36.夏休み 別荘(Ⅰ)
八月も中旬になり、暑さがピークを迎える頃。寮庭の朝顔が、太陽に向かって青や紫の花々を惜しげなく広げている、そんなまだ早い時間のこと。クラリスは左腕に大きなボストンバッグを抱え、ゆっくりと玄関のドアノブに手をかけた。早朝であるにもかかわらず、外はうだるような暑さだ。早くもげんなりとした気持ちになってしまった。
(だめだめ、この日をずっと楽しみにしてきたじゃない!!)
気を取り直してして正門へ向かう。ここ一週間ほどは今日がくるのを待ちに待っていたのだ。上から照りつける日差しも、下からモワリと感じる地熱も、これから三日間のことを考えれば急にどうでも良くなった。
ものの数分で正門に到着すると、先に着いていたハワードが額の汗を拭きながら笑顔で迎えてくれた。
「やあクラリス、久々だね。」
「久しぶり、ハワード。ご実家はどうだったかしら?」
「相変わらず騒がしい弟妹達だったよ。でもまあ、顔を見れて良かったかな。」
「そう、素敵ね。」
「カミラ嬢の招待状もぎりぎり受け取れて良かった。帰省前日に魔法便を受け取った時は少し焦ったよ。」
「貴方の帰省、急に早まったものね。ご弟妹達にせがまれたんだっけ?みんなお兄ちゃんっ子なんて、ハワードは人気者だわ。」
「僕としては早く兄離れして欲しいんだけどなあ。…クラリスはいつ帰省するんだい?」
「本当は今週の予定だったけど、来週にずらしたわ。なんたってカミラからのお誘いだもの。最初は帰省が遅れることに不満気だったお母様達も、私の口から『お友達』の言葉が出た途端、掌を返したように態度を変えたわ。貴女にハワード以外の友達が出来たなんて!ですって。……失礼しちゃうわよね。」
「ははは、それは随分な言われようだ。」
しばしの間談笑していると、向かいの曲がり角から豪華な馬車が颯爽と現れた。ところどころ金縁の入った客車は繊細な装飾が施されていて、一目見ただけで高級品ということが分かる。御者の身なりもきっちりとしており、また、馬車馬は背格好がたくましく、きっちり手入れを施された毛並みが風にサラサラとなびいていた。
はて、あれはどこのご貴族のものかしらなどとクラリスがのんびり眺めていると、それはそのまま二人の目の前に静かに停止した。いったい何事かと思い、ハワードと顔を見合わせる。どうしたらいいものか分からず、かちんこちんに固まっていると、やがて客車の扉が開き、色素が薄めな金髪の綺麗なメイドが出てきた。
「クラリス=アインカイザー様にハワード=スタンフォード様でよろしいでしょうか?」
おそらくクラリスより少し年上だろうか、メイドはこちらに問いかけると、ふわりと優雅な笑顔を浮かべた。
「は、はい!そうです!」
緊張したハワードが、妙に大きな声で返事をする。
「ああ、よかった!本日はこのようなお暑い中、長らくお待たせしてしまい誠に申し訳ございません。そして、皆さま初めまして。わたくしはローゼンヴァルド家の使用人、ヘレンと申します。今日はカミラ様のお供として参りました。僭越ながらこれから三日間、皆さまとご一緒させていただきます。どうぞよろしくお願いします。」
ヘレンが深くお辞儀をする。その後ろで、今度は客車の窓からカミラが顔をのぞかせた。
「クラリス、ハワード!待たせてしまってごめんなさい!意外と道が混んでたわ。」
「いやいや、そんなに待ってないよ。それよりカミラ嬢、こちらは君ん家の馬車かい?」
「え?ええ、そうですけど。」
カミラがきょとんとした顔で不思議そうに答える。ハワードとクラリスはお家柄の差をまざまざと見せつけられた気分になり、ほんの少しいたたまれなくなった。
「ささっ!どうぞ、中へ!」
