シンクシ 10
事情を説明するのに多少の時間を要したとはいえ、まだ姫様方の起床される時間よりは早いだろう。昨夜は遅くまで遊んでいらしたのだから。
だからこっそり戻れば問題ないはずだと、そう思っていた。
姫様方にお仕えするのに、外に出たり、さらには戦闘までをしたりして、埃や汗にまみれた格好でいるなどあってはいけない。
幸いなことに、僕たちが止めていただいた部屋のベランダには露天のお風呂がついている。予備の服――というよりも自分の荷物全て――は収納して持ち歩いているから、着替えやタオルなんかも問題ない。それに、タオルはたしか、部屋のタンスの中だけでなく、露天のお風呂の脱衣所にも置いてあったはずだ。
だから『早起きして、さっぱりするためにも、せっかくなので温泉に入っていました』と言い訳が出来るよう、部屋に備え付けの露天風呂の脱衣所へと降り立った。
白い湯気が立ち上り、向こうが見えないほどではないけれど、流石に上空からでは様子は確認できなかった。
脱衣所の籠の中には、浴衣が綺麗に畳んで置かれていて、なるほど、こっちにも置いてあるのは部屋だからと油断して着替えを持って出なかった人がいらっしゃると困るからだな、あるいは実際にいらしたのかもしれない、などと、先程の疑問に自答するかのように、ぼんやり考えていた。
流石に眠くて、思考がはっきりしていなかったのかもしれない。
ちゃんとしているときであれば、1着しか置いていないことに疑問を持って、もう少し考えてみたかもしれないけれど、思っている以上に疲れていたのかもしれない。
そんな感じで、特に気に留めることもなく、けれど、きちんと畳まれている宿の方には習うべきだと、僕も自分の服を綺麗に畳んでから、御自由にお持ちくださいとの但し書きのある棚からタオルを1枚拝借させていただいて、お風呂へと向かう。
「うわー、素敵な光景だなあ」
周りを見渡してみると、湯気の向こうから朝日が昇ってきているのが分かる。
きらきらと反射して輝いて見えるそれは、とても幻想的な光景に思えた。
眩しさに目を細めながら、お湯につかる。
眠気はもちろんあるけれど、一晩の徹夜くらいであればどうということはないし、一気に、意識が覚醒してくるかのようだった。
風呂という関係上、普通は壁に囲まれた屋内にあるものだというのに、あえて外から見える、そして外を見ることの出来る場所に設置するのはこういったメリットがあるわけだな。もちろん、昨夜みた夜景も素晴らしいものだったけれど。
「とりあえず、戻って来られて良か……った」
石造りの浴槽に腰を落ち着けたところで、ようやく意識に追いついて、目が慣れて来たらしく、隣に人がいることに気がついた。
月の光を集めて紡いだような銀の髪。華奢な腕と首筋。透き通るように真っ白な肌は温められて赤みを帯びており、花びらのような唇からは色っぽくため息が漏れていて、ルビーの瞳は緊張しているように見開かれていた。
「――っ!」
思わず、僕の方が悲鳴を上げそうになった。いや、実際、声にならない悲鳴は上げていたのかもしれない。
そして、音を立てなかったことを、僕は喜ぶべきだっただろう。
いや、そんなことを考えているべきではない。
10歳の女の子と一緒に、ひとつの浴槽に使っているところなんて、見つかれば即逮捕レベルの事案だ。先ほどの彼らと一緒にギルドに突き出されても文句は言えない。
「あ、あの、シャルリア様。これには山よりも高く、海よりも深い事情が……」
ジェリック様に報告されれば即首が飛ぶであろうこんな事態に、シャルリア様は
「おはようございます、アルフリード」
悲鳴を上げられることなく、普段と同じ、少し冷めた調子で口を開かれた。
女の子が普通の態度でいるのに、男の僕の方がいつまでも慌てふためいているのは、普通、逆なのでは? などと、つい、現実から目を背けたような考えをしてしまいそうになる。
というより、何故、シャルリア様はこんなに冷静でいらっしゃるのだろう。
どう考えても、第三者から見れば、痴漢の現場と間違われても仕方のない場面だと思う。僕が、他の男性とシャルリア様がこんな風な状況に陥っているところに出くわしたら、即排除しにかかっているところだ。つまりこの場合は、排除されるべきは僕だった。
そんなことを言っている場合ではなかった。
すぐに出るべきだろうか? いや、考えているような場合でもない。すぐに出なければ。
そう頭では考えて、理解しているというのに、身体の方はまったく動かすことが出来なかった。
いや、いくら、シャルリア様が世界の美姫100選(そんな本があればだけれど)の上位に名を連ねられそうな女の子だからと言って、僕と、学院を卒業するくらいの年齢が離れた女の子に、それも一国のお姫様に、邪な気を抱くわけはない。
いや、この場合、全くないと答えるのも失礼なのだろうか?
でも、いくら、成長すれば女神様のようになられるだろうことが今からでも予感されるほどの最上級の芸術品のような女の子だからといっても――
「――っすみません! 私はすぐに出ますから!」
ごちゃごちゃ考えている場合ではなかった。
そこでようやくともいえるけれど、ともかく、一刻も早く、その場から離脱するべく、お湯から出たのだけれど、背後から水の中に倒れ込んだような音が聞こえてきて、その場に足を止めざるを得なかった。
もしかして、僕のせいで逆上せてしまわれたのだろうか。
すぐに、シャラさんを――いや、時間が掛かりすぎるし、カルヴァン様や、アイリーン様、小雪さんまで起こしてしまうかもしれない。
それに、起こすのに時間が掛かってしまった場合、シャルリア様がお風邪を召されてしまうかもしれない。
くっ、仕方ない。
「シャルリア様、失礼いたします。お叱りは、後でいくらでも」
僕はまず、シャルリア様をお湯から引っ張り上げて、とりあえず頭をお湯の中から出す。そして、棚に置いてある大きめのタオルを急いで(もちろん、自分がすべて転んでしまったりしないように)持ってくると、シャルリア様をお姫様抱っこの要領でお抱えし、タオルの上まで運ぶと、もう1枚のタオルで全身をお拭きした。
誓って言うけれど、僕は見ないように努力はしたし、ジェリック様にも、誰にも、顔向けできないようなことはしていない。
これは介護だから!
お休みになられているであろうシャラさんを起こすのは忍びない――というより、時間の問題的にも、この状態のシャルリア様を一瞬たりとも、変な意味ではなく、目から離すわけにはゆかない――し、アイリーン様や小雪さんは言うまでもない。
ただそれだけの理由で、他の意味はないから!
たしかに役得だと――って、違う! そうじゃなくて、そう、従者として当然の務めを果たすだけだから!
そう自分に強く言い聞かせて、シャルリア様が用意なさっていらしたドレス(浴衣ではなく、普段のようなドレスが畳まれた浴衣の下に準備されていたのはありがたかった)に着替えさせ終えるころには、僕は全身変な汗で(精神的にも)いっぱいいっぱいだったので、シャルリア様をベッドへお連れした後、もう1度、お風呂に入り直さなくてはならなかった。一連の動きに対して、どうやったのかは聞かないで欲しい。
シャルリア様にはどうか夢でも見ていたのだと思って欲しかったけれど、僕の方は、とても夢では済ませることが出来そうになかった。




