代償は魔法
ビルの扉を勢いよく押し開け、玲司は外へ飛び出した。
だが、そこに由眼の姿はなかった。
広場には数台のパトカーが止まり、多くの警察官が現場を封鎖している。
みこととひまりは両手を押さえられ、警察に連行されようとしていた。
その少し離れた場所では、剣聖――恒一が警察関係者と静かに何かを話している。
その表情からは、戦いの面影は感じられない。
まるで最初から国の人間だったかのように、冷静に任務を果たしていた。
「由眼は……。」
玲司は辺りを見回す。
瓦礫の山。
砕けた地面。
焼け焦げた広場。
だが、どこにも由眼の姿だけが見当たらない。
嫌な予感が胸を締め付ける。
「まずいな……。」
玲司は反射的に物陰へ身を隠した。
今ここで姿を見せれば、自分も捕まり、このノートを世間へ広めた意味がなくなる。
由眼が命懸けで託したものを、ここで無駄にはできない。
玲司は踵を返し、再び本社ビルの中へ駆け戻った。
局長は戻ってきた玲司を見ると、事情を察したようにゆっくり頷く。
「今日はここで隠れていなさい。」
「でも……。」
「今外へ出ても捕まるだけだ。君が捕まれば、せっかく流した情報まで止められるかもしれない。」
玲司は悔しそうに拳を握る。
分かっている。
それでも仲間を置いてきたことが、どうしても心に引っ掛かっていた。
玲司は小さく頭を下げる。
「どうして……そこまで俺を信用してくれるんですか。」
局長は少しだけ笑うと、窓の外を眺めながら静かに話し始めた。
「我が社は昔、諏訪家に命を救われたことがあってね。報道の自由を守れたのも、諏訪家のおかげなんだ。」
「だから今度は私たちが恩を返す番さ。」
そう言うと熱々のカップ麺を、玲司の前へ置いた。
「腹が減っては何も考えられないだろ。」
その何気ない優しさに、玲司は思わず目を伏せる。
「……ありがとうございます。」
その夜、玲司は会社の会議室で一人眠った。
ほとんど眠れなかった。
由眼はどうなったのか。
みこととひまりは無事なのか。
恒一は何を思ってあそこに立っていたのか。
答えの出ないことばかりが頭を巡り続けた。
そして翌朝。
全国のテレビ局が一斉に緊急速報を流す。
『国家による禁忌魔法研究疑惑』
『諏訪家は国家の命令で研究を行っていた可能性』
由眼が命を懸けて残した研究ノートは、全国へ公開された。
ニュース番組だけではない。
新聞。
インターネット。
SNS。
あらゆる場所でその話題が取り上げられ、日本中が騒然となる。
本社ビルにも警察が押し寄せ、局内は騒ぎとなった。
当然、玲司も見つかり、その場で身柄を確保される。
だが、もう遅かった。
情報は既に全国へ拡散されていた。
国はすぐに緊急記者会見を開き、「そのような命令は存在しない」「全て事実無根である」と全面的に否定する。
しかし、その発言は長くは続かなかった。
数時間後。
国家内部の関係者による匿名の内部告発が始まる。
研究資料。
命令書。
関係者の証言。
次々と新たな証拠が報道機関へ届けられ、隠されていた真実は完全に白日の下へ晒された。
国民の怒りは一気に爆発する。
全国各地で抗議デモが起こり、政府への批判は日に日に大きくなっていった。
テレビでは連日特番が組まれ、専門家や元政府関係者までもが議論を交わす。
そして数日後。
国はついに公式会見で、自らの非を認めた。
諏訪家に一切の責任はなく、禁忌魔法研究は国家主導で行われた計画だったことを正式に発表し、国民と諏訪家へ謝罪したのである。
その発表と同時に、玲司とひまり、みことに掛けられていた全ての容疑は取り消され、三人は正式に釈放された。
長かった逃亡劇は、ようやく終わりを迎える。
拘置所の外へ出た玲司は、冷たい風を胸いっぱいに吸い込んだ。
自由になったはずなのに、その表情は晴れない。
「あとは……。」
玲司はゆっくり空を見上げる。
雲一つない青空だった。
「由眼が帰ってくるだけだ。」
そう呟く声には、不安と期待の両方が混ざっていた。
由眼はまだ戻ってきていない。
だが、今度こそ。
今度こそ皆で笑い合える日が来る。
玲司はそう信じて、静かに歩き始めた。
家へ帰ると、そこには静寂だけが広がっていた。
誰もいない部屋には生活の音一つなく、壁に掛かった時計がカチ、カチと規則正しく時を刻む音だけが、やけにはっきりと耳へ届いてくる。
玲司はゆっくりとソファへ腰を下ろし、疲れ切った体を預けるようにもたれ掛かると、ぼんやりと天井を見上げながら小さく呟いた。
「由眼……。」
事件は終わった。
国は自らの罪を認め、諏訪家の無実も証明された。
みこととひまりも無事に釈放され、逃げ続けた日々もようやく終わりを迎えた。
それなのに、一番会いたかった人物だけが、まだ帰ってきていない。
広く感じる部屋を見渡しても、由眼がいつものように嫌味を言いながら座っている姿はどこにもなかった。
「いつ帰ってくるんだよ……。」
そんな独り言だけが、静まり返った部屋へ虚しく消えていく。
その時だった。
ピンポーン。