ヘレンの言葉で、開かれた客車へと入り込む。中は外観同様に、繊細で気品のある内装になっていた。座席はゆったりと広く、乗客が四人ぽっちだとだいぶのびのびと座ることができる。また、魔法具による冷暖房が完備されているらしく、灼熱の外とは打って変わって、車内は涼しく心地良い。馬車とは思えぬ贅沢な空間が広がっていた。
「お荷物はこちらへ。ああ、喉は乾いていませんでしょうか?紅茶も準備しておりますので、必要があればいつでもお申し付けください。」
ヘレンが嬉々としてクラリス達の世話を焼く。その圧に押されされるるがままにもてなしを受けていると、カミラが隣でくすくすと笑いながらこちらを見ていた。
「ちょっとクラリス、借りてきた猫みたいになっちゃって。いつものお転婆はどこに行ったのかしら?」
「カミラ!お転婆ってどういうことですの!?わたくしはいつだって落ち着いておりますわ。それに、貴女のところの馬車があまりにご立派すぎて、すこし気後れしてしまっただけよ。そういえば貴女が公爵令嬢ってことを忘れていましたわ。」
「そんな大事なこと忘れないでちょうだい!!はあ……まあ、家柄目当ての連中よりよっぽどマシですけれども。」
「すまないな、カミラ嬢。クラリスは時々、とんでもなく世間知らずな発言をすることがあるんだ。許してやってくれ。」
擁護のつもりでさりげなく馬鹿にされた気がするのだが、聞かなかったことにしよう。
「ところで、今日はお誘いいただき本当にありがとう。魔法便を受け取った時は本当にびっくりしたよ。まさかあの、ローゼンヴァルド公爵家の別荘にお呼ばれする日がなんて、夢にも思わなかった!」
ハワードの言う通り、今朝早くから二人がわざわざ正門前で待機していた理由。それは、今日から三日間、ローゼンヴァルド家の別荘に旅行に行くからである。
遡れば、先日、寮の郵便受けに届いた一つの魔法便から始まる。クラリスがそれを受け取ったのは、ちょうど十日前の午後。その日は特に用事もなかったので、ゆっくり身支度を済ませ少し遅めに図書室へ向かおうと考えていた。
(今日はハワード、学校にくるかしら?明日からご実家に帰ると言っていたし、支度で忙しいかな。カミラはもう既に帰省してるし……一人だとつまらないわね。)
このままだとしばらく退屈な日々が続いてしまう。そろそろ自分も両親に顔を見せに行こうか、そんなことを考えながら郵便受けを開けたときだった。
「あら…?」
いつもは空のことが多い郵便受けの中に、封筒が一つ届いていた。手に取って見れば、なかなか高級な羊皮紙だ。両親からにしてはいささか仰々しい気もする、いったい誰からだろうと裏返して差出人を見てみる。
「わあ、カミラからお手紙ですわ!」
途端に気分が舞い上がった。もともと友人から手紙などもらうことがほとんどない(というか友人がいない)クラリスだ。親しいクラスメイトから頼りの一つも寄越されれば、それは浮かれてしまうものである。
(何かしら?時期的に暑中見舞いとか?でもこの世界にそういう風習はなかった気がするし…)
いそいそと封を切ってみると、これまた高級な羊皮紙の便箋に綺麗な字で自分宛のメッセージが書き連ねられていた。
手紙の内容を要約すると、もしよければこの連休中に、ハワードと共にうちの別荘に泊まりに来ないか、という内容だった。
(カミラとハワードと一緒に、別荘でお泊まり……それって、友達と旅行ってこと!?)
クラリスの周りにふわりと花が舞う。
友達と旅行。学生なら誰もが一度は憧れるものではないだろうか。仲良しメンバーで色々な場所を見て回ったり、美味しいものを食べたり、宿に戻ったらいつもはできない夜更かしをして、パジャマパーティーなんか開催たり…
脳内に心踊る想像がむくむくと広がる。クラリスは手に持った封筒を大切そうに握りしめると、一度出たはずの自室へ戻り、急いで返信をしたため始めた。




