シンクシ 11
その日の朝の鍛錬、僕はひたすらに、がむしゃらに、身体を動かした。
天に誓って、やましい気持ちはなかった――うん、なかったよね――し、そもそも、10歳になったばかりの女の子にどうこうと、変な気を催すはずもない。
僕は決して、ジェリック様とナティカ様に顔向けできないようなことはしていない。
そんなことになれば、冗談や比喩ではなく、首が飛ぶ。
鮮烈に脳裏に焼き付いてしまった光景を、どうにか振り払うことは出来ないかと、躍起になってはみたけれど、忘れようとすれば忘れようとするほど、振り払おうとすれば振り払おうとするほど、むしろ鮮明にその光景が脳裏をよぎる。
真っ白な雪原のような肌と、まとめ上げられた髪の下からわずかに覗く、細く綺麗なうなじ。
すぐにそれどころではなく真っ赤になってしまわれたけれど、ほんのりと染められた上気した肌の色っぽいことといったら、とても10歳の女の子とは思えない、当たり前だけれど、シャルリア様も女の子――異性なのだということを意識させられるような、不思議な色香と雰囲気を放っていらした。もちろん、そうならないように僕は全力で注意していたけれど。
いつもであればヴァイオリンの練習に起きていらっしゃるはずのシャルリア様は、その朝には(僕が鍛錬をしている間は)ついぞ、お姿を見せられなかった。
「おはよう、アルフリード。朝から精が出るわね」
ようやく煩悩? を振り払えるかというくらいに身体を動かして部屋へ戻ると、シャラさんが目を覚まされたところだった。
若干乱れた浴衣を直されたシャラさんは、僕の方をじっと見つめてこられて、
「本当は朝一番で、姫様方が起きていらっしゃる前にそこのお風呂を使わせて貰おうかと思っていたけれど、アルフリードに譲ってあげるわ。私はその後でいただくことにするから」
まあ、たしかに、お風呂に入ったばかりだというのにこんなに運動して汗をかいてしまったのは僕だったけれど。
「お心遣いありがとうございます。けれど、僕は浄化の魔法で済ませますから、大丈夫ですよ。お気になさらずに、どうぞお使いください」
「そうなの? お湯を浴びた方がさっぱりすると思うけれど……まあ、アルフリードが良いっていうなら、ありがたく使わせて貰うわね。それとも、一緒に入る?」
「い、いえっ! 滅相もありませんっ!」
蠱惑的な笑みを浮かべられたシャラさんに、いつもならもう少し平静を保てそうなものだったけれど、この時ばかりは、つい、焦って対応してしまい、逆に誘われたシャラさんに心配されてしまった。視界の端では、布団がわずかに反応していたような気もするけれど、多分気のせいだろう。
「じゃあ、姫様方が起きられる前に、そこの扉越しでいいから、昨夜の報告をして貰える? 待っていたのに、夜の間全然帰って来なかったのは、何かあったからなんでしょう?」
それならシャラさんがお湯から出られた後で、向かい合って話しましょうと提案してはみたけれど、訝し気に目を細められたシャラさんに、何か、こちらの考えていることを見透かされそうな気がしたので、十分な説明は――具体的な説明などもっと――することが出来ず、くぐもって聞こえる色っぽい声を聞きながら、昨夜の出来事を報告させてもらった。
「そう……もうとっくに気付いているとは思うけれど、こっちは何もなかったわよ。ああ、明け方、シャルリア様が――って、これは何でもなかったわ。アルフリードに報告するべきことじゃないから、気にしないでね」
普段なら、シャルリア様が、という時点で気にしないということは不可能であり、おそらくは尋ね返していたと思うけれど、今回に限っては、怖くて聞き返すことが出来なかった。
シャルリア様が明け方なさっていたのは入浴であり、そのことを知っているということは、少なくともその瞬間には意識があったということであるので、もしかしたら、僕のことに気づいていらしたのかもしれない。いや、言及されなかったのだから、気付かれていないと捉えるべきか。
いずれにせよ、無暗に突っつかない方がよさそうだ。余計なことをしていたら、焦ってボロを出すことになるのはこちらになりそうだし。むしろ、相手には何もない。
聞き返さなかったことを不思議に思われたら、シャラさんを信頼していますからと答えよう。それだと少し生意気に聞こえるだろうか。
「そういえば、今朝はシャルリア様はヴァイオリンのお稽古をなさらないみたいね。いつもなら、朝のこのくらいの時間にはもうお城のお庭で練習をなさっていらっしゃる頃だと思うけれど。やっぱり、旅先だと調子が違われるのかしら」
また布団がぴくりと動いたような気がした。
察するに、シャラさんに不審に思われないよう、今起きましたという体を装ってベッドから出ようとなされたのだけれど、僕がいることを思い出されて、出るに出られなかったのだろうな。
つい先ほど、あんなことになった相手の前に出る勇気は、いくら普段は大人びていらっしゃるからとはいえ、10歳の女の子には難しいことだったのかもしれない。
だからといって、僕が今この部屋を離れるわけにはゆかないしなあ。それでは、多少状況は違うとはいえ、昨夜の繰り返しになってしまう。
結局、シャルリア様が布団から出ていらしたのは、シャラさんがお風呂から出られて、浴衣ではなく普段着に着替えを済まされてから、10分ほど経った頃だった。普段着といっても、メイド服ではもちろんなく、白い襟シャツと、チェックのハーフスカートという、普段よりいくらか動き易そうな服装だった。
「調査するのに動き回るなら、ロングのお城のメイド服より、こっちの方が動きやすいと思って。お城にお仕えしているのは、魂は、制服に宿るのではなく、心に宿るのよ。どんな格好をしていたって、私は私よ」
と、シャラさんは胸を張って得意げにおっしゃられた。どうやら、こちらの恰好の方が、浴衣よりは気合が入るということらしかった。
まあ、浴衣というあれは、外に出て動くのには向いているようには見えなかった。機能性の面では、着物と似たような感じだ。
シャルリア様は真っ赤な顔をされていたので、シャラさんが心配されていたけれど、シャルリア様は、なんでもありません、とお答えになっていらした。
普段通りであれば、多分、僕が練習を見に行くという流れになるところだったのだけれど、シャルリア様が、シャラさんについてきてくださいと頼まれたので、驚いたような顔をされたシャラさんに、僕は部屋で姫様方の様子を見ておきますからと、おふたりをお見送りした。