静寂を破るように玄関のチャイムが鳴り響く。
玲司は反射的に立ち上がり、胸が高鳴るのを感じながら玄関へ駆け出した。
「由眼!」
自然とその名前が口から漏れる。
ようやく帰ってきた。
そう思い、勢いよくドアを開ける。
しかし、そこに立っていたのは由眼ではなく、穏やかな笑みを浮かべる由眼の父――諏訪義隆だった。
「こんにちは、玲司くん。突然来てしまってごめんね。少しだけ話をしてもいいかな。」
その優しい声を聞き、玲司は少し拍子抜けしながらも静かに頷いた。
「……はい。」
二人はリビングへ入り、向かい合うようにソファへ腰を下ろす。
温かいお茶を机へ置いたものの、どちらもすぐには口を開かず、部屋にはどこか重苦しい沈黙だけが流れていた。
しばらくして義隆が静かに口を開く。
「久しぶりだね。」
「そうですね。」
短い会話を交わしたあと、義隆は玲司を真っ直ぐ見つめ、その目に感謝の色を浮かべながらゆっくりと言葉を続けた。
「色々と、本当にありがとう。諏訪家を助けてくれて、由眼を助けようと最後まで諦めずに戦ってくれて、本当に感謝している。」
そう言い終えると同時に、義隆は深々と頭を下げた。
それは諏訪家当主としてではなく、一人の父親が娘を救おうとしてくれた少年へ向ける、心からの礼だった。
玲司は慌てて立ち上がり、両手を大きく振る。
「やめてください! 頭なんて下げないでくださいよ! 俺はただ、当たり前のことをしただけです!」
義隆はゆっくりと顔を上げた。
しかし、その表情には感謝だけでなく、どこか言いづらそうな悲しみの色も浮かんでいた。
その様子を見た玲司は胸騒ぎを覚え、思わず身を乗り出す。
「由眼は……今どこにいるんですか。」
義隆は少し俯き、小さく息を吐いてから静かに答えた。
「病院にいるよ。」
その一言を聞いた瞬間、玲司の張り詰めていた緊張が一気にほどける。
「元気さ。」
その言葉を聞いて、玲司は安心したように胸へ手を当て、大きく息を吐いた。
「なんだ……よかった。」
自然と笑みが零れる。
生きていてくれた。
それだけで十分だと、本気で思った。
しかし、その安心は長くは続かなかった。
「でもね。」
義隆の声色が静かに変わる。
玲司の笑みが止まり、胸の奥に嫌な予感が広がっていく。
「由眼は……記憶を失ってしまったんだ。」
その言葉は、玲司の時間を止めるには十分すぎた。
意味が理解できない。
理解したくない。
頭の中で『記憶を失った』という言葉だけが何度も何度も繰り返される。
「……え。」
ようやく漏れた声は、自分でも驚くほど小さく震えていた。
義隆は玲司の様子を見ながら、ゆっくりと説明を続ける。
「時間魔法には、必ず術者が支払う代償が存在する。そして由眼は昔から魔力量が少なかったからこそ、人の何倍も努力し、知識と技術だけで諏訪家史上最高の魔法使いと呼ばれるまでになった。」
玲司は何も言えず、ただ黙って耳を傾ける。
「時間停止は、この世界でも最大級の禁忌魔法だ。玲司くんの膨大な魔力を借りてもなお魔力は足りず、不足した代償は術者本人が命ではなく、別の形で支払うことになった。」
義隆は目を閉じ、小さく息を吐く。
「白く染まっていた髪は元の黒髪へ戻り、魔法陣が刻まれていた瞳も普通の目へ戻った。その代わりに、由眼は魔法に関する全ての知識と、大切な思い出を失ってしまったんだ。」
「君たちと笑い合った日々も、学校で過ごした時間も、時間魔法を完成させるまで積み重ねてきた努力も、その全てが代償として消えてしまった。」
「もう……二度と戻らない。」
その現実は、玲司にはあまりにも残酷だった。
由眼は生きている。
助かった。
それなのに、一番大切だったものを失ってしまった。
玲司は俯いたまま拳を強く握り締める。
「俺は……。」
震える声が漏れる。
「俺はただ、みんなで変わらない毎日を送りたかっただけなんです。」
由眼が笑って。
ひまりが騒いで。
みことが優しく笑って。
恒一が呆れながらも隣にいる。
そんな何気ない毎日が、この先もずっと続いていくものだと、本気で信じていた。
玲司はゆっくり目を閉じ、込み上げる感情を押し殺しながら言葉を続ける。
「由眼は、あの魔法を完成させる時、本当に楽しそうだったんです。子供みたいに目を輝かせて、自分の夢を叶えようとしていた。ずっと追い続けてきた夢だったから、命を懸けても後悔しないような顔をしていたんです。」
その姿を思い出すたび、胸の奥が締め付けられる。
「あんなに頑張って、ようやく夢を叶えたのに……。」
玲司は唇を噛み締めながら、震える声で呟く。
「だから代償だって言われても……そんな終わり方、あんまりじゃねぇかよ……。」
玲司の震える声だけが静かな部屋へ響き、その後には時計の針が時を刻む音だけが、変わらず静かに鳴り続けていた。
綾松です。ここまで見てくださりありがとうございます。初作品で雑な部分や設定が、あれ違くねみたいな所多々あると思いますが、優しい目でこれからも見てください。あ、最終回では無いです。




