始まり、蝉の声が一層けたたましく感じられるようになった。今はまだ朝の九時半。にもかかわらず、太陽は真昼のようにジリジリと肌に照りつける。降り注ぐ蝉しぐれのもとを日陰を縫うように進んでゆくと、カミラはやっと目的の場所に辿り着いた。
いつ見ても立派な我が家の門前に立つと、カミラはいつものように小さく深呼吸をした。
(毎度毎度、何故自分の家なのにこうも緊張するのかしらね…)
なかなか成長しない自分に、我ながらつい呆れてしまう。意を決して門を押すと、ギイと重苦しい音を立ててそれは開いた。中に入ると視界に飛び込んできたのは鮮やかな黄色。玄関までの道なりにつづく立派なひまわりの花だった。つい先日まで小さい苗だったというのに、今では自分より背が高い。さんさんと輝く太陽のような花達に思わずほうっと息が漏れる。
「あら、おかえりなさいませ、カミラ様!今年は少しお早いのですね。」
ちょうど外で洗濯物を干していたらしいヘレンが、遠くから大きく手を振っている。
「ただいま戻ったわ。ここのひまわり、すごく綺麗ね。」
少しに周りを眺めていると、ヘレンが急いで洗濯物を干し終え、そのままこちらに駆けてきた。後頭部からオリーブのリボンがはためいている。どうやら先日のお土産をつけてくれているらしい、思わず顔がほころんだ。
「お嬢様のご帰宅はいつも突然ですわね。…たまには郵便の一つでもくださればいいのに。そしたらこのヘレン、アップルパイの一つでも焼いて、おもてなししますわ。」
少し息を切らしながらヘレンが口を尖らせる。
「そんなことされたらなんだか申し訳なくなっちゃうじゃない。どうせそんなに長居しないのだから、あまり気を遣わないでちょうだい。ところで、今日はお父様はうちにいるのかしら?」
「フェルディナンド様ですか。夕方まで私用で出かけていらっしゃいますけど夕飯には戻られると聞いておりますよ。」
「そう、分かったわ。」
よしよし、と内心で頷く。おそらく大丈夫だろうと踏んでいたが、事前確認していなかったので少し不安があった。毎年この時期になると、忙しい宰相でも休みは貰える。それを覚えていたのでカミラは今日帰ってきたのだ。
「今、お茶をお持ちしますね。今日は暑いからアイスティーでよろしいかしら?すぐ準備するのでお部屋で待っててくださいまし。」
「ええ、そうするわ。ありがとう。」
そう言って家に上がると、カミラはそのまま自室へと向かった。照りつける日差しのもとを歩いてきたので、風通しの良い屋内はとても心地良かった。ほっと一息ついていると、すぐにヘレンがお茶を持ってやってきた。
「…あら?」
ふと、紅茶の横にクラッカーとジャムの入った小皿が置いてあるのに気づく。顔を見上げると、ヘレンがにこにこと微笑んでいた。
「先日お嬢様がお持ちくださったお土産、我が家でとっても好評でしたよ。使用人の間ではちょっとした争奪戦状態です。」
「ちょっと、そんな大袈裟な……」
ヘレンの言葉に思わず顔がほころぶ。少し気恥ずかしくなって茶化すように言葉を返すと、ヘレンはより語気を強めて話を続けた。
「そんなことありませんわ!みんなカミラ様からのお土産だと喜んで食べていますもの。それに、フェルディナンド様もお気に召したみたいですよ?最近朝食のパンにつけるジャムはもっぱらこちらですから。」
「お父様が……?」
ヘレンの言葉に目を見開く。あの甘いものを好まない父が気に入ったとは結構意外だ。ヘレンが気を利かせて大袈裟に言っているだけかもしれないが。
「はい!あまりにみんなが食べたがるから最近は量がだいぶ減ってきてしまって、今はちょっとずつ食べるよう気を遣っているんですよ。」
「そ、そうなのね。それはありがたいわ。……そうね、今度クラリスに会ったら近場でも売ってないか聞いてみるわ。機会があったらまた買ってくるから。」
「よろしいのですか!ではぜひお願い致します!ああ、カミラ様にわたくしめからお願いなんてちょっと気が引けますが…」
「いえ、いいのよ。むしろ皆に気に入ってもらえて嬉しい限りだから。」
そう伝えると、少し申し訳なさそうな顔だったヘレンも、ほっと安堵の表情を浮かべた。
「近頃、学校はどうですか?」
「相変わらずよ。クラリス…以前話した、遠足を一緒にまわった子ね。彼女と、その友達のハワードという方と最近はよく一緒に過ごしてるわ。ハワードは、スタンフォード家のご長男といえば分かるかしら?」
「ああ!あの一族みんな博識の!」
「そうね。彼もご多分に漏れず頭が良いわ。期末テストの勉強をみんなで一緒にしたんだけど、二人のおかげでいつもよりすらすら問題が解けたわ。」
「それは良かったですね。」
「ああ、あと夏休みに入ってから三人で一緒に街へ遊びに行ってね。その時たまたま学校で素行の良くない生徒達と会ったのよ。…最初はあまり関わりたくないなって思ってたんだけど、クラリスが案外普通に話しかけるものだから、おっかなびっくりで私も真似してみたの。…いざ話してみると結構気さくでいい子達だったわ。人間、うわべじゃ分からないものね。…まあ、あまり人を見る目のない私が言ってもって感じかしら。」
「ふふっ、それはなんともいえませんわね。」
「もうっ、ヘレンったら!」
「うふふ、でも、お嬢様が楽しそうでわたくし安心致しました。」
「?……そうかしら?」
「ええ!……去年は他の生徒の話なんて全然聞きませんでしたもの。出てくるとしても、せいぜいエリオット様くらい。大抵は授業や成績の話ばかりでしたから。」
「そう……そういえばそうだったわね、懐かしいわ。」
そう言いながら、カミラは去年の自分を思い出す。確かに自分はエリオット以外の人間に関わろうとしなかった。無関心というわけではなかったのだが、かつて騙された記憶から、他人と関わるのに尻込みしまう癖がついていたのだ。加えてなんでも完璧にこなす実力と、元来の高飛車な性格が邪魔をし、他の生徒達もカミラに寄りつこうとしなかった。
(変わったのは、あの子と話すようになってからかしら。)
ふと、アルビノ娘の顔が頭をよぎった。連み始めてまだ二ヶ月ほどしか経っていないが、彼女と話すようになってから、カミラの日常はずいぶん変わった。
(最初はあんなに仲が悪かったのにね。絡みはじめた頃だって、かなり険悪なムードだったし……そう思うとなんだか不思議だわ。)
ぼんやりとここ二ヶ月の記憶を辿る。色々と目まぐるしい日々だった。だが、けして嫌じゃない。
「……クラリスには感謝しなくちゃね。」
ふっと、小さな笑みがこぼれる。隣にいたヘレンも優しげなまなざしでこちらを見ていた。
2年近く放置しておりました。取り急ぎ、一章ラストまでは書ききったので、そこまで投稿しようと思います。




